2005
09.21

とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第14回 :マルチチャンネル

音らかす

「5万円」の補足から始めよう。

初めてマルチセルラー・ホーンを作ったとき、桝谷という人は天才だ、と心から思った。あるいは、とんでもないヤツだと感心した。
発想が我々凡人とは全く違う。

セルラー(cellular)を辞書で引くと、「区画式の」とある。マルチセルラー・ホーンとは、前回見ていただいたとおり、いくつかの小さなラッパを組み合わせて大きなラッパにするものである。

これを、厚さ3mmのベニア板(正確には、桜材を使った航空ベニア)と石膏で作り上げてしまった。しかも、大がかりな道具は何もいらない。カッターやサンドペーパーなど、どこにでもあるものしか使わない。

(余談) 
桝谷さんは、石膏が好きである。何度も引用している「ステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方」の「新版」では割愛されているが、旧版には「レコードプレーヤーケースの製作―万能型―」という一項があった。まだレコードが全盛期だったころのものだろう。 
角材と平板でキャビネットを作り、すき間に石膏を流し込む。 
「石膏は本機の機能で最も大切なところであり」 
と書いてある。 
これが「電波科学」に掲載されたのが1977年3月号。ターンテーブルもトーンアームもないキットで2万5200円とあるから、決して安いものではなかった。 
桝谷さんが石膏を使ったものはもう一つある。ブックシェルフ型スピーカーボックスである。箱の共振を止めるのに、スピーカーを取り付ける面を除いた5面の内側に、10~15mmの石膏の層を作った。これは「新版」でも紹介されている。 
桝谷さんに、 
「私も作ってみようかな」 
といったら、 
「やめときなはれ」 
と止められた。 
ブックシェルフはブックシェルフでしかないということか。

挙げ句、キットとして販売までし始めた。自分にできたのだから、誰にでも作れると考えたのだろう。桝谷さんとはそういう人だった。

誰にでもできる? ここに誤算があった。我が畏友「カルロス」には作れなかったのが何よりの証拠である。

5万円の組立料金が歓迎され、沢山の人がヘルパーに製作を依頼するとすれば、世の中にはカルロスなみの人が多いということになる。

では、天才であったことの証明に移る。

写真1、2を見ていただきたい。この三味線のばちのような板が、小さなラッパの部品である。根元の部分が細い方が上下用、太い方が左右用だ。上下左右計4枚組み合わせて、小さなラッパを作る。

両側の微妙な曲線は指数曲線というらしい。

ここが直線なら、作業は比較的楽なはずだ。組み合わせて、そのまま接着してしまえば済む。こうしてできるラッパをストレートホーンという。

しかし、桝谷さんはストレートホーンを採用しなかった。

作りやすさからみれば、一般にストレートホーンとして知られている円錐形ホーン(木製だと角錐になるが)であるが、同じ作るなら、指数形ホーンの方が、原理的にもいいわけであるから、というので取り組んだわけである
(「ステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方」より)

わかっていながら、あえて苦難の道を選んだ。苦難の道を選んだ理由はただ1つ、

「同じ作るなら」

である。
かくして、我々は、言葉にならないほどの苦労を強いられることになる。

写真1、2をよく見ていただきたい。このままの状態では、4枚組み合わせても永遠にラッパにならない。ラッパ型に組み合わせても、4枚の板が接触するのは、開口部(幅が広い方)で4点、スロート部(幅が狭い方)で4点の8つの点だけなのだ。途中には壮大なすき間ができる。
4枚の板がそれぞれ、この曲線に沿ってカーブしてはじめて、4枚はぴったりとくっつき合い、協力し合ってラッパになるのである。

でも、どうやったらこんな微妙な曲線に沿って曲げることができるのか?

組み立て方の指導書にもなっている「ステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方」を読んで、唖然とした。桝谷という人は天才だと再確認した。
その部分を、そのまま引用しよう。

さて、組立てにかかるが、プレスその他、専門家が工作所で使うような道具や治具を使わないで組立てるのに、いろいろ試してみた。 
木の切れ端のようなものから、幅13mm、厚さ4mm、長さ45mmの治具を作る。この治具は、第3図のように、ホーンの喉のところにはさんで、ゴムバンドでとめるときのために使うものである。 
組上げたものは、文字通りラッパ状のものであるから、接着剤(木工用ボンド)が乾くまでとめておくのに締めつけようがない。これには3mm×15mm×90mmの板切れを使うのが一番いいと思う。模型飛行機屋で、3mm×15mmの桧の角材を買ってきて、90mm位の長さにペンチで切り取ったものが一番いい。これを、まず写真-4のように、仕上げたときに互い違いになるよう、ホーンの上下の板には端から35mm位、左右に当たる板のほうには55mm位のところにボンドを少量使って接着しておく。ただし、この当て木は、ホーンをマルチセルラーに組合わせるときに取り外したほうが、石膏を入れるときにやりやすいので、あまりベッタリと接着剤をつけないほうがいい。あとでパリッとはがせる位にくっつけておく。 
まず、先程の治具を使って、接着剤をつけないで、上下左右の板を、喉のところでゴムバンドでとめてから、中央より前半分位に接着剤を少量塗りつけ、ゴムバンドを沢山使ってしっかりととめていく。すかして見て、接着面にすき間が出ると、あとでまずいことになるので、ゴムバンドでしっかりと締めつける必要がある。ゴムバンドでしっかりとめると、自然に湾曲するので、あかりにすかすなどして、接着面にすき間がないかどうかをよく確かめる。

いとも簡単そうに書いてあるが、実はかなり苦労の伴う作業である。

それにしても、普通は、こんなことは考えない!
それぞれのばち型の木片のサイドにあるカーブに、別の木片をゴムバンドを使って押しつけることで、微妙な曲線を出すなんて、いったい誰が考えつくだろうか?
私には、絶対にできない。私は、庶民大衆の一員である。

と嘆きながらも、私は大枚はたいて、この三味線のばち型の木切れの集合体を購入してしまった。悪戦苦闘をせざるを得ない。

悪戦苦闘した。両手の平がボンドだらけになる。髪の毛から靴下まで木の削り屑で真っ白になる。節々が痛み出す。
が、不思議なことに、だんだんと形になっていく。形になると嬉しくなる。

削って、削って、削って、張り付けて、削って、削って、削って、
と作業を続けること、さて何日だったか。

とにかく出来上がった。それが写真3、4,5だ。

   

  当初、私はこのようにして完成したマルチセルラー・ホーンに、JBLのLE85というドライバーを取り付けた。ウーファーは同じくJBLの38センチ、LE15-Aだった。高音部と低音部を分けるネットワークは、これもクリスキットから発売されていたものを使った。

(余談) 
クリスキットのネットワークは、市販のコンデンサと特別注文のコイルを組み合わせたものだった。これを私はベニア板の切れ端に取り付け、計算から割り出した抵抗を組み合わせて使っていた。 
私がアンプからスピーカーボックス、マルチセルラー・ホーンまで作ってあげた友人(カルロス、ではない)は、いまでも私が作ってあげたネットワークを使い、JBLのドライバーと30センチウーファーでクラシック音楽を楽しんでいる。 
完成品を渡した直後、自宅に2万円の図書券と3万円のCD券(というのかどうか不確かだが、CDと引き替えることができる商品券のこと)が届いた。 
翌日、 
「こんなものをもらういわれはない」 
と彼に返した。金券は魅力的である。しかし、私としては、カッコ良さをとった。 
彼も頑固だった。それでは気が済まないと言い張った。 
確かに、立場を代えればそうかもしれない。いかに友人とはいえ、お世話になりっぱなしというのは気分の落ち着かないものである。 
「わかりました。では、これからクラシック音楽を聴きたいので、あなたが推薦するクラシックのCDを3枚だけいただきたい」 
と折衷案を提示した。 
しばらく考えていた彼は、 
4枚でもかまわないだろうか?」 
といった。推薦盤を3枚には絞り込めなかったらしい。 
私は、喜んでその申し出を受けた。 
彼は、会うたびに 
「いい音だよ。ありがとね」 
という。 
このネットワークもその後、商品ラインアップから消えた。 
「年間の販売数が3セットになった。もう商品としての寿命が尽きた」 
ということだった。 
そういえば、クリスキットのピンケーブルもいつの間にか商品リストから消えた。私は5、6本持っているが、これも売れなかったのに違いない。

しばらくは、この組み合わせに満足していた。

ところが、である。
マニアとは、とことん仕方のないものだと思う。
すでに書いたが、クリスキットには、マルチアンプシステムというものが存在している。チャンネルデバイダーと呼ばれるものが必要で、しかもパワーアンプを2台も使う。
マニアたるもの、どうしても欲しくなるではないか。

「桝谷さん、マルチにすると飛躍的に音は良くなるんでしょうか?」

何事にも慎重な私は、まず問い合わせてみた。

「いや、大したことありまへんで。強いていうなら、フルオーケストラの演奏のとき、音の分離が多少よくなる程度ですわ。ま、お金もかかりますさかい、よう考えなはれ」

マニアたるもの、多少であればこそこだわる。
なにせ、クリスキットというシステムの最高峰なのだ。どんなに望んでも、クリスキットではマルチアンプシステム以上にお金を使うことができないのである。

買った。

少し記憶が曖昧だが、チャンネルデバイダイーには、確か簡単な配線図が入っているだけで、組立要領なんてなかったような気がする。プリとパワーを作ったヤツなら、これだけあれば作れるはず、ということらしい。
おまけに、部品に極性のある電解コンデンサがありながら、基板の電解コンデンサ取り付け位置にはプラス、マイナスの表示がなかった。

こうなれば、私の実力からすれば頼りである。

(注) 
最近は、基板にプラス、マイナスの表示があるようだ。

「ふむ、こっちがアースラインにつながるようだから、マイナス極であるに違いない。音が出なかったら、後でひっくりかえせばいいではないか」

こんな頼りないことで組み立てた。
完成した。
音が出た。

「音が出たんやったら、作り間違いはありまへん」

という桝谷さんのお墨付きもいただいた。

チャンネルデバイダーは、ここから先に大変な作業が待っている。

高音用スピーカー(クリスキットでマルチチャンネルにする場合、通常はドライバーと呼ばれる特種なスピーカーを使う)の音圧を、チャンデバの基板に付いている半固定抵抗で調整しなければならないのである。そうしないと、低音部を受け持つスピーカーと高音部用スピーカーの音圧が同じにならないからだ。

「ま、1週間ほどかかるもんですわ。じっくりやりなはれ」

基板には、右チャンネル用と左チャンネル用の計2個の半固定抵抗がついている。こいつを慎重に回す。回すと、高音部用スピーカーから出てくる音の大きさが変わる。しかし、どの程度の大きさにしたら、しっくり行くのか?
特別な測定器など持っているはずもない。頼りにするのは、自分の耳だけなのだ。

「はっきりいうて、難しいですわ。まあ、できれば家族の声を録音して、それを再生しながら、その人の声と一番近いところを探すというのが一番簡単なようでんな」

残念ながら、当時の我が家には家族の声を録音する設備がなかった。

「ほな、聞き慣れたボーカルで合わせなはれ」

私は、岡林信康を使った。何度かコンサートにも出かけたことがあるからである。それでも、岡林さんの声が本当に記憶に残っているのかどうか、はなはだ不確かではあるのだが。

1週間たった。
岡林信康の声が、どうしてもザラザラして聞こえる。

2週間たった。
だめだ。どうしても、私が聴いて記憶していると思っている岡林信康の声と違う。あの、滑らかな声がどうしても出てこない。
マルチにする前は、綺麗に聞こえていたのに……。

マルチにしたことを、半ば後悔し始めた。

「桝谷さん、どうしても高音部と低音部が合いません。チャンデバを作り間違ったんではないでしょうか?」

「音は出とるんでっしゃろ? 作り間違いはありまへん。ところで、あんた、ドライバーは何を使こうてます?」

「JBLのLE85というヤツですけど」

「多分、犯人はそれや。ドライバーを買い換えなはれ。いまやったら、テクニクスの安い方で充分ですわ」

次の休日、秋葉原に出かけて、テクニクスの「45D200」というドライバーを買ってきた。定価2万8000円が、確か2割引で2万2400円だったと思う。
2割引とはいえ、左右揃えると4万4800円だ。私にとっては、安い買い物ではない。

「これでまともな音が出てこなかったら、桝谷のオヤジ、どうするか見てろ!

自分に言い聞かせて自宅に持ち帰り、付け替えた。

ウソ!

滑らかで艶がある岡林信康独特の声が、我がスピーカーから流れ出したではないか。あれほど苦しんだ調整作業も、アッという間に終わった。

出てきた音は、桝谷さんがおっしゃったとおりだった。目が覚めるほど良くなるわけではない。フルオーケストラの時の音の分離……、といってもこの程度の差かというところだ。

が、クリスキットの世界で、これ以上は望めない音である。
私は、充分に満足した。
写真6で、上に乗っているのが我が家のチャンネルデバイダーである。

 (余談)
というわけで、ネットワークを使うか、チャンネルデバイダーにするかは、その人その人の考え方次第だと思う。
が、前にも書いたように、クリスキットのネットワークはなくなってしまった。いま、クリスキットを使って、2ウェイで音楽を聴こうとすれば、マルチチャンネル以外の選択肢はない。チャンデバ1台とパワーアンプ1台を買い足さねばならない。合わせて、12万4500円である。

数年後、ウーファーといわれる低音部を受け持つスピーカーを買い換えた。JBLの38センチでは、何か余分な音が出てきているような気がして仕方がなかったからだ。桝谷さんは、30センチ以上のスピーカーからまともな音が出るはずはないと、何度も書いておられる。

テクニクスの30センチにした。締まりのある、実にみごとな音になった。

こうして、我が家のマルチチャンネルシステムが完成した。

ジャズピアニスト、マル・ウォルドロンにLeft Aloneというアルバムがある。冒頭、ジャッキー・マクリーンが吹くサックスが、静寂を破って左のスピーカーから溢れ出す。
私は、結構ジャズ喫茶に通った方だと思う。だが、このジャッキー・マクリーンのサックスを、我が家のクリスキットシステム以上に再生してくれるジャズ喫茶には、いまだにお目にかかったことがない。

桝谷さんは、ジャズもロックも聴かない人だった。

「ジャズとロックしか聴かへん、いう人が、クリスキットを欲しい言うてきましたんや。そんなん、聴いたことおまへんのやけど、クリスキットで再生しても満足のいく音になりまっかいな? その人にクリスキットをお売りしてよろしいもんやろか?」

桝谷さんに電話で問い合わせを受けたことがある。私が、クラシックよりもジャズ、ロックをよく聴くと話していたからだろう。自信の固まりのようだった桝谷さんにも、そんな一面があった。

「桝谷さん、音楽信号の再生の理論からいけば、クラシックはうまく再生するが、ジャズ・ロックは苦手、なんていうことが起きるはずがないでしょう」

「そりゃあそうですけどな、なんせ、聴いたことがありまへんよって」

「安心してください。クリスキットはジャズでもロックでも、満足できる音を聴かせてくれていますから」

こんな次第で、そのジャズ、ロック好きの方も、クリスキットユーザーになられたはずだ。

我が家では、一時は盛んであったクラシック音楽鑑賞が、最近はすっかり下火である。
我が愚妻殿がお聴きになるのは、ビートルズ、ジョン・レノン、クラプトンの御三家に加え、女性ボーカル、昔のフォークソング、といったところだ。

今朝は、Rainというオムニバスアルバムがかかっていた。

Listen to the rhythm of the falling rain
Telling me just what a fool I’ve been
I wish that it would go and let me cry in vain
And let me be alone again
(Rhythm Of The Rain by Cascades)

 そんな音楽を聴きながら家を出た。