2019
02.10

2019年2月10日 総支配人 その19

らかす日誌

さて、研修が役にたったのかどうか、とにかくPremium meets Premiumは順調に滑り出した。これから毎年2回、7日連続のポップス公演をやる。であれば、ますます充実したものにしていかなければならない。

やがて、予算請求の時期が来た。数字に弱い私は、その作業は副支配人に任せっきりにしたような記憶がある。いや、

「出来たら見せてね」

程度の関与はしたかも知れない。

その程度のいい加減な支配人であるが、一つだけ

「どうしてもやらねば」

と思っていたことがある。音響装置の購入である。

それまで浜離宮朝日ホールはクラシック音楽を専門にしてきた。クラシック音楽は基本的に増幅装置を使わない。楽器間で音の大きさが違ってバランスが取れないときは、弱い音の楽器を増やして対応する(私には専門知識がないので、そのように想像するだけだが)。
しかし、ポップスは違う。ドラムとアコースティックギターが並んで演奏すれば、ドラムの音でギターの音がかき消される。ピアノと生ギターでも同じだ。だが、だからといってギターの本数を増やすのではなく、エレキギターを使うことで、あるいはアコースティックの響きを残したければギターマイクをつけることでバランスを取る。ヴォーカルは一番音が弱い楽器と見なされているのか、必ずマイクを使う。

だから、浜離宮ホールにはたいした増幅装置はなかった。これでは、本格化させようというポップスのコンサートはままならない。

「というわけで、マイク、アンプ、スピーカーなど、舞台用の増幅装置を見繕って欲しい」

と私が依頼したのは、舞台の音響や照明を依頼していた専門企業の浜離宮ホール担当である。この人たちは、自分の会社にはいつ行くのだろう、というほど浜離宮ホールにいる時間が長い。私からすれば、ホール運営の同士である。

「分かりました」

と二つ返事で引き受けてくれた彼は、数日後に見積もりを取ってくれた。見ると、一式で約250万円とある。ほう、舞台用の音響装置ってそんなにするのか。クリスキットで組んだオーディオ装置よりはるかに高いなあ。家庭用と営業用ではこんなに違うのか。
と思いながら、私は念押しをしてみた。

「知っての通り、浜離宮ホールは音の良さが売りです。ポップスも最高の音を聴かせるホールでなくてはならない。250万円というのはかなり高額だと思いますが、これが最高の音を聴かせる音響装置だとあなたは確信しているのですか?」

彼の表情が変わった。なかなか言葉が戻ってこない。そこで私が言葉を加えた。

「じゃあ、もっといい装置があるかも知れないのですね?」

やっと返事が戻ってきた。

「ええ、この程度の装置で十分だと思いますが、ほかにもあるかも知れません」

そうか。そうならばこういうしかない。

「この程度、では不十分なのです。最高、でなければいけないのです。手数をかけますが、もう一度、あなたが考える世界最高の音響機器を探してみてくれませんか?」

彼が改めて見積書を持って来てくれたのは、それから1週間ほどたってからだった。合計金額を見ると、約650万円とある。ワオ! 前の2.5倍強!!

だが、私はひるまない。

「これが、あなたが知るなかで最高の音響機器なのですね?」

「はい、これ以上のものはないと思います」

「分かりました。私はあなたを信じています。会社から何とか650万円をふんだくります。うまく行かなかったらあなたを無駄働きさせたことになるけど、それは許してね」

かくして私は、経理担当との闘いの平野に自らを押し出したのであった。

予算要求をしてからしばらくたった頃、経理担当から電話が来た。相談したいことがあるという。

「来たな」

経理担当の仕事は、各職場から上がってくる予算要求を削ることである。削って削って削り倒す経理マン(ウーマン)が優秀だと見なされる職場である。さあ、闘いの幕が開いた。
ホールの事務室まで足を運んだ彼は、ぐさりと核心を突いてきた。

「この、ホール用音響機器の650万ですけど、これ、削れませんか?」

想定内の要求である。答は一つしかない。

「削れません」

あとは流れに沿って話を進めるだけだ。

「会社はいま、経営が大変であることはご存じだと思います。特に来年度は厳しい見通しです。とにかく経費を削減しなければ会社が回りません。これ、次の年度に先送りしてもらえませんか?」

できません。あなたは来年度の経営見通しが厳しいという。確かに、私もそうだろうと思う。しかし、先延ばしして、じゃあその次の年度の経営が順風に戻る保証がありますか? 見通しはずっと暗いままではないですか? 今の経営環境ではそうなる恐れが強い。だとすると、今年先送りしたら、来年も先送りすることになる。再来年も同じでしょう。次の年度に必ず予算化する、と経理部長名で一筆書いてくれるというのなら考えますが、そうでない限り、この要求は引っ込めません。ご存じの通り、これまで一度も達成したことがなかった『1500万円未満の赤字で自主公演を』という経営目標も、1000万円を超える黒字にすることで達成しました。Premium meets Premiumを立ち上げて実績も上がっています。吹き始めた順風をさらに強めるためにどうしても必要なのです。理解してください」

「せめて、もっと安い機器にすることは出来ませんか」

「あのね、浜離宮ホールは世界最高の音響で売っているんです。であれば、舞台用の音響装置も世界最高のものでなければおかしいでしょう? 世界最高が650万円で手に入るのなら、安い買い物ではないですか」

「一度持ち帰らせてください。上司と相談してきます」

さて、彼が何度足を運んでくれたかは忘れた。しかし、何度足を運ばれても、私は一歩も引かなかった。ここで後退してしまっては職場の士気に関わる。世界最高の音響機器を選んでくれた彼にも申し訳が立たない。経理マン(ウーマン)が必死であるように、私だって必死なのである。これは、天下分け目の闘いなのだ。

結論を急ごう。
この闘いで、私は関ヶ原の徳川家康になった。勝ったのである。経理マンがどんな思いで650万円の予算をつけたのか、その結果、彼の査定が悪くなったのか、そんなことは知らないが、私の要求が満額で通ったのである。
おそらく、私が就任して以来、ホール担当全員が積み上げてきたホールの実績と、二枚舌、三枚を縦横無尽に駆使した私の弁論術による勝利である。当時の朝日新聞はまだ、まっとうな論理が通る会社であったともいえる。

年度があけて、購買部を通じてその音響機器が発注され、ホールに納品された。ところが私、設置も操作も専門家任せで、その機器を見たことも触ったこともない。Premium meets Premium公演中のホールに入ると、舞台上に音響機器があり、

「あれかな?」

と思うこともあったが、翌日の公演では違った機器が舞台にある。
いったいどれが、私が勝ち取った世界最高の音響機器なんだ?

肝心なことを知らぬままにホールを去った私であった。それでも、いまでもポップスのコンサートでは、大いに活躍しているはずである。