09.23
とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第12回 :1本 24円
桝谷さんとクリスキットについて書き継いできた連載も、今回で12回目となった。ま、よく書いたものだ。ちょっと古いけど、自分で自分を誉めてあげたい。
この間、へんてこな私の連載を読んでいただいている人の数も、ほとんど倍々ゲームで伸びてきた。私にとって、物好きな人がたくさんいる世の中、捨てたものではない。
読んでいただいている方々、心からありがとうございます。
で、12回目を書き始めようとして、連載を始める前に用意しておいたメモを見てみた。
(解説)
というと大げさに聞こえますが、私のメモは、箇条書きに過ぎません。ハガキ大のわら半紙に、「スピーカーコード」「君子豹変す」など、連載を始めるときに思いついたテーマを羅列してあるだけです。ま、キーワードさえあれば、あとは何とかなるだろうと。
そういえば、人前で話すように頼まれたときも、同じ準備しかしません。
全く、大胆というか、世間をなめているというか。
その程度の下準備でも仕事がこなせるほど頭がいいというか……。
ふむ、あまり大きなテーマはもう残っていない。
これから先は、1回1回を短編にするか、いくつかのテーマをまとめて中編にするか、迷うなあ……。
クリスキットのアンプを使い始めたころ、あまりの音のよさに私は酔っていた。酔った勢いで、何度も桝谷さんに電話をした。親しくなってからは神戸まで数回訪ねた。一度だけだが、我が家に泊まっていただいたこともある。
そんな付き合いの中で、
「クリスキットって、どうしてこんなに安いのですか?」
と尋ねたことがある。
プリとメインを合わせて10万円を超すものを「安い」と表現するのに抵抗感をお持ちになる方がいらっしゃるかもしれない。しかし、私にとっては実感なのである。
それまで使っていた真空管アンプのキットに比べても安い。
買い換えを検討していた真空管アンプと比べても遙かに安い。
市販の、オーディオ雑誌で誉めあげてあるような完成品アンプに比べたら、もうどうしようもないくらい安い。
(データ)
手許にあるオーディオ雑誌をめくってみる。
オーディオ機器の紹介コーナーに出ているプリアンプは、最も安いもので19万9800円、最も高いのは、なんと140万円もする。パワーアンプは、やはり19万9800円から、最高で270万円。
一番安いもの同士を組み合わせても、プリとパワーで40万円弱、一番高い組み合わせは410万円!
ベンツもBMWも買えてしまうのであります。
知人は、音の入り口から出口まで、総額で2000万円というオーディオ装置の音を聞いたことがあるそうです。
こうなると、ちょっとした住宅が買えてしまう。
絶句です。
しかも、音はクリスキットの方がはるかにいい、と私の耳には聞こえる。
だから、自然な疑問だった。
しかし、桝谷さんにとっては意外な質問だったらしい。しばらく考えて、こんなことを言いだした。
「大道さん、あんた、アンプに使っている部品で一番高いのは何か知ってはりまっか?」
てなこと聞かれたって、私が知るわけがない。すらすらと答えられるようなら、多分違った仕事をしているはずである。
「わかりまへんか。実は、一番高いのはパワートランジスタですねん。それがいくらするかわかりますか?」
また無理な注文だ。わかるわけがないって!
「いまは特別注文したものを使うとりますが、それでも1個1,600円ですねん。クリスキットのパワーアンプは、右と左のチャンネルにそれぞれペアでパワートランジスタを使うてますさかい、合計4個使うとるわけですわ。それでパワーアンプとして十分働く。さて、このパワートランジスタをいくつ使うたら、パワーだけで50万円とか100万円とかいう値段がつく製品が作れまんねん。知っとる人がいたら、私が教えて欲しいぐらいですわ」
(注)
最近は価格事情が少し変わって、パワートランジスタは安くなっているようだ。聞いてみたら、いまのクリスキットのパーツで一番高いのは、P35-III に使っているトランスであるそうだ。それでも4000円はしないとか。
桝谷さんがいっていたように、性能を充分吟味して納得がいくもの選んでも、パーツの価格というのはその程度のものなのである。
だとすれば、その辺で売っている極めて高価な「高級」アンプとは何のか?
「メーカーが商品を売るには、たくさんの宣伝費を使わないけません。これが価格に乗ってくる。組み立ても、こりゃどうしても人手がいる。その人件費も価格に乗りますやろ。事務部門の経費も価格を押し上げますわな。そんなこんなを計算すると、いまのクリスキットを完成品で売り出したら、とてもいまの値段ではあきまへん。2倍、3倍になるのと違いますやろか」
なるほど、最小限の広告しかしなくても、クリスキットは口コミで広がっていった。それに、製作の人件費はない。ヘルパーに頼んでも1つ1万円強しかからない。そこがキットの強みである。
「私がクリスキットを、キット製品としてではなく、あくまでパーツセットとして売ってるのも、理由がありますねん。キットにしたら、それが完成するまで責任を持たんなあきまへん。作り方の問い合わせがあったり、買った人が自分で組み立てられなかったものを組み立ててやったり。そんなんに対応するには、私一人ではできまへん。人を雇わなならん。そうすると、人件費がかかります。パーツセットやから、会社としてそこまで責任を持たんでもよろしいということで、人件費が省けるわけですわ。ま、代わりにヘルパー制度というのは作ってありますけどな」
だから、パーツセットなのか。初めて知った。
「それに、音質を良くするために回路は極限までシンプルにしてありますさかい、部品点数も減るわけですわ」
ということは、
「音のいいアンプとは、安いアンプである」
ということになる。ユーザーにとっては実にありがたいことなのだ。
(注)
これは、一般論としては成り立ちにくい。
しかし、クリスキットでは実際にその通りになった。Mark8からイコライザー基板をはずしたら音が良くなった、と私が書いたことを思い起こしていただきたい。現在のMark8-Dが、価格は安くなり、音質は向上したプリアンプである。
実際、最初に作ったとき、あまりにシンプルなこと、言葉を換えると筐体の中身がスカスカであることに驚き、
「本当にこれで音が出るのかな」
と心配になったほどシンプルなのだ。
(余談)
部品点数が少ないと総重量は軽くなる。プリアンプのMark8-Dは、電源スイッチを押し込む、つまり電源を入れようとすると、滑って逃げていくほど軽い。従って私は、人差し指をアンプの角に引っかけて、親指で電源スイッチを押し込む。長年の生活の知恵である。
だが、Simple is best. がオーディオの常識なら、各メーカーともにそんなアンプを発売したらよかろうに。
特に、音を汚すことが分かり切っているトーンコントロール回路なんぞをはずしたシンプルなアンプが出たら、売れるのではありませんか?
「あかんのですわ。確かに、そんなアンプを出したメーカーがありましたわ。でも、さっぱり売れんかったんですわ。やっぱり、パネルにつまみがいっぱい付いとってね、彼女の前でくるくる回して『どや、音が変わったやろ』といえるアンプでないと、売れんようですわ。結局、こうした連中に買うてもらわんことにはメーカーは成り立ちませんから、みんなオモチャみたいなものを作るようになる。本当に『悪貨は良貨を駆逐する』ですわ」
やはり、クリスキットは世にも希なアンプである。
で、話は突然佐渡島に飛ぶ。いや、安心して読んで欲しい。読んでいただければ、これまでの話とつながる……………………、はずある。
「クリスキットで使うてます抵抗ですけどな、あれ、どこで作っとるかわかりますか?」
いまは知ってますが、その時はわかるはずはありませんです、はい。
「実は、佐渡島ですねん」
はあ、そうですか。
「抵抗というのは、セラミックに蒸着した金属被膜を、部分的にカットしたりして抵抗値を出しましてな、それをエポキシで巻きますねん。で、クリスキットで使うてる抵抗は、エポキシを巻く前に、釜に入れて8時間焼きますねん。焼いて、くっついとる水分を完全に飛ばすわけですな。そうしとかんと、経年変化でエポキシの下で金属が錆びてきて、雑音の原因になりますねん。その、焼きを入れた抵抗を作っとる工場が佐渡島にあるんですわ」
(おわび)
抵抗の話は、「番外編:プリアンプの製作」に少し登場しましたが、このだぶりは許してやってください。お願いします。
「これだけの手間をかけるわけですから、クリスキットに使うとります抵抗は、1本24円します。普通のアンプに使うてあるヤツは、焼かずにそのままエポキシを巻いただけですから、だいたい1本2円60銭程度ですわ。これがな、リード線を折り曲げられたヤツがテープにくっついとりましてな、で、機械で操作されて基板の上に来ると、すべての抵抗がぴたっと穴にはいるようになっとる。ま、自動化のためですな」
なるほど。ひどく高価な抵抗を使っているんですね。でも、抵抗値さえきちっと揃っていれば、安くいものでもいいのでは?
「先もいいましたように、焼いて水分を飛ばしておかんと、数年するうちに抵抗が錆びますねん。錆びると、ノイズが出るわけですわ。でも、どの抵抗が錆びているか、目で見てもわかりまへんさかい、手の打ちようがないんですわ。そやから、クリスキットは、高いけどいいものを使うてまんねん」
そこまで神経を使ったクリスキットのアンプは、さて何年持つのか。私が使っているやつは、すでに14年ほどたったが、最初に作ったときと同じ音質でいまでも現役である。
桝谷さんが使っていたヤツは、
「もう19年になりますが、最初に電源を入れたときに、ブーンという音が少し長く聞こえるようになりましたかな。初段のコンデンサが疲れてきとるんでしょ。でも、そのブーンが治まると、あとは全く新品と変わらない音がしてますわ。そやから、ちゃんと組み立てると、少なくとも19年はもつということですな」
この話をしたあとも、桝谷さんは亡くなるまで同じアンプを使っていた。従って、少なくとも20数年は最初の性能を維持していたことになる。
買って、毎日使って、手入れもせずに、部品の交換も無しで、20年も最初の性能を維持し、他社の最新の製品と比べても優れた性能を持つ家電品が、ほかにあるだろうか? 少なくとも、我が家にはない。
クリスキットは、究極の安い商品であると考えるのは、私だけではないはずである。
ね? ちゃんとつながったでしょう?
我が家のクリスキットのアンプでは、15年近く使っているMark8が一番古い。このMark8も、私が桝谷さんに再会するまで、同じ音質で音楽を聴かせてくれるはずである。