09.24
とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第11回 :ケーブルの話
マニアというものは、己のマニアックな心情の対象になっているものについて、とことんこだわる。隅々にいたるまで、絶対にゆるがせにしない。
釣りのマニアは、釣り竿からリール、ライン、仕掛け、釣り針は言うに及ばず、ウエア、小道具にまでこだわる。釣りの時に使う専用のライターを持っていた愛煙家の釣りマニアも、私は知っている。
このような人たちは、魚のあたりが遠のくと、道具自慢を始めてみたりする。
オーディオマニアを自認する人たちも、それぞれのこだわりがある。
私も、「とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第1回 :前史」に書いたように、こだわった。こだわり方を教えてくれる本をたくさん買い込んだ。
その挙げ句、1m1300円もするLC-OFCのケーブルを20mも買い込み、Fケーブルと並列につないで悦に入っていた。
まわりがどんなに異様な目で見ようと、マニアはこだわる。異様な目で見られれば見られるほど、のめり込む。
原宿を練り歩くコスプレ族やガングロギャルたちと、それほどの違いはない。
何がきっかけだったのかは忘れたが、ある時、桝谷さんに質問した。
「スピーカーケーブルは何を使ったらいいんでしょうか?」
あんた、どんなケーブルを使うてはるんでっか?」
(余談)
書きながら、私の書く関西弁は大丈夫かな、という気がしてきた。うーん、いちいち関西出身者に確認する時間はないし……。
大意が伝わり、桝谷さんらしい雰囲気が出ればいいということで、ご勘弁ください。
私は、自分の使っているケーブルを説明した。
「そんなもん、どうやってアンプやスピーカーにつないではるんでっか?」
仕方なく、「とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第1回 :前史」で書いたような結線のしかたを説明した。そう、私が開発した、あの、独特の工夫である。
「……」
電話から、しばらく声が聞こえてこなかった。多分、我が家か、桝谷さんの電話が故障したのだ。あの桝谷さんが、絶句などするはずがない。
やっと桝谷さんの声が受話器から聞こえ始めた。故障した電話は、故障個所を自動的に修復する機能があるらしい。素晴らしい!
「あのですなあ、スピーカーケーブルは、普通の電灯線で充分なんですわ。ほら、蛍光灯スタンドやらに使うてるヤツですわ。でも、あれではプラスとマイナスがはっきりせん。それで、プラスとマイナスを色分けしてるケーブルを使うんやけど、1m100円も出せば充分ですわ」
(即座の暗算)
LC-OFCのケーブル :1メートル = 1300円
20メートル = 2万6000円
1メートル100円のケーブル : 1メートル = 100円
20メートル = 2000円
2万6000円 – 2000円 =2万4000円!
それだけでは不十分だと思ったのか、桝谷さんはさらに言葉を継いだ。
「スピーカーケーブルは、撚り線(細い導線を何本か集めて、バラバラにならないように軽く寄り合わせてあるケーブル)の方がよろしいんですわ。心配やったら、プラス、マイナスそれぞれ60本ぐらいの線を撚ってあるヤツを買ってきたら充分です」
電灯線で充分だって?!
1m100円だって?!
アタシはいったい何をしていたんだ!
「……」
私は、絶句した。電話機の故障などではない。
「わかりました。早速取り替えます。ついで、と言ってはあれですが、やっぱりスピーカーケーブルは右と左で長さを揃えた方がいいんでしょうね?」
なにしろ、桝谷というお方は、私がオーディオ雑誌などで仕入れた、いわゆるオーディオの常識を理論と実証で覆している人である。私の中に巣くっている常識を、桝谷さんで検証しておくことは、今後のオーディオライフに大いに役立つに違いない。
教えを請うときは、あくまで頭を低く、言葉は丁寧に、である。電話だから、頭が低いかどうかは、向こうからは見えないわけだが。
「あんさん、電気の速度って知ってますか?」
おっ、また来たぞ。どうやら、やばい部分に触れてしまったらしい。
私の頭の中を引っかき回しても、電気の速度という見出しはどこにもない。光の速度、音の速度なら即座に答えられる。私がこれまでに車で出した最高スピードも、内緒にしてくれるのなら教えてもいい。
でも、電気の速度?
「すいません。ちょっと知らないようです」
居候(いそうろう)、3杯目にはそっと出し、ではないが、私には知識がありませんと告白するときは、どうしても声が小さくなる。自らの無知をあからさまにする恥ずかしい返答は、できれば相手に聞き取って欲しくないという心理が働くのであろう。
「だから、ものの理屈を考えない人は嫌いなんだ!」
と言われましてもですねえ、知らないものは知らないわけでして、電気の速度を知らなくても日常生活に不便を感じることはありませんし、第一、私は法学部の出身でありますからして、そのう……。
「教えてあげますわ。電気の速度は、光の速度と同じなんですわ。つまり秒速30万kmいうことですわ。ねえ、だとすると、左のスピーカーケーブルが10mで、右のケーブルが半分の5mでも、アンプを出た音楽信号がスピーカーに届く時間の差を人間の認知能力で検出できるかどうかは、ちょっと理屈を考えればわかりますやろ」
「ということは、ケーブルの長さは関係ないと?」
「あんさんはクリスキットを作らはったからお判りでしょうけど、アンプの中で右チャンネルと左チャンネルで配線の長さは違ってますわな。それに、むしろ、左右を同じ長さにして、余った方のケーブルをループ状にしておく方が音にとっては悪いんですわ」
桝谷さんと話していると、本当に目から鱗が落ちる。落ちすぎて、私の目には鱗が何枚入っていたんだ?! と情けなくなったものだ。
「ほかに、スピーカーケーブルで注意しなければいけないことはありますか?」
「そうでんな。ひとつだけありますわ。 スピーカーケーブルの両端は、被覆をはがしますわな。ここが錆びますねん。そやから、ここをハンダメッキしとくんですわ。難しいことはあらしません。普通のハンダ付けと同じで、ハンダごてで熱して、そこにハンダを流すんですわ。裸になった線が全部ハンダで覆われるようにしなはれ」
桝谷さんに教えていただいた、スピーカーケーブルに関する注意はこの程度だったと記憶している。
数日して、秋葉原まで出かけた。さすがに1m100円のケーブルは売っていなかったが、確か160円程度のケーブルを20m買ってきた。アンプから左右のスピーカーまで距離が違うが、どこにもループができないよう、それぞれちょうどいい長さにした。当然、左右で長さが違う。
いまもそれを使っている。
桝谷さんは実証の人だった。
桝谷さんは、ものの理屈を考えないマニアを嫌った。
スピーカーケーブルの世界で、桝谷さんが本領を発揮したことがある。
いつのことかわからない。どこで起きたことかも聞かなかった。多分、桝谷さんの本拠であった神戸か、ひょっとしたら大阪だったと思われる。
なんでも、
方向性のあるスピーカーケーブル
のデモンストレーションがあるという情報を桝谷さんは入手した。スピーカーケーブルの被覆に矢印が書いてあり、矢印の根元をアンプに、反対側をスピーカーにつなぐよう作られているという。この指示に従って正しい接続をすると音質が向上するとのふれこみだ。
しかも、価格は1m1万5000円。私のように20m買うと、何と30万円もかかる。スピーカーケーブルだけで!
「そんなばかなことがありまっかいな!」
桝谷さんは、即座にそう判断した。それまで桝谷さんが学んできた理論からも、積み重ねてきた実験からも、そんなことがあるはずはない。
同時に、自分の判断を検証しようと考えた。つまり、そのデモンストレーション会場に乗り込み、自分の耳で聞いてみるのである。
桝谷さんは慎重な人だ。
自分だけの体験と判断では、他の人への説得力が落ちるのではないかと考えた。複数の人間が聴いて、同じ結論に至れば説得力は数倍高まる。それも、一緒に検証するのは、音についてのプロがいい。
地元の交響楽団でビオラ(だったか、バイオリンだったか、楽器の名前は忘れてしまった)を弾いている友人を誘った。
「という話なんやが、あんた、付き合うてくれんかね」
こうして当日、2人はデモンストレーション会場に足を運んだ。
舞台には高価そうなオーディオ装置が麗々しく置いてある。その脇で、スピーカーケーブルのメーカーの担当員なのだろう、熱心にケーブルの優秀さを解説し、やがて、実際にそのケーブルをアンプとスピーカーに接続、音を出し始めた。
最初は、指示通り、矢印の根元をアンプに接続する。
やがて、ケーブルをひっくりかえし、矢印の根元をスピーカーに接続する。
再び、根元をアンプへ。
「このように、正規の接続をすると、音質が一段と向上したのをご確認いただけたと思います」
(注)
私は、その場所にはいなかった。桝谷さんから聞いた話によると、担当員は、というようなことを言ったのだと思われる。
だが、桝谷さんの耳には、ケーブルの接続の向きを変えても、音質は全く同じだった。
同行したプロの音楽家に聞いてみた。
「私の耳には、全く違いが聞き取れないんやけど、あんさんはどないでした?」
「うーん、私にも、同じにしか聞こえんかったなあ」
この時点で、桝谷さんは自分の正しさを確信した。
しかし、それだけでとどまる人ではない。
だめを押した。
「ひとつだけ質問がありますんやが、よろしいか?」
「はい、どうぞ。何でも結構ですよ」
まさか、会場に桝谷さんのような人がいようとは、神ならぬ身の担当員には想像もできなかったに違いない。にこやかに発言を促した。
「ほな、聞かしてもらいます。あんさんとこのスピーカーケーブルには方向性がある、ということでしたな。そこでですが、私が知っとるかぎり、銅線というのは、熱して柔らかくした銅を細い穴から押し出して作るもんです。ほかの作り方は聞いたことがありまへんので、おたくさんのケーブルもそうして作ってはりますのやろ。そやから、銅線には、先に穴から押し出された側と、後で押し出された側があることになりますな。ここからが質問なんですが、スピーカーに接続するのは先に押し出された側なんでっしゃろか、それとも後で押し出されてきた側なんでっしゃろか。ひとつ教えていただけまへんやろか」
担当員は何も答えられなかったそうだ。
最近買ったオーディ雑誌を、念のために開いてみた。
あった、あった、スピーカーケーブルの広告が。
28,000円/m
というのが一番高い。
同じ1m単位でいくと、10,000円、9,500円、8,500円、6,000円、4,000円、3,900円、3,500円、2,500円、2,000円、と続いている。
財布の都合で、2,000円のケーブルしか買えなかった人は、より高いケーブルにあこがれ続けるんだろうなあ……。28,000円のケーブルを使えば、きっと天上の音楽が聞こえてくるはずだ、なんてジリジリするんだろうなあ……。
私なんぞは、160円のケーブルで充分満足しておりますのに、まことにお気の毒というしかありません。
桝谷さん、私をバカにして、こけにしていただいたおかげで、今日の私があります。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
(P.S.)
ケーブルのことを書いたついでに、桝谷さんが怒っていたもう一つのケーブルのことも書いておきましょう。
電源ケーブルです。
「メーカーは、何であんなに太くて硬い電源ケーブルを使うんでっしゃろなあ。何の意味もないのに」
自分で「何で」という問いを発しながら、桝谷さんはその答も持っていた。
「一部のオーディオ評論家ですわ」
私がオーディオ雑誌を熟読していた頃、確かにそんな記事を目にした記憶がある。
なんでも、オーディオ機器を使用中は電源ケーブルが振動する。振動すると音に悪い影響を与えるので、振動を止めなければならない、という内容だったと記憶する。
自分でできる対策としては、電源ケーブルにブチルゴムを巻く、というのが代表的な例だった。
そのころから、メーカー製のオーディオ機器の電源ケーブルに、太くて硬いものが使われるようになった。
「雑誌にああいう風に書かれると、メーカーは『対策をしました』という製品を出さざるを得なくなる。売れな困りますからな。でも、あれ、なかなか曲がりませんやろ。オーディオ機器は壁際に設置する人がほとんどですわ。ケーブルが硬いと取り回しが不自由で、設置するのに往生するんですわ」
クリスキットのアンプ類に使われている電源ケーブルは、どこにでもある電灯線と変わりがない。壁際に設置するもの極めて楽である。