2021
04.21

犬も歩けば棒に当たる、とか申しますが……

らかす日誌

犬は歩いて棒にぶち当たるが、私の車は妻女殿のご下命でスーパーまで走ったところ、ほかの車にぶち当たられた。今朝のことである。

我が家の買い物担当が私であることは、「らかす」を継続的にお読み戴いている方々には既知のことである。
本日もご下命を受け、スプーン、水切りネット、もやし、キュウリ、なす……と書かれた紙切れを渡された私は、愛車に乗って市内のスーパー、ヤオコーまで出かけた。出しなに時計を見たら10時25分頃であった。

ヤオコーまでは10分、15分の道のりである。駐車場に乗り入れた私は、前にいたプリウスのあとについて、空きスペースを探した。これが事の発端である。

プリウスが止まった。後に続く私も当然ブレーキを踏み、止まる。恐らく、プリウスも空きスペースを探しているのだろう。それにしても、なぜ止まったのか? 見ると、プリウスの前方で、駐車スペースから出ようとしている車がある。こちらに向かってくるらしい。なるほど、それで止まったのか、と私は考えた。

次の瞬間、プリウスのバックランプが点灯した。何、後退する?
そうか、駐車スペースから出かかっている車の邪魔になるからバックしようってか。しかし、1mほど後ろには私の車があるのである。それほど後退出来るスペースはないぞ。
私は警告のため、クラクションを軽く鳴らした。

クラクションの音が耳に届いたのか、プリウスは一度、止まったかに見えた。

「運転が下手なヤツだな。左にハンドルを切って車を前に進めれば、出かかっている車の邪魔にはならないじゃないか」

そんなことを考えたと記憶する。そして当然のことながら、私の警告を受けたプリウスはそこで後退をやめ、違う行動を取るものと推論した。ところが、なのだ。次の瞬間、プリウスはなんと後退を再開したのである。

「えっ、もっと下がるってか。ホントにぶつかるぞ」

私はさらに1、2回、クラクションを鳴らした。今度は長くである。それだけ危機感が膨らんだのである。それなのに、である。ああ、それなのに、それなのに。
プリウスは止まるどころか、後退を続けたのである。

同じ軌道上にある物体の一方が止まっていても、もう一方が接近を続ければ、2物体がやがて接触するのは幼稚園児でも解ることだろう。
がさっ、という音がしたと思う。プリウスの後ろバンパーが、私の車のフロントバンパーにぶち当たったのである。

「このド阿呆!」

私は車を降りて、プリウスに歩み寄った。プリウスの運転席を降りてきたのは、さて年齢はいくつぐらいだろう。おばちゃんといってもいいし、ばあさんと言っても通るような、髪を振り乱した女性であった。

「クラクション、鳴らしただろ?! 何で止まらないの」

「済みません」

見ると、プリウスは後ろのバンパーの右側が大きくずれ、しかもペコンとへこんでいる。あの程度の接触でこれほど傷むか。しかし、プリウスがこれほど傷んでいるとなると、我が車は……。

フロントバンパーの右の方に、薄らと傷がある。ずれている様子は全くない。プリウスとの喧嘩には勝ったらしい。我が方の被害は軽微である。であれば、あとは修理代の問題となる。

「あなた、保険は?」

「えーと、あのう、よく分からないんですけど」

と言いながら、車の中をおばちゃんはかき回し始めた。車検証などを入れるケースを採り出し、

「これが保険証だと思うんですけど」

見ると自賠責の保険証券である。えっ、このおばさん、任意保険には入っていないのか?
なにやら頭の回転が緩そうなおばさんでもある。話していてもらちがあかないので、その保険証券を借り受け、私が保険会社に電話を掛けた。証券に書いてある所有者の名前、ナンバープレートなどの情報を伝えると、

「自賠責は人身事故の時しか支払いはできません。何処かお怪我をなさいましたか?」

と聞いてきた。はあ、そういうものなのか。

「だったら、これから医者に行って全治2週間の診断書を書いてもらおうか?」

と皮肉を口走ってみたが、まあ、そういう制度なら仕方がない。おばちゃんに

「この保険では車の修理代は出ないんだって。任意保険に入っていないんなら、あなたが全額支払うしかないねえ」

と申し渡すと、何とも情けない顔をする。見れば、プリウスには結構へこみ、傷があり、車の後部座席には、私の目にはボロ屑としか見えないものが詰め込まれている。
そのような暮らしをする人らしい。ということは、経済的には豊かではないということだろう。困ったな、と思ったが、事故を起こしたのは向こうである。私が申し訳ないと思う必要はないはずだ。

「じゃあ、免許証の写真を撮るから出して下さい。それから、連絡先が必要になると思うので電話番号を。まあ、保険で修理するのなら警察の事故証明が必要だろうけど、あなたは無保険だし、たいした事故ではないので警察を呼ぶ必要はないと思う。あとは、私の修理工場からあなたに修理代金の請求書が届くことになるので、お金を払って下さい」

これで事故処理は終了である。私はおばちゃんを解放し、ヤオコーの店内に入って買い物をした。

今年3回目になる小玉西瓜まで入った重い袋をぶら下げて車に戻ると、あのおばちゃんが私の車のそばにいる。まあ、そこに立っていてくれても、私にとっては処理済みの事故である。我が方に、彼女はもう必要ない。何でそんなところに立ってるの? あなた、買い物は?

と思っていたら、

「あのう」

と彼女が話しかけてきた。もう事故処理は済んだじゃない。今度は何?

「実は、心配になって、知り合いに電話をしたら、警察に届けろって言うんです。その人がもうすぐ来ますから、待っていて下さい」

いや、警察に届けても、私に困ったことは何一つない。しかし、警察官を呼んでいいことは何もないはずだ。任意保険を使うのなら警察の事故証明が必要だろうが、それを使わない、いや、使おうにも加入していないのだから、警察を呼んでも時間がかかるだけではないか。それを無駄の極みという。警察官だって、こんな事故に付き合わされたら面倒くさいだろうに。

と説得しているうちに、その知り合いがやって来た。70がらみのオヤジである。オヤジは、開口一番こう言った。

「駄目だよあんた、事故やったら警察に届けなきゃ」

おいおい、第三者が出る幕か? しかも、その口のききようはなんだ?! ムッとした。ムッとしたが、私も70を過ぎた立派な大人である。ムッとした心を抑えるぐらいの身過ぎ世過ぎの術は持ち合わせている。

「いや、事故を起こしたのはこの女性で、私は被害者です。それに、この方は任意保険に入っていないという。入っているのなら事故証明も必要でしょうが、自分の金で私の修理代を払うことになるのだから、警察を呼ぶメリットはないじゃないですか」

大人の会話である。だが、このおっさんは大人ではなかったらしい。私を睨みつけると、言った。

「あんなあ、あとでゴチャゴチャもめると困るんだ。後で因縁を付けてなんだかんだというヤツがいるからな」

さて、こんなことをいわれたら、皆さんならどうします? 私はこうしました。

「あんた、さっきから聞いていると、随分失礼なことを言うやないか。俺が因縁を付けて揺するような男に見えるか? そもそも、怪我をしているのならともかく、こんだけの車の傷で因縁を付けられるとでも思ってるのか?」

そう、私も切れてしまったのです。大人のたしなみを捨て去ってのです。

が、敵もさるものである。いや、ひょっとしたら敵は耳が遠かったのかも知れない。少なくともそのような年齢であることは疑いない。
私の言葉が耳に届いたのかどうか。ポケットから携帯電話を引き出すと、110番通報を始めた……。

というわけで、買い物を終えた私はヤオコーの駐車場に足止めを食い、警察の到着を待ち、1時間ほどロスして自宅に帰り着いたのであった。
何という日だ? である。

ところで、我が妻女殿は極めて特異な頭脳構造をお持ちのようである。事故のことはヤオコーの駐車場から電話で報告してあった。あれは、自宅に帰り着いて昼食を済ませたあとだから、午後2時半頃か。突然ボソッとおっしゃったのである。

「車って危ないね。私、これまで助手席に乗っていたけど、今度から後ろの席に座るようにするわ」

まあ、運転手としてこき使われる身の私に言わせれば、助手席にお座り戴こうと、リアシートをお使いいただこうと、別段変わったことはない。
しかし、私が事故を起こしたのならともかく、ぶつけられた日に私に向かって言うべき言葉か?

そういえば、「ボブ・ディランの頭のなか」というドキュメント映画があった。まあ、ボブ・ディランの頭のなかまでわかろうとは思わないが、せめて我が妻女殿の頭のなかぐらい、ほんの少しでいいから解ってみたいと願った今日であった。