私と朝日新聞

桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の40 終わりにオムニバス風に

さて、長々と書き継いできた「私と朝日新聞」も、今回をもって終わりとする。最後は雑多な話を順不同で集めることにする。〇給与について定年後再雇用期間の給与は月額16万円、ボーナスが年2...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の39 私、2016年8月31日限りで朝日新聞との縁が切れました

さて、桐生での話もほぼ書き尽くしたようである。そろそろ締めに入ろう。朝日新聞の定年後再雇用制度は原則3年、条件次第でさらに4年延長すると決まっていた。延長されれば67歳になった8月...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の38 私、引っかかってしましました……

記者が取材先に騙されて記事を書いてしまうという珍事が起きた。騙されたのは私である。いや、私だけでなく、市の職員も国も引っかかった。まず、その記事をご紹介しよう。なお、登場人物は匿名...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の37 PANTA桐生公演の2 そんなに長くやるのかよ!

確か、あのO氏に相談した。有鄰館なら200人ほど入る。ながめ余興場なら600人ほどのはずだ。そんな大人数を集めることができるか?「ちっちゃくやればいいじゃない」しかし、ちっちゃくや...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の36 PANTA桐生公演の1 PANTAが桐生にやって来る!

頭脳警察のリーダー、故・PANTAが桐生まで遊びに来てくれた。いつのことだったか、記憶にない。「らかす日誌」を丁寧に見返せば書いているかも知れないが、その根気はない。よって日時不明...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の35 鼻毛のはなし

行きつけの床屋で見慣れぬ看板を見た。「鼻毛脱毛800円」えっ、鼻毛の脱毛? そんなもの、金を出してやってもらおうという客がいるのか?聞いてみると、東京都内では結構流行っている商売ら...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の34 ざっくばらんな飲み会の話、2 私は手こね寿司、パエリアをつくった

1回目の飲み会に集ったのは12,3人であった。JR桐生駅近くの大衆酒場で、参加費は確か5000円。お金の管理は幹事役である市職員、I君に委ねた。I君は流石にお役人である。会費を集め...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の33 ざっくばらんな飲み会の話、1 呑まなきゃ何も始まらないでしょ?

群馬大学工学部の篠塚和夫教授と知り合ったのは、市内のバーで1人飲んでいる時だった。たまたまカウンターで隣り合わせた。袖すり合うも多生の縁。あいさつがいつのまにか雑談になった。「ああ...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の32 記者クラブの話、の4 記者クラブ主催の花見をしようではないか!

桐生市役所の隣に市民文化会館がある。地上4階、地下1階の建物で、何となくUFOを思わせる奇抜で未来的なデザインである。古い建物が多い桐生市には馴染まないような気もするが、今回はその...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の31 記者クラブの話、の3 異動する記者に松井ニットのマフラーを贈り始めた

私の記者クラブ改革は、記者間の交流をもっと増やそう、記者同、もっと仲良くなった方がいい、というのが出発点だった、地元の桐生タイムス、県紙の上毛新聞を除けば、桐生を担当する記者は各社...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の30 記者クラブの話、の2 記者クラブ費の有効活用

記者クラブに所属すると、毎月クラブ費を支払う。もちろん会社に請求するお金で、記者個人の財布が傷むわけではない。記者クラブでの消耗品、お茶やコーヒーなどの購入、それに記者クラブに置く...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の29 記者クラブの1 桐生市役所には記者クラブが2つあった

記者という仕事は何かと批判を浴びるものである。中でも記者クラブへの批判は根強い。曰く、権力・取材先との癒着、曰く、閉鎖性、曰く、情報の独占……。どれもこれも頷ける批判である。私が経...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の28 海江田万里経財相をからかった話

当時の経済産業相・海江田万里氏が桐生に来たのは2010年12月13日のことだった。マフラーメーカー、松井ニット技研を視察するという触れ込みである。それはこんな記事になった。海江田経...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の27 からくり人形師・佐藤貞巳さんの話

佐藤貞巳さんのことを書こう。佐藤さんの現職は看板屋さんである。だが、看板屋さんとしての佐藤さんとの付き合いは、私にはない。あるのはもう1つの佐藤さんの顔、「からくり人形師」としての...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の26 野鍛冶、小黒定一さんの話

桐生の鍛冶屋、小黒定一さんとの縁を繋いでくれたのは、当時群馬大学医学部の学生だった斉藤悠さんである。ある日、私は前橋市の群馬大学医学部に取材に出かけた。桐生市にある群馬大学工学部(...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の25 副市長人事を相談された

亀ちゃんとの仲をもう少し書こう。桐生着任早々の私を指して「あの、朝日の大道とは呑まない方がいいぞ」と部下であるお役人に言い放った亀ちゃんが、きっかけは忘れたが、いつの間にか私の飲み...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の24 あなたは1期目の4年間、何もしていない

さて、亀山市長に戻ろう。亀山市長と私の仲が、最初の定例記者会見で遠いものになったことはすでに書いた。亀山市長にとって私は「いやな質問をする記者」だった。 彼がそう思っているのであれ...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の23 小沢のじっちゃんの話

政権交代選挙の取材で面白いじっちゃんに出会った。知り合ったのは、石関候補の桐生事務所だった。ふらりと立ち寄ったら、見知らぬじっちゃんがいた。昔の選挙では選挙事務所に行くと、酒や茶、...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の22 政権が変わる選挙を取材した

自民党が衆議院選挙で大敗。民主党に政権の座を明け渡したのは2009年8月のことである。いま思えば、「いったい何が起きたのか?」といいたくなるほど、この衆議院選挙には熱気があった。自...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の21 「これ以上桐生を汚すな」だって……

一騒動あったのは5月26日のことである。この日、宮古市から試験焼却用の瓦礫、4.3トンが桐生市清掃センターに届いた。ここに反対派が実力阻止行動に出たのである。反対派の動きを知ってい...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の20 亀ちゃんに1000円のタバコをプレゼントした

東日本大震災の後始末、といえば表現は悪いが、どのような災害が起きようと、その後も人は生きねばならない。災害は後始末をしなければならない。被災地で大きな問題になったのが、被爆瓦礫の処...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の19 桐生市議会に、庭山由紀という議員がいた

桐生市議会に、庭山由紀という議員がいた。反骨精神の固まりのような女性で、頭脳は明晰。私が見る限り、当時の市議会では最も頭が切れる議員であった。ところがこの市議、何かと問題が多かった...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の18 板橋工学部長にインタビューした

前回までが、私が放射性物質取材を始めるにあたり、勉強したことのほとんどである。ほかにも2,3冊の本を読んだかも知れないが、きれいさっぱり忘れた。忘れたといえば、この本も同じである。...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の17 放射能にびくともしない人体

第6章 原発事故放射能にびくともしない人体1990年、東京で日・ソ放射線影響研究講演会が開かれた。この場で、生涯被曝量が35レム=0.35シーベルト=350㍉シーベルトを超す放射能...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の16 放射線と発がん

第4章 低線量の危険と発がん機構一番気になる放射線被曝と発がんとの関係である。放射線に曝されれば曝されるほどがんになる危険が増すという専門家もいるが、著者は違うという。著者の考え方...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の15 人体は放射線に弱くて強い

第3章 人体は放射線に弱くて強い放射線の人体への影響。X線が身体の組織に当たると、その中で2次電子が発生して、それが細胞をよぎると細胞内にイオン化(電離)の作用を起こす。細胞は大部...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の14 放射線の人体への影響

第2章 人体への影響放射線の影響について、「直線しきい値なし仮説」というものがある。放射線は浴びないのがベストで、浴びれば浴びた分だけ悪い影響が拡大する、という考え方である。0がベ...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の13 福島第一原子力発電所

暗くなったら寝るしかない日々が続いたのは、福島第一原子力発電所の事故のためである。3.11は日本の原発の安全神話が音をたてて崩れた日でもあった。「放射性物質が飛来する!」そんなこと...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の12 桐生は震度6弱でした

2011年3月11日午後2時46分、突然地鳴りがしたかと思うと、家全体がガタガタと激しく揺れた。のちに東日本大震災と名付けられた大地震である。その時私は、境野町に会社が借りた1戸建...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の11 専門家に聞くいじめと自殺

事件は結局、両親が桐生市と群馬県を相手取って損害賠償の訴訟を起こし、確か最後は和解が成立して数千万円が支払われたと記憶する。あの両親に賠償金。大きな違和感を感じたが、ことは司法の問...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の10 テレビの記者を殴りつけたくなった

この野郎、殴りつけてやろうか、と思ったことがある。6年生の女児が自殺をした小学校の校長が記者会見を開いた11月8日のことである。場所は、確か桐生市新里支所の会議室だった。早めについ...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の9 小学6年生の女児が自殺した

お断りしていなかったが、桐生での朝日新聞記者としての7年間を編年体で書くと原稿の焦点がぼやける。よって時間軸を無視したエピソード主義で書き続けることをご承知願いたい。桐生市新里町で...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の8 松井ニットの話

取材というのは、まず「これは記事になる」という話をどこかで聞き込むことで始まるのがほとんどである。桐生支局で書いた初期の記事を拾っても・イタリア・ペルージャ市の合唱団が県立養護学校...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の7 桐生を盛り上げる記者になれないか?

前回を引き継げば、松井ニットとのお付き合いの話になるが、話が長くなるので後まわしにすることにした。そこで、2009年4月1日から、私はどんな仕事をしたのだろう? と思ってスクラップ...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の6 松井ニットのマフラーは桐生で編まれていた!

「桐生はいかがですか?」と私に問いかけたのは市役所の広報課長、Yaさんだった。ここは正直な感想を述べねばなるまい。「いやあ、地方都市が衰退しているとは聞いていたけれど、ここまでとは...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の5 亀山市長に嫌われた!

桐生市では、確か毎月、市長の定例記者会見が開かれる。私が初めて定例会見に出た日のことだから、2009年4月の出来事である。定例記者会見だから、テーマは市側が決める。その日は桐生市本...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の4 新聞記者として再出発しました

そろそろ仕事の話に入ろう。私はスーツが嫌いである。男の魅力を引き出す道具といわれることもあるが、あの堅苦しさがいけない。ネクタイで喉元を締め付けるのもごめんである。だから、デジキャ...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の3 怪文書事件について

さて、前回積み残した怪文書事件を説明しておこう。当初私が耳にしていたのは、私の前任の支局長が当時の大澤市長に関する怪文書を作った、という程度でしかなかった。赴任して支局に残されてい...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の2 境野町に1戸建ての家を借りました

桐生にかかわる話は直接「いま」につながるため多岐にわたる。まず住まいのことから済ませておこう。前回書いた通り、最初に入ったのは老朽化が進んだ朝日新聞の官舎だった。道に面した貸し駐車...
桐生支局編

私と朝日新聞 桐生支局の1 桐生に引っ越した

2009年3月31日、私は桐生に引っ越した。定年後再雇用された記者人生の始まりである。赴任前、妻女殿に「どうする? 一緒に来る? それとも横浜に残る?」と聞いた。何をどう考えたのか...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 事業本部の7 朝日新聞と禁煙とルールと

朝日新聞東京本社を離れる前に、もうひとつだけ書いておかねばならないことがある。たばこである。かつて朝日新聞は、社内のどこでも喫煙自由であった。新聞記者は原稿を書く。スラスラと流れる...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 事業本部の6 桐生は美人の産地か?

「大道さん、桐生ですって?」私の桐生生きが決まると、いろいろな人が声をかけてきた。こう言ったのは、証券担当で一緒だった経済部の後輩である。「ああ、そうなんだよ。原稿を書くのは10年...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 事業本部の5 任地が決まりました。桐生です。

朝日新聞で35年働いた私に、60歳の定年が目前に迫った。「日本の年金問題を解決するには、定年を延長、あるいは撤廃するしかない」とは、長年の私の持論だが、この持論が実現する前に私は定...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 事業本部の4 私はテレビ局に天下りたかった

①、②と、私が思い描いていた定年後構想を書いた。そんなことを考え、問われれば人に話していたのは確かだが、いずれも夢想でしかない。沼津に引っ越す? その資金は?大学生になる。授業料は...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 事業本部の3 大学生になろう!

②大学生になる私は大学生時代、学校での勉強はあまりしなかった。そんな時代だった。入学式に、青いヘルメット姿の反帝学評の運動家が20〜30人、「入学式粉砕!」を連呼しながらなだれ込ん...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 事業本部の2 晴釣雨読の日々を思い描いた

60歳が迫ってきた。さて、60歳になって定年になったら私は何をするのだろう?いくつかの構想は持っていた。①晴釣雨読私は30代になった頃から海釣りを趣味するようになっていた。切っ掛け...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 事業本部の1 折り紙で、3次元の、ホントに飛ぶスペースシャトルを作った人がいた!

定年まで1年半を残す頃、根本的な改革はできないまま、私は朝日ホール総支配人を外れた。コンテンツのマルチユース、ライツビジネスへの参画という2本柱でホールを運用黒字化し、朝日新聞本体...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の26 売れ残ったチケットをいただきたいのですが……

朝日新聞は、頭が良すぎるバカが寄り集まっていると書いた記憶がある。私なんぞが逆立ちしてもとても太刀打ちできそうにない秀才、俊才が雲霞のごとくおり、議論をしても何度も打ち負かされた。...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の25 ホールのピアノあれこれ

総支配人時代の想い出を、あといくつか書いておきたい。浜離宮朝日ホールには4台のフルグランドピアノが備わっていた。スタインウェイ(Steinway & Sons)が3台、ベーゼンドル...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の24 朝日新聞の給与体系の話

「朝日新聞の企業年金が欲しければ、毎月14万9000円を納めよ」という通知が突然来たのも、総支配人時代だった。定年まで確かあと4年ほどを残すようになった時期である。朝日新聞に企業年...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の23 夢は夢のまま終わったが……

さまざなまことを考えた。最後に行き着いたのがライツビジネスである。浜離宮ホールで催すコンサートをCD、DVD(いまならBlu-ray、と考えるところである)にして販売する。音楽とい...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の22 朝日ホールの独立を志す

親のすねをかじっている間は気楽なものだが、独立するとなれば金がいる。それが世の常識である。中でも、朝日ホールは朝日新聞という親を持つ。この親は、なかなかに頑固である。子どもの主張に...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の21 ホールの根本的改革を考え始めた

とうとう私は飛んでもないことを考え始めた。ホールの収支をせめてトントンに、できれば黒字にしたいと思い始めたのである。黒字といっても、あの11億数千万円を全部稼ぎ出してやろうというの...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の20 朝日いつかは名人会を立ち上げた

ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございます。読んできて、どのようなご感想をお持ちでしょうか?ひょっとして「あれだけ嫌がってついた職にもかかわらず、あんた、結構楽しんだんじゃ...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の19 世界最高の舞台用音響機器=650万円を勝ち取った!

さて、研修が役にたったのかどうか、とにかくPremium meets Premiumは順調に滑り出した。これから毎年2回、7日連続のポップス公演をやる。であれば、ますます充実したも...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の18 研修で、Eric Claptonのコンサートを最前列で楽しんだ

2006年秋、かのEric Claptonの来日公演があった。そのころ、彼はほぼ1年おきに来日し、すばらしい音楽を聴かせていた。「来るか。コンサートに行こうかなあ」とボンヤリ考えて...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の17 室内楽専用ホールでポップスを始めた!

在任中のホールのこぼれ話はほぼ書き尽くした。私のことだからもっと面白い話を忘却しているかも知れないが、それはまあ仕方がない。ということで、本筋に戻る。しつこいようだが、私はクラシッ...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の16 私はクラシック音楽のファンが嫌いである

室内楽専門の音楽ホールの支配人でありながら、私はクラシックファンが苦手だった。好きではなかった。嫌いだった。様々な表現が出来るが、真実はこの3つを混ぜて3で割ったようなものであった...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の15 PANTAと知り合いになった

総支配人とはいえ、私は有楽町朝日ホールにはあまり目を向けないサボリ専門だった。1つには、有楽町朝日ホールではあまり朝日新聞主催の公演は行わず、ほとんどが貸しホールとして動いていたこ...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の14 皇室の方々の御先導役を務めさせられた

ホールの運営が何となく軌道に乗ったところで、運営とは直接関係がないエピソードをいくつかご紹介したい。「今度、美智子妃がうちのホールにおいでになるそうです」そんな報告を担当者から聞い...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の13 職場のがん細胞を剔抉した

ホールの事務室に、実に困った人がいた。というか、ホール事務室の空気を1人でドンヨリとした重苦しいものにする人がいた。女性である。彼女は、朝日新聞から朝日建物管理に出向中であった。考...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の12 私、クレーム処理係になりました

さて、ホールの運営が軌道に乗った。私が描いた再建策が順調に動き始めた。それはよい。それはよいのだが、不思議なことに気がついた。私、会社に出てホール事務室の私の椅子に座ると、何にもや...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の11 朝日新聞という不思議な会社

朝日新聞とは実に不思議な事業体である。ホール運営の改革を進めながら、それを如実に体験した。事業をするとき、最も気にしなければならないのは最終的な損益である。事業総体として赤字を出し...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の10 50人超が参加した予算10万円の忘年会

浜離宮朝日ホールとしては開闢以来の大ばくちに、私は勝つことができた。無論、私だけの手柄ではない。私が示した運営方針を受け入れ、その実現に向けて様々な知恵を出して動き回ってくれたみん...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の9 超一流のピアニスト、ツィメルマンが浜離宮に!

やってはみるものである。マスメディアである朝日新聞に記事を掲載すること、552席しかない小さなホールでのコンサートであることなど、様々な条件を提示しているうちに、ツィメルマンの日本...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の8 1ステージ1200万円のピアニスト

2006年度が始まった。私が支配人として買い取りを決めた60前後の朝日新聞主催公演で、私の方針が有効かどうかが試される1年である。そして、私の根性を試される年でもあった。根性——そ...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の7 あのー、音がずれているように聞こえたんですが……

一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせひときわ優れた手紙文として習ったのは小学生だったろうか、それとも中学に進んでいたか。確かに、たったこれだけの文章で伝えたいことをすべて表現する...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の6 ホールの経営改革案を示した

さて、前回までで、私のホール改革案をご紹介する準備が整った。いよいよ本論である。4月から始まる2005年度の朝日新聞社主催公演は、私が総支配人に就任するまでにすべて決まっていた。公...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の5 ホール経営改革のヒント

さて、ホール経営である。とりあえずスタート地点まではたどり着いたような気がするものの、これから何をしたらいいのか?私は朝日ホールの先輩支配人を訪ねようとは思わなかった。訪ねてみても...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の4 世界で最も響きが美しい室内楽専用ホール

経理をごまかさず、本当に経費を減らす手法はないものか? あれこれ考えていた私は、1つのことを思いついた。ポスター作りの内製化である。キヤノンも出資するデジキャスにいたことはすでにご...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の3 ごまかし決算をやめよう!

人間とは暇をもてあますものである。もてあました暇は、ろくでもないことに使われることが多い。ホールの事務室に毎日通うようになった私は、おおむね暇であった。何しろ、ホール運営なんてやっ...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の2 1年間の赤字が11億5000万円だと!

私の前任者をO君といった。経済部の同僚で、あのキヤノンのHa氏と同じ麻布学園の出身。大学は確か一橋である。父は日本経済新聞社の社長を務めた。いわゆる御曹司で、だからだろうか、自らチ...
朝日ホール・事業本部編

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の1 なんで私がホールの支配人に?

朝日ホール総支配人時代の話は、2019年はじめに連載した。よってこれからしばらくは、その時の原稿をコピペで再利用する。読み継いでいただいている読者の方々に2019年の原稿を探す手間...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの18 「らかす」の誕生

本来なら、今回から「朝日ホール総支配人」の話が始まるはずである。だが、今回もタイトルは「デジキャス」となった。私は、朝日ホール総支配人の仕事をしながら、密かにデジキャスの仕事もして...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの17 デジキャス勤務が終わりを迎えた

2004年の終わり頃だったと記憶する。デジキャスに勤務する私に、朝日新聞電子電波メディア局長から電話が来た。すぐにピンと来た。人事異動である、朝日新聞に戻ってこいというのに違いない...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの16 キヤノン組と肝胆相照らした

企業という人の集まりには、所属する構成員を一定の色に染め上げる魔力があるのだろうか? 朝日新聞に長年勤めれば何となく朝日色になり、キヤノンの社員はキヤノン色に、富士通は富士通色に、...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの15 英語の台詞を書き出し始めた

英語の映画の台詞を、英語で書けないか?いったいどうしてそんなことを考え出したのか、よく分からない。何度も書いたように、私は生まれ故郷の福岡県大牟田市の方言と、標準語の双方を操るバイ...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの14 「シネマらかす」あれこれ

デジキャスのHPは毎週1本の原稿をアップすることを原則としていた。このペースが途切れてはいけない。私は常に、原稿のストックを5本持つように心がけた。5本のストックを維持するため、毎...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの13 シネマらかすの書き方について

さて、「シネマらかす」を私はどう書いたか。最初は、映画選びである。もっとも、最初の数本はすぐに決めた。・Let It Be=The Beatlesと同世代である以上、書かざるを得な...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの11 どんな工夫をしたらWeb用の原稿が書けるのか?

さて初期の頃、私はどんな原稿を書いていたのか? それを知ろうと、「らかす日誌」の一番古い原稿を取り出してみた。原稿が多すぎて、最古の原稿に行き着くのに5分ほどかかった。読者の皆様に...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの10 「らかす」の現形が生まれた

デジキャスの内側のことにも触れておこう。初代社長はテレビ朝日のマルチメディア局長だったOさんだった。Oさんと私、それに朝日新聞から来たKo君は開局前からの知り合いである。この事業を...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの9 私は詐欺師にはなりたくなかった

オンエアされたデジキャスのデータ放送を見た瞬間、「これは売ってはいけない商品だ」と思ったことはすでに書いた。自分が売る商品に確信が持てなければ営業は出来ない。口八丁手八丁に頼って粗...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの8 ローカル局の若手たちと親しくなった

デジキャスはBSデジタル・データ放送局であるとともに、データ放送用のコンテンツをBMLという記述言語で制作する制作会社でもあった。BML制作組の棟梁は、キヤノンから来たあのHa氏で...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの7 売らねばならない商品への自信をなくした

日本でBSデジタル放送が始まったのは2000年12月1日午前10時である。その日、私たちデジキャス一同は会社のテレビの前に集まり、固唾を飲んで10時を待った。そのころ、営業局にはス...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの6 私が営業局長に就任した

楽しくて痛いラスベガス出張から帰国した私は、再び営業活動に力を入れた。16枠を売りきらねばならない。デジキャスはBS放送の933チャンネルを使った。ここでデータ放送を流すには、まず...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの5 ラスベガスとモルヒネと腰痛と

死ぬような思いでトイレを出てきた私を、同僚が、手持ちぶさたそうに待っていた。彼は、私を見るなり心配そうな声でいった。「どうしたんだ、えらく青い顔をしているが」   「いや、中でさ、...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの4 ラスベガスで腰痛が悪化した!

なるほど。ああいうのをウンの尽きというのか。私がラスベガスで陥ったみじめな状況を、時間を経て振り返っての感想である。痛い思いをし、苦しみ悶えたのは私自身であったのに、いま思い起こす...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの3 サンノゼに行った

営業に動き回る日々を送っていた2000年4月、私にラスベガス出張の命令が朝日新聞から突然下った。すでにデジキャスの社員になっている私に、朝日新聞が出張命令を出すとは、いったいどうい...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの2 デジキャスの営業担当になった

デジキャスが開局する少し前、私はテレビ朝日から来た社長、Oさんに呼ばれた。「大ちゃん、君はどんな仕事をする?」そうなのだ。デジキャスに記者の仕事はない。さて、私はこのデータ報道局で...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 デジキャスの1 デジキャスが始動した

デジキャス=デジタルキャスト・インターナショナルが生まれたのは、2000年2月3日である。前にも書いたが、日立製作所、富士通、キヤノンが5億円ずつ、さらにエヌ・ティ・ティ移動通信網...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の8 大道さん、あんたはどうなんだ?

私の出向が言い渡される少し前、データ放送会社の社長が決まった。テレビ朝日のO氏である。私と同僚のKo君は、「データ放送に最も詳しいのは我々2人だ。ここはO氏に会い、データ放送の仕組...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の7 電子電波メディア局次長にご意見申し上げた話

マーケットリサーチのチームは、私たち朝日新聞組2人に加えて、テレビ朝日、ABC、名古屋テレビなどからも人が集まり、総勢10人ほどいた。手分けをして約200社の企業を回り、感触を探っ...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の6 ハイビジョンと軍事

デジタルデータ放送局の設立準備。具体的にいえば、そのようなメディアを使いたいという企業が世の中に存在するかどうかを調べることだった。そんな市場が果たして日本にあるのか。市場調査をす...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の5 デジタルデータ放送局に関わった

もうひとつ仕事ができた。デジタル・データ放送局設立の準備である。ご存知の通り、BSデジタル放送が日本で始まったのは2000年12月1日である。この日に向けて朝日新聞は、この電波を利...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の4 系列局の経営分析に取り組んだ

朝日新聞電子電波メディア局のなんとか部長とは、なんと気楽な稼業か、と呆れていらっしゃる方々も多かろう。確かに、ただ役員会議に出席したあとは宴席に連なって酔っていればいい。各局は年に...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の3 テレビ大分と大分の話

テレビ大分に行くには大分空港まで飛行機で飛ぶ。大分空港は国東半島にある。テレビ大分がある大分市までは、別府湾沿いにぐるりと遠回りして車で行くか、ホバークラフトで別府湾を直進するか、...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の2 山口朝日放送に行く

山口朝日放送に行くには、宇部空港で飛行機を降りることになる。宇部市から山口市までは結構距離がある。タクシーで行って会社に請求する手もあったが、何故かバスを使った。確か、どこかで乗り...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 電子電波メディア局の1 琉球朝日放送に行った

さて私は、電子電波メディア局のなんとか部長になった。前回書いたように、与えられた仕事は朝日新聞が出資しているローカルテレビ局を、出資者の立場から管理・監督することである。とはいえ、...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の44 ペンを手放す日が来た

経済部におさらばする時がやって来た。記憶を整理すると、1998年ではなかったかと思う。それとも1999年だったか。ある日、経済部長に呼び出しを受けた。勤務時間中に経済部長に呼び出さ...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の43 経済同友会夏のセミナー

経済同友会は毎年夏、軽井沢でセミナーを開いていた。会員である経営者の勉強会である。我々財界担当記者も、このセミナーを取材するために軽井沢に出向いた。軽井沢は避暑地である。標高900...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の42 記者会見は公の場である

記者には様々なタイプがある。記者会見で質問しない記者がいる。このタイプは2つに分かれる。1つは、「俺の関心事を他社の記者に知られてなるものか!」という記者である。夜討ち朝駆けを繰り...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の41 帰国の2

〈ポーランド = あれこれ〉 ワルシャワの町を見る暇がない。取材で人に会いに行く車の窓からながめる程度。だからワルシャワという町については何もわからない。分かったのは車の多さだけ。...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の40 帰国の1

ここから先はワルシャワでパソコンに入力しながら送信の時間がなく、帰国後に送ったメールを元にしているようである。中欧取材旅行の断片的な印象記のようなものだ。✖️     ✖️    ...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の39 小林一茶

今回は、中欧取材旅行報告の山場であります。名付けて「日欧文化比較論」。もちろん、掘り下げた考証を重ねる知識などありませんが、中欧を旅して感じたままを書き連ねたものです。【10月15...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の38 シュコダ社での取材

【10月13日】6時前に目が覚めた。メールを書き、荷物をまとめ、7時半頃朝食を取りに町に出た。ところが、どの店も開店は8時。それを待っていては予定に間に合わない。仕方なく、本日も朝...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の37 クッ、クッ、クッ

【10月12日】昨日の続き。このホテルは、ゴクミ(国民的美少女=後藤久美子)とアレジも泊まったそうだ。だから何だということもないが。(解説)あの国民的美少女は、いま、どこで、何をし...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の36 国立オペラハウス

私は、ブダペストで経団連の一行から離れ、独自取材の旅を始めた。「折角旧東欧に行くのなら、独自取材してさ、ソ連のくびきから離れた国々が、いまどうなっているかを書きなよ」と勧めてくれた...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の35 マイケル・ジャクソンの新婚旅行

【10月10日】まず、ルーマニアで書き残したことを少々。ここもパトカーの先導で、バスで移動した。いや、実に速い。ちなみに、パトカーはフォルクスワーゲン・ヴェント。これが先頭に立ち、...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の34 トイレットペーパー

【10月8日】 P.S.(解説)P.S.=追伸迎賓館のトイレットペーパーは博物館ものだ。新聞紙ほどではないが、固い。不揃いでもある。丸くロールし、下上でカットすれば、両端はきれいに...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の33 ルーマニアの迎賓館

【10月8日】7日は午前5時半起きだった。6時にラゲッジダウンして、7時にホテルを出てフランクフルト空港へ。ドイツの朝は遅く、8時をすぎても夜が明けない。真っ暗な中での移動である。...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の32 なぜか、ワーゲン

【10月6日】 ドレスデンのホテルから、バスで南西に走り、フォルクスワーゲンの工場があるツヴィカウへ。工場を視察。新型パサートの組立工程を見る。ゴルフIVもこの工場で作るというが、...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の31 プラハを歩く

【10月4日】 まず、昨日。午前中、プラハ城、カレル橋を見学。ゴシック様式の壮大な城、内部の造作、ステンドグラスに西洋の感性を見て取った。金閣、銀閣を美の極致とする日本人の感覚から...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の30 チェコのビールは美味かった!

財界担当は2〜3年続いたと思う。経済部記者としての最後の担当になり、50歳にして取材現場から外されるまではずっと財界担当だったのだから、その程度のはずである。その財界担当記者として...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の29 平岩さんは色っぽい爺、であった

平岩さんの会長室の執務机の上には、常に10数冊の本が平積みしてあった。恐らく、これから読もうという本なのだろう。私が会長室に入ると、平岩さんは眼鏡をかけながら立ち上がり、「大道さん...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の28 平岩外四さんと親しくなった

もう一度平岩外四さんに触れておきたい。東京電力会長で、第7代経団連会長だった平岩さんである。前に書いように、私が平岩さんを初めて訪ねたのは、豊田経団連会長の後継人事が取り沙汰されて...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の27 経団連会長に必要なお金

歴代の経団連会長を並べてみよう。初代:石川 一郎 (日産化学工業社長)第2代:石坂 泰三 (東京芝浦電気社長)第3代:植村 甲午郎 (経団連事務局)第4代:土光 敏夫 (東京芝浦電...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の26 夏の経団連フォーラム

経団連は毎年夏、御殿場の経団連ゲストハウスで夏のフォーラムを開いていた。会長をはじめとした幹部が揃って出席、講師を招いての勉強会である。財界担当記者はそのフォーラムを取材するのも仕...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の25 神田取材センター

少し矛先を変える。財界を担当している間、私のたまり場は神田取材センターだった。取材先に部屋と電話を提供されているのがほとんどの記者クラブである。その記者クラブへの批判は年々高まって...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の24 名社長の条件

財界を担当して、最大の仕事は経団連会長人事だったのかもしれない。いろいろと経済団体の提言などを記事にしたが、あまり記憶に残っていないところをみると、それほどたいしたものではなかった...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の23 今井さんは引き受けてくれるでしょうか?

抜かれた。抜かれたら、追いかけて記事を書かなければならない。だが、外はまだ真っ暗。草木も眠る丑三つ時である。なにしろ、まだ午前3時半である。電話をかけていい時間ではない。取材先の目...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の22 私は経団連会長人事を抜かれた

豊田章一郎さんからバトンタッチを受けて第9代経団連会長になったのは、新日鐵会長の今井敬さんである。私はこの会長人事を抜かれた。取材は重ねた。財界人と呼ばれる人たちに会い、何となくの...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の21 鉄は産業の米か

経団連会長の任期は1期2年である、豊田章一郎さんが2期目に入った1996年からは、誰が次の財界総理になるかが関心を集めた。私も財界担当記者の端くれである。人事などにはあまり関心はな...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の20 財界と企業献金の話

財界を取材する上で、企業の政治献金の話は是非ものである。経団連は長い間、政治献金の取りまとめ役だった。経団連が各業界団体ごとに献金額を割り振り、それを受けた業界団体が傘下の企業にさ...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の19 豊田経団連会長の追い出しコンパ その2

追い出しコンパ当日。私が提案し、私が企画し、私が動き回って実現した宴会である。進行役も当然私の仕事になる。追い出しコンパ、別命送別会の決まりものは、送別の辞である。ここは記者クラブ...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の18 豊田経団連会長の追い出しコンパ その1

勢いに乗って、豊田章一郎さんの話を続ける。豊田章一郎さんが、平岩外四・東京電力会長のあとを継いで経団連会長に就任したのは1994年5月のことである。1998年5月まで2期4年務めら...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の17 豊田章一郎はプロレタリアートか?_

前回は、豊田章一郎経団連会長の発言を批判した記事について書いた。新聞記者には批判精神は是非ものである。しかし、良いものを良いと認めるのも新聞記者には必要だと私は考える。今日は、豊田...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の16 規制緩和と車検制度

規制緩和が当時の流行語だったことは前回書いた。そんな時勢柄、経済団体の記者会見では、規制緩和がらみの質疑応答が繰り返された。日本は規制が多すぎる、というのが財界の主張だった。国が、...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の15 私は財界担当になりました

私は財界担当になった。取材対象は、経済団体連合会(経団連)、日本経営者団体連盟(日経連)、経済同友会、日本商工会議所である。これを経済4団体といったが、経団連と日経連は2002年に...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の14 また建設省担当にになった

経済部長は約束通り、6ヵ月で私を経済部に呼び戻した。新しい担当職場は、再び建設省だった。「またかよ!」と思わぬでもなかったが、私にはどうすることもできない。そういえば、1回目の建設...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の13 新年1面企画を書けと命じられた

私が記事審査室員になったのは10月。半年の約束だから、翌年3月までのおつとめだ。そう思っていたら、11月末頃、経済部長から呼び出された。「君、大道君、すまないが、新年の1面企画に加...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の12 記事審査室に異動になった

「大道君、記事審査室に行ってくれないか?」と経済部長に言われたのは、ウイークエンド経済のデスクを務めて1年近くたった頃だったと思う。記事審査室とは、日々の朝日新聞の記事を審査する部...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の11 あの日は忘れられません

朝日新聞社のコアタイムは、9時〜17時、10時〜18時の2本立てだった。職場の実情に応じて、どちらかを選ぶ。というのが立て前だが、編集局には通用しない。どれほど働こうと働くまいと、...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の10 デスクという仕事

①ウイークエンド経済編集部にはデスクが2人いて、週替わりでフロント面を担当した。②ウイークエンド経済は土曜日の夕刊に掲載される。原稿の締め切りは土曜日午前中である。③新聞記者とは、...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の9 2冊の本が届きました

先日Amazonに注文した栗原さんと赤池さんの本が届いた。「お医者さんの食卓」(朝日新聞社)と「ものづくりの方舟」(講談社)である。「お医者さんの食卓」はあとがきによると「この本は...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の8 山本夏彦さんのこと

ウイークエンド経済時代の話を書いている最中に、「ウイークエンド経済」を論じた文章にぶつかった。再読を始めた山本夏彦さんの著作、「愚図の大いそがし」という本である。そのものズバリ、「...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の7 タクシー運転手を殴ったヤツがいた

おかしなウイークエンド経済部員がいた。いや、おかしいというのは私の主観である。他の人から見たらおかしくはないのかもしれないし、本人はいたってまともだと思っているに違いない。だが、私...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の6 十読しても分からない原稿と格闘した話

栗原さんと赤池さんは私が発掘したコラムニストである。当然私が担当する。毎週締め切りまでに原稿を受け取り、必要があれば直しを入れ、商品になる原稿にして紙面化する。とはいえ、お2人の原...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の5 「ものづくりの方舟」の話

栗原さんを初めて訪ねたのと並行して、私は赤池学さんとも会った。I 編集長に渡された「メルセデス・ベンツに乗るということ」という本を読み終え、彼の文章に惹かれた。机の前で正座し、姿勢...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の4 「食楽考」は素晴らしいコラムだった

次は「食」である。八重洲ブックセンターで私は、これは、と思える2、3冊の本を買った。その中に書名は忘れたが栗原雅直さんの本があって、実に面白かった。しかし、奥付を見ると栗原さんは精...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の3 コラム欄の新設を命じられた

当時のウイークエンド経済の編集長をIさんといった。東大卒。私などとても及ばないほど頭のいい人ながら、出世欲は極めて薄い、尊敬に値する数少ない先輩だった。「大ちゃん」とある日呼びかけ...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の2 初めての老眼鏡を買った

人の記憶とは不思議なものである。古いことはよく覚えているのに、新しくなると徐々に記憶が混乱してくる。そしてある時点から再び記憶が鮮明になり、その先は再び想い出がぼやける。そんなこと...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の1 妻女殿が入院した

さて、3度目となった私の東京での仕事は、悲惨な話から始めなければならない。私が東京に帰任した直後、妻女殿が入院されたのである。膠原病の症状が急激に悪化したのだ。私の車を使ったのか、...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の70 朝日新聞の珊瑚礁事件

申し訳ない。またまた「2度目の東京経済部」に舞い戻った。書きわすれていたことを思い出したのである。朝日新聞が激しいバッシングにあった「珊瑚礁事件」である。思わずバッシングと書いてし...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の69 ウイークエンド経済ではこんな記事も書いたのです

そろそろ「ウイークエンド経済」におさらばしようと思っていたら、「ああ、こんなこともやったな」という記事が切り抜きから現れた。ご紹介したい。1つは1990年7月2日に、東西ドイツの通...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の68 宮路年雄という人

足繁く、とまではいわないが、私は結構頻繁に城南電機を訪ねた。宮路社長がいればすぐに社長室に入って雑談を始めるが、たまに社長が外出中のことがある。そんな機会を重ねるうちに、事務方の女...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の67 城南電機は安い!

「ビジネス戦記」は、いわゆる聞き書きで作り上げる。私たち記者が取材先から話をうかがい、取材先に成り代わってその話を原稿に起こす。もちろん、どんな話から始めるか、話の流れをどう構成す...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の66 宮路社長を我が家にお招きした

宮路社長にはよくご馳走になった。「お返しを」といっても、応じてくれる人ではない。飲んだ後の支払いは必ず宮路社長だった。これはいけない。取材先と仲良くするのは記者のイロハだが、ご馳走...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の65 防弾仕様のロールス・ロイスが中古車になった

城南電機、宮路年雄社長のロールス・ロイスの話を続ける。「お父さん」と私に声をかけてきたのは、確か長男だった。「城南電機の社長さんはロールス・ロイスに乗ってるんだよね」ほう、私は息子...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の64 ロールス・ロイスの後部座席に乗った

そんなことを繰り返しながら、だが、私と宮路社長の仲は急速に接近した。どうやら私は宮路社長のお眼鏡にかなったようだった。「大道(ダイド)さん、飲みに行こ」そんな誘いを何度も受けた。行...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の63 宮路社長を記事にした

家電品の価格のからくり、流通の問題は是非記事にしたいテーマだった。どんな仕組みがあるから販売店によって小売価格が違うのかを暴露したメディアは、私が知る限りそれまでなかった。それを書...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の62 城南電機の宮路年雄社長に会った

この頃私は、家電製品の価格のからくりを知りたくて仕方がなかった。同じメーカーの同じテレビで、量販店と町の電気屋では価格が違う。そりゃあ、小さな町の電気屋と量販店では売れる台数が違う...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の61 カタログ、というコーナー

「カタログ」というコーナーも、ウイークエンド経済の定番だった。故花森安治氏を真似たわけではないが、商品を自分たちでテストしてその結果を記事にしようというのである。聞くところによると...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の60 桝谷英哉さんにコラムの連載をお願いした

クリスキットの桝谷英哉さんにコラムの執筆をお願いしたのも、ウイークエンド経済だった。もちろん私が話を持ちかけ、了解を頂いて始めた。桝谷さんはクリスキットを設計した人である。自分で作...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の59 「マイポケット」の話

ウイークエンド経済の紙面はフロント面だけではない。ほかにもいろいろな趣向があった。その1つが「マイポケット」である。著名人に財布の中身を入口にして経済観念を語って貰おうという主旨だ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の58 ウイークエンド経済は楽しい!

福岡で起きたことは「編集部調査報告第2弾」で読者に伝えた。それで終わっても良かったのかも知れない。だが、ウイークエンド経済編集部内には何だか物足りないという空気が漂った。これだけで...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の57 福岡のマンション狂想曲

フロント面で中古マンションの価格動向を特集したことがある。このころ、中古マンションは全国的に値下がりしているといわれていた。本当だろうか? というのが私たちの思いだった。「編集部調...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の56 ウイークエンド経済

ここまで書いてきて、大変な間違いをしでかしていたことに気が付いた。2度目の東京勤務のことである。実は最後に担当したのは経済企画庁ではなかった。そのあと「ウイークエンド経済」の担当に...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の21 東京の部長には嫌われていたらしい

2度目の名古屋勤務は3年半の長きにわたった。長男はこの間に高校を卒業し、みごとに1浪の身となっていた。長女は国立音楽大学附属高校の2年になり、次女は地元の公立中学生である。月に1度...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の20 それにしても、加藤会長という人は……

それにしても、である。加藤東海銀行会長に対する周りの評価は驚くほど低かった。「だが、名古屋財界のトップと言われる名古屋商工会議所の会頭になっていたではないか。評価は高かったのでは?...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の19 忘れていたが、東海銀行にはもう一つ事件があった

年末に次女一家がやって来た。ファミリーレストランで一緒に食事をするだけの短い滞在だった。両親、つまり我々夫婦の老い方を観察に来たらしい。なししろ最近は、妻女殿が子どもたちの来訪を拒...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の18 見た目にも気をつけないと

名古屋では、意図した訳ではないが、クリスキットの普及にも一役買った。「えっ、このスピーカーはどこのですか?」と問いかけたのは名古屋経済部で一緒だったYa君である。その日、確か「俺の...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の17 父親不在の家庭

単身赴任中、私は月1度の割で横浜に帰省した。移動はマイカーである。当時の愛車は紺色のホンダ・アコードだった。初めて買った「新車」で、5グレードのうちのちょうど真ん中、上から数えても...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の16 採用面接で素敵な青年に出会った

この若者となら、是非一緒に仕事がしてみたい、という受験生が1人だけいた。名古屋大学の男子学生だった。志望動機、朝日新聞を選ぶ理由、入社後の希望、どんな記者になりたいのか。入社面接な...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の15 入社試験の面接官になった

仕事といえば、これも仕事である。ある年、私は入社試験の面接官を仰せつかった。私が入社試験を受けた時の話に書いたが、朝日新聞は筆記試験で足きりをした後、面接で最終選考する。私が受験生...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の14 News That’s Fit to Print.がない時は

All the News That’s Fit to Print.これはニューヨークタイムズのモットーである。国際金融の取材でニューヨークを訪れた時、確か新聞輸送用のトラックに書い...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の13 トヨタ自動車の飲み友だち

トヨタ自動車広報課長のYaさんと飲み友だちになるのにたいした時間はかからなかった。私はできるだけトヨタ自動車に人脈を作りたい。広報課長であるYaさんは逆に、記者に人脈を築くのが仕事...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の12 技術者の率直さ

「あ、みんな気が付いてはいるんだ」技術者たちとの、まずは名刺交換、おずおずとした自己紹介で始まり徐々に熱が高まって約2時間ににもわたった懇談を一言に要約すれば、そうなる。私がトヨタ...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の11 渡辺捷昭さんと仲良くなった

トヨタ自動車取締役の渡辺捷昭(かつあき)さんと初めてお目にかかったのは、野村證券名古屋支店の若手に示唆されて間もなくだったと思う。まずは豊田市の本社で会い、すぐに「飲みましょう」と...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の10 足首が半年間も痛かった話

ここまで書いてきて、名古屋に2度目に赴任してから後しばらくの記憶が曖昧なのに気が付いた。名古屋には3年半いて東京経済部に戻るのだが、名古屋時代、そして東京に戻ってからしばらくの間、...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の9 松永亀三郎さんのこと

私が2度目の名古屋在勤時代、中部電力会長だった松永亀三郎さんのことを書いておきたい。東海銀行の不正融資事件が起きた時、中部経済連合会会長も務めておられ、財界人としてこの事件をどう見...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の8 最高権力者の出処進退

長期戦だった東海銀行不正融資事件もほぼ終幕が見え始め、朝日新聞は連載を始めた。事件の総まとめである。取材チームがそれまでに集めた情報をまとめ、全体像を描くのが主旨だったと記憶する。...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の7 敵と味方

私たち、朝日新聞チームの取材が進み、東海銀行の恥部ともいえる話が紙面を飾ることが重なると、敵が増えてきた。東海銀行幹部が朝日新聞幹部に善処を申し入れに来たことはすでに書いた。それだ...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の6 阿呆なデスクがいた話

名古屋経済部には2人のデスクがいた。デスクとは記者が書いてきた原稿を、新聞に掲載するに足る商品に仕上げる仕事である。だから、立て前としては記者以上に優れた原稿を書く能力を備え、記者...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の5 今度は名古屋経済部長と喧嘩をした

東海銀行秋葉原支店の不正融資事件の取材はずいぶん長く続いた。3ヵ月? 6ヵ月? 記憶ははっきりしないが、やがて長期戦で取材チームが疲弊してきた。それはそうである。この取材に取りかか...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の4  東海銀行の不正融資事件

それにしても、私は東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)とは、何か不思議な縁で結ばれていたようである。1回目の名古屋勤務では札幌支店長が外国銀行に頼まれ、融資の紹介状を書いた事件を追いか...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の3 独り暮らしの基礎が出来た

昼食はスパゲティが多かった。まずは麺を茹でなければならない。うどんやラーメンの麺と、スパゲティの麺には基本的な違いがある。うどんやラーメンは麺に塩を練り込んであるが、スパゲティに塩...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の2 朝食は作りダメルことにした

確か、ちょうどその頃だった。書店を散策していた私は1冊の本に出会う。「丸元淑生のシステム料理学」という文庫本である。宮沢りえちゃんのヌード写真集「サンタフェ」が書店に並んだ日だった...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の1 独り暮らしの基礎は食事である

前回の名古屋勤務は家族を伴っていたので、名古屋市千種区に会社が借り上げている3DKのマンションに入ったが、今回は私1人である。鶴舞公園近くのワンルームマンションが会社が用意した住ま...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の55 私が「忙しい」を口にする人間を信用できないわけ

再び東京を離れることになった。行き先は名古屋である。しばらく前に、経済部長と喧嘩をしてしまったことは前回書いた。東京経済部から名古屋経済部。何となく左遷の臭いがある人事である。さて...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の54 実力部長と喧嘩をしてしまった……

記者会見が始まった。経済部長の友人は大学教授(確か、筑波大学だった)を連れていた。この教授の研究を発表するらしい。地価を引き下げる方策——それは、不動産を小口の証券にすることだった...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の53 記者クラブというもの

「大道君」と経済企画庁の記者クラブに電話をよこしたのはHa経済部長だった。部長直々の電話、何事ならんと身構える。「実は、ちょっとお願いがあってね」業務命令ではなく、お願い、ってか?...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の52 高天原景気

民間出身初の女性閣僚として高原須美子さんが経済企画庁長官に就任したのは、記録を調べると1989年8月のことである。記者クラブでの就任会見に出た記憶があるから、当時はすでに経済企画庁...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の51 日本経済の曲がり角

バブルといわれた時代、日本の株価は天井知らずの上昇を続けていた。日経平均株価は1989年12月29日。38,915円87銭の史上最高値をつけた。「まだまだ上を行く。目標は5万円だ」...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の50 ワープロの話

経済企画庁は経済官庁である。その活動で、もっとも注目されたのは四半期別GDP速報(当時、QE=Quick Estimateといっていたように記憶するのだが、ネットでQE、Quick...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の49 こんな訂正もありました

思わず、「ウッソー!」と言いたくなる訂正記事の話をご紹介しよう。経済企画庁担当の間に起きたことである。「大道さん、こんなペーパー、関心ある?」ある局長の部屋に入り込んで雑談をしてい...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の48 3回連続で訂正を出してしまった

次の担当は経済企画庁(現在は内閣府の一部)だった。就任したのは1990年前後だったと思う。実質はともあれ、経済企画庁は国の経済政策全般を司る官庁である。つまり、数字いじりを仕事とす...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の47 「銀座のクラブにご招待しよう」とMoさんは言った

そろそろ証券業界担当から離れなければならない。その前に、1つだけ書いておきたいエピソードがある。最初のキャップ、Moさんの話である。ある土曜日だった。その日は私が出番で、ひとりで記...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の46 落ちこぼれる?

証券業界を担当した2年ほどの間、私は結構身を入れて仕事をしたと思う。ところが、あのインサイダー取引事件を除けば、あまり記憶に残る仕事がない。多少記憶に残るのは新規上場株の問題ぐらい...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の45 インサイダー事件の報道合戦に圧勝した

朝日新聞が先鞭をつけ、新日鉄幹部の株取引手口をすっぱ抜いて盛り上げたインサイダー取引事件は、その後も取材競争が続いた。そして朝日新聞は先行逃げ切りを達成した。事件の節目節目で特ダネ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の44 インタビューは出来なかった

「そんな! あなたは取材を受けると約束したじゃありませんか!」といってみたところで、どうにかなるものではないことは分かった。しかし、ではどうする? 脅すしかない。「そうですか。では...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の43 インタビューのアポイントを取り付けたのだが

インタビューをするには相手の協力がいる。口を開く気がない相手ではインタビューは成り立たない。つまり、私が書きたい記事を書くには、インサイダー取引をした新日鐵幹部に連絡を取り、インタ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の42 インサイダーを特定できた!

「新日鉄の本社って、丸の内でしょ。提携の担当者だったら本社にいるはず。だから、山一証券で株を買ったのなら丸の内支店だと思ったのね。具合のいいことに、丸の内支店には可愛がっている後輩...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の41 「大道さん、ちょっと来ませんか?」

しかし、である。新日鉄と三協精機の提携にからんでインサイダー取引(当時はまだ犯罪ではなかったが)があったことは、すでに報じられている。では、この後何を取材して書いたらいいのか?考え...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の40 キャップに抜かれた!

さて、仕事の話を書こう。いや、田淵さんと仲良くなることも大事な仕事だったが、ここから書くのは仕事らしい仕事である。1988年の8月のことだった。私は1週間の夏休みをとっていた。その...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の39 野村證券のあれこれ

私が証券業界担当になったとき、「野村證券に食い込むのは無理!」と、お節介にも私にアドバイスした先輩諸氏がいたことはすでに書いた。「そんなものなのか」と思いながら、とにかく田淵社長に...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の38 どうしてコンサルなんかを使うんですか?

そろそろ、田淵さんの話を終わられねばならない。田淵さんを追い回していた証券担当のころ、私はカバンに小さなノートを入れていた。田淵さんの言葉を記録するためである。書き込むのは田淵邸を...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の37 次女の結婚式に参列していただいた

東京・駒沢の田淵さんのマンションに我がファミリーが初めてお招きいただいたのは、確か正月だったと思う。「大道君、先日は御世話になった。家族の皆さんでうちに来てくれないか」私たちがお招...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の36 田淵さんと「割り勘」で飲むようになった

浪人になった田淵さんに久々に電話を入れたのはいつだったろう?「田淵さん、お元気ですか。たまには一杯飲みませんか?」電話口からは田淵さんの元気が声が聞こえてきた。「おお、大道君か、久...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の35 田淵さんと塩野七生さんを繋いだ話

田淵社長には文化に貢献したいという夢があった。社長在任中、世界中の音楽家の卵を札幌に集めてPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を立ち上げたのである。野村證券が財団を...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の34 野村證券支店長研修に1日とちょっとだけ参加した

田淵さんの話を続ける。ある時、田淵さんが突然いいだした。「俺は野村證券を理想の会社にしたい。目先の売り買いしか考えない株屋の集まりではなく、常識、良識を供えた金融の専門家集団にした...