09.19
とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第16回 :客とは
私は前に、桝谷さんは「君子」であったと書いた。しかも、同じタイトルで3回も連載した。
しつこかったかもしれない。
だが、桝谷さんが「聖人」であったと書いたことはない。
桝谷さんは、普通以上に怒る人だった。喧嘩をする人だった。こういう人を普通、瞬間湯沸かし器という。
「あんさん、困りまんのや」
「はあ?」
「あのですなあ、ファックスをいただくときは、必要なところだけファックスしてくれまへんか」
「いや、あのう、どういうことですか?」
「あんさんはなあ、A4の紙の上3分の1しか文字書かんと、そのままA4の紙を1枚おくって来ますやろ」
「はあ、お知らせすることがそれだけしかないときはそうですね」
「あれが困りますねん。文字の書いてあるところだけ切り取ってファックスしてもらえると、うちの方ではそれだけしか出て来まへんのや。紙が節約できますのや」
「はあ、しかし紙代といっても、それほど高いものではないでしょう」
「何言うてますねん。そやから大企業の人は嫌いや。何とか様宛、なんていう表紙までつけて来よるアホが多いんだ。そんなん、1枚目の右上にチョコチョコっと書いとけばすみますやろ。それで、そっちの紙が1枚とこっちの紙が1枚助かりますのや。資源の無駄はできるだけ減らさないかんのです!」
怒られた。クリスコーポレーションにファックスを送るときだけは、紙を切るようになった。
パソコンからファックス送信をするようになると、何とか文章を引き延ばしてA4の紙全体に文章があるようにした。
つまり、私はあまり反省をしていない。地球環境への思いやりを持たぬバカか、結構したたかな人間であるかのどちらかである。
謝ってさえおけばすむ時はそれでいい。でもこちらが引き下がれない場合もある。
少なくとも3,4回は喧嘩をした。喧嘩をすると、3,4ヶ月の間、没交渉になる。電話もかかってこない。
そして、突然電話がかかる。
「ああよかった、いてはりましたか。桝谷ですけどな」
何もなかったかのような会話が始まる。
ご家族によると、喧嘩をすると、後で深く反省されていたとのことだ。
桝谷さんの辞書には、「潜在顧客」という言葉はなかった。
「潜在顧客」とは、まだ客にはなっていないが、いずれ客になる可能性のある消費者のことをいう。
「変な電話がかかってきて困りますのや」
といっても、痴漢まがいの電話がかかってくるのではない。桝谷さん相手にそのような劣情を催す人がいたら、かなりの変わり者である。
桝谷さんによると、「変な電話」の一例は次のようなものだ。
「はい、クリスコーポレーションですが」
「あ、お宅がクリスキットというアンプを売っとる会社ですな。あんさんが桝谷さんでっか?」
「はい、桝谷ですが、どのようなご用件ですか?」
(余談)
電話の応対を、不思議なことに桝谷さんは標準語で始める。
勢いがつくと関西弁になる。
「いやな、ワシもクリスキット使こうたろかと思って電話したんやけどな」
「は、どこでクリスキットをお知りになったんでしょうか?」
「どこで知ろうとエエやないかい。とにかく買おう、いうとんねん」
多分、この辺から桝谷さんは切れ始める。
「いや、私どもは、どこで私どもの製品がお目にとまったかを分析して、これからに生かしたいものですから」
「そんなもん、忘れたわ。そいでな、ワシはいま、○○のアンプと、△△のスピーカーで、演歌聴いとんねん。CDプレーヤーは××や」
桝谷さんの怒りのボルテージは、臨界点に近付く。
「私どものクリスキットはですね、クラシック音楽を最高の音質でお聴きいただきたくて開発したものでして、演歌はいかがかと。それに××のCDプレーヤーでは、音質が保証できません。できればソニー製に取り替えていただければと思いますが」
「エエやないけ。ワシは客や。ワシがどんなプレーヤーで、何を聴こうとワシの勝手やないけ。金ならあるわ、金払うたらいいのやろ!」
切れる。
「煩いわい。客や、客やと、何ぬかしとんねん。客とはなあ、品物を売ってお金を払ってもらった人のことをいうんや。まだあんたにはクリスキットを買うてもらってない。金は一銭ももろうてない。あんたは、まだ客やない。あんたなんかに、クリスキットを使うてもらおうとは思わん。頼まれても売らん。あんたはいつまでも客にはならん。偉そうにいうのはやめてもらおか!」
「なに! せっかく買うたろいうてんのに、なんや、その態度は!」
「あんたなんかにクリスキットは使うてもらいたくないというこっちゃ!」
当然、2人は決裂したまま、電話は切れる。クリスコーポレーションの業績は伸びない。クリスキットユーザーになりそうだった人が、クリスキットに縁のない生活を余儀なくされる。
(余談)
中には、桝谷さんに怒鳴りつけられても諦めず、クリスキットを扱っている数少ない販売店に行って入手する剛の者もいた、そうだ。
私は何度も、桝谷さんに申し上げた。
「クリスキットが1台でも多く売れた方がいいのではないでしょうか? その分、経営も楽になるわけですし、第一、クリスキットで音楽を楽しむ人が沢山世の中に存在すると考えると楽しいではありませんか」
そうではない、というのが桝谷さんの、変わらぬ返答だった。
「変な客に売ると、後が大変なんですわ」
桝谷さんが「マニア」を嫌った話は前に書いた。
(余談)
私は、桝谷さんこそマニア中のマニアだったと思うのだが。
桝谷さんによる「マニア」の定義は、ものの理屈を考えず、メディアに載って押し寄せてくる情報の渦の中でアップアップを繰り返している人をいう。そう、かつての私のように、スピーカーの下に10円玉を敷いたり、無酸素銅のスピーカーケーブルを買い込むような人間のことである。
「だいたい私はですな、電話で声を聞けばおかしな人かどうかわかりますのや」
と桝谷さんはいっていた。桝谷さんによると、このような方々は、
● やたらと態度が大きい
● やたらと暗い声を出す
特に後者については、
「なんでクリスキットをお知りになりましたか、と聞きますやろ。そうすると、『10年以上前に何かの本で見て、ずーっと気になってた』なんていうんですわ。それで、『あんたなあ、町で10年ぶりに会った女の子に、10年前からあんたのことがずっと気になっとったんやが、今日セックスせえへんか、いいますんか? いうたとしても、させてもらえるわけ、ないでっしゃろ』というと、『ヘヘヘッ』と笑いますんや」
ということになる。
(余談)
桝谷さんは敬虔なクリスチャンであったはずなのだが、この下半身がらみの例え話がお気に入りであった。私は、少なくとも10回ほど聞かされた。
桝谷さんの本にも、この類のマニアの話がしばしば登場する。
最初は、クリスキットのユーザーで、つまり「客」の話。レコードプレーヤーが買いたいというので、メーカーに足を運び、技術者ととことん話し合って、これはと思う機種を推薦した。
まあ、頼まれごとにこれだけ手間暇をかける人も珍しいが、さらに、買い物の当日は、彼に電気店に足を運んでもらって、数軒ごとに電話で途中経過の報告を受けてアドバイスするという、完全サポート体制を組んだ。
驚いたことに、機種名を指定しての買い物の筈なのに、その男性からの電話内容は、その店には希望の機種の在庫がなく、ご指名の機種より性能が良いのがあると言われたがどうしようと言うのだ。『マニュアル機種かね』「いいえ、オートリピートだそうです」と、困った声が返って来た。『君はどちらにしたいのか』と尋ねると、『桝谷先生の推薦されたテクニクスにしたいのですが、店員があまりに勧めるので』ということだ。
(「オーディオマニアが頼りにする本」2より)
この人、何のために相談したんだろう?
日曜日、桝谷さんが事務所に出かけて「オーディオマニアが頼りにする本2」の原稿を書いていたら、電話がかかってきた。関東から関西に転勤するという人で、「オーディオマニアが頼りにする本」を読んだという。何の用かと思ったら、
「私が使っているレコードプレーヤーの関西地区用のプーリーが欲しいのだが、何とかならないか」
クリスコーポレーションは、レコードプレーヤーの販売店ではない。ましてや、メーカーではない。
「電話番号をお間違えではないですか?」
という桝谷さんに、この人は、
「メーカーには、そんな古い機種の部品はないそうなので、あなたに相談しようと思った」
桝谷さんは、
こんな手合いにクリスキットを使って欲しくない。
(「オーディオマニアが頼りにする本」2より)
と書いている。
もっとあるが、この程度でいいだろう。
確かに、こんな電話や手紙が沢山舞い込むようになるのは願い下げだろう。多少商機を失っても、自らの精神の安定を図った方がいいと考えても、決して無理ではない。
きちんとした説明ができる人からの電話ならまだいい。だが、多くの客は説明能力に欠けている。自宅のオーディオの調子が悪いという話を聞かさされても、それだけでは何が原因かわかるわけがない。聞いた話を自分で考えて、多分ここであろうという見当をつけることしかできない。それはストレスである。
後日、私も自分の体験で、それを思い知る。
桝谷さんの紹介で、私のところへも問い合わせの電話がかかるようになってからだ。
「プリアンプの電源が入らなくなったのですが」
「音が出なくなったんですが」
「雑音が出るのですが」
様々な問い合わせがあった。
私はサラリーマンである。平日は朝から仕事に出かける。しかも、帰宅は殆ど深夜になる。酒がしこたま体内に入っていることが多い。
平日、愚妻がこのような電話をとった場合は、私が自宅にいる確率が高い土日に電話をかけ直していただくよう言ってある。
「また電話があって、土曜日の朝9時ごろかけなおしてもらうように言っておいたから」
土曜日の午前9時。私は電話を待つ。でも、電話が鳴らないケースが殆どである。
その電話をこなしてから取りかかろうという計画がある日など、じりじりしながら電話を待つ。
商売ならば、それも仕方ないであろう。しかし、私の場合はボランティアである。相談を受けたからといって、お金をいただくわけではない。何かをお買い上げいただくわけでもない。
やっと電話がかかってきた。しかし、電話で聞いて、
「多分、ヒューズ切れだと思います。プリアンプのSwitchedと書いてあるコンセントに、外部機器をつないでいませんか? つないでいらっしゃればそれがヒューズが切れた原因だと思われます。ヒューズを取り替えて、外部機器をはずしてください」
「ヒューズって、どこについてますか?」
「アンプの後にヒューズホルダーがあります。その中です」
「どこで売ってますか?」
「ちょっと大きな電気屋さんに行けばあると思いますが」
「はあ、そうですか」
これで相談は終わりである。時には、
「ついでですが」
とオーディオについての意見を求められることもあるが、私は専門家ではない。素人談義に終わらざるを得ない。
雑音が出る、という方には、我が家まで来てもらったこともある。雑音といわれてもよくわからないからだ。そして、私のセットに接続して聴いてみる。そうすると、雑音など出ないケースが殆どだ。出ないことを自分の耳で聞いて確かめていただいてお持ち帰りいただく。
そんな手間はどうでもいい。毎週楽しみに見ているNHKのハイビジョンドラマ「武蔵」に見入っているときに電話が来て、結局殆ど見逃すことがあったとしても、クリスキットのエバンゲリストとしては、受忍限度の枠内に入っていると思う。
問題は、その後なのだ。
99%の方が、何の連絡もしてこられない。
見ず知らずの他人の、時間とノウハウをタダで利用しておきながら、その結果をお知らせいただけない。
私のアドバイスは、役に立ったのか?
私のアドバイスには、何の利用価値もなかったのか?
相談に応じた立場の人間として、当然知ってもよい情報が入らないのである。これは気分が悪い。悪い気分が続くと、次の相談を受けるとき、
「この人も、90%の人ではないのかなぁ」
と疑ってしまういやなヤツになりかねない。
時折、本当に時折、丁寧な礼状をいただくことがある。だから、いまだにそれほどいやなヤツにならずに済んでいるのである、と自分では思っている。