2005
09.28

とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第7回 :君子の上

音らかす

桝谷さんが君子であったことを証明したい。

君子(きみこ)ではない。

君子は豹変す

の君子(くんし)である。

 くんし 1 【君子】
   1)学識・人格ともに優れ、徳行のそなわった人。 「聖人―」
   (2)身分・官位の高い人。

(コメント)
学識、人格、徳行、身分、官位ねえ。桝谷さんを表現するには、ちょっと違うような来もするが……。

 ― ― は豹変(ひようへん)す
   (1)〔易経(革卦)〕君子は過ちをすみやかに改め、善に移ることがはっきりしている。
   (2)俗に、今までの思想・態度が急に変わること。
asahi.comの「大辞林」から

(コメント)
この(1)ですな、桝谷さんは。

雨が降ろうと、風が吹こうと、槍が降ろうと、雷が鳴ろうと、頑固に自説を曲げない親父が、ある日突然、自説を変える。豹変する

桝谷さんはそんな人だった。

まずは、軽いジャブからいってみよう。

実例1

  何時の間にやら、バブル景気の時代に、俺たちゃ金の卵だと甘やかされてきた若者のご機嫌をとるためか、忍者スタイルのブラック・コンポばかりになっているようだ。夜などは特に表示が見にくい。最近、見かけるようになったシャンペン・ゴールドなど、アルマイト加工した明るいパネルの方が、はるかにパネル表示が見やすい。ついでに述べておくが、ブラック・パネルのメリットはいったいどこにあるのだろうか。何人もの人に尋ねたが、黒でなければという理由は誰からも聞けなかった。どなたか黒の方が良いという理由を聞かせて欲しい。
(「オーディオ・マニアが頼りにする本3」より)

私のように、非常にノーマルな感性しか持ち合わせていない凡人は、なるほど流行に弱い。メーカーが次々にブラック・コンポを出してくると、ついつい

「カッコいいじゃん」

と惹かれてしまう。流行に流されてしまう。
もっとも、オーディオでは、心惹かれてもなかなか財布が許してくれなかった。我が家にあるブラック・コンポはCDプレーヤー程度である。

私のようなのが桝谷さんには許せなかったのだろう。ブラック・パネルの問題点をきっちり書いているのは、いかにも「らしい」ところである。確かに、クリスキットMark8-D や CDV-202(チャンネル・デバイダー)のフロントパネルは、アルミにヘアラインを入れた凝ったものである。

でも、ちょっと待つアルヨ!
私は、かつて桝谷さんが回路設計から始めて作りあげ、雑誌に製作記事を発表した、真空管を使ったプリアンプ「Chriskit MARK V」の初期形を、製作記事の掲載紙で見てしまった。
ぼけた写真なのではっきりしたことは判らないが、木製の箱に入ってなかなかカッコいい。いまのMark8-Dより、アンプらしい顔つきだともいえる。自分でも1台所有したくなるほどである。
ところが、どう見ても、パネルである……。黒のパネルに白い文字で
  Chriskit
MARK V

と書いてある……。

(注)
製作記事に添付された写真は、当然白黒。しかも、手許にあるのはそのコピーなので、本当に黒かどうかは断言できない。黒ではない、黒っぽい色ということもありうるのだが……。でも、どう見ても黒だよなあ。

次のモデルからは、フロントパネルは白に黒文字という、今と同じスタイルになっている。

実例2

 その写真を見ていてい、もう1つ気付いた。
なんでカッコよく見えるのだろう、ブラック・パネルのためだけではあるまい、と見つめていると、つまみが多い
9つもある。
えっ、 Mark8-Dにはプッシュスイッチを入れても7つしかないのに、と思って記事に目を通すと、

トーン・コントロール部

という見出しが目に付いた。

「クリスキットにトーンコントロール?」

といぶかりながら読み始めると、

私は原則としてトーン・コントロールは使わない主義です。高中音のバランスは各スピーカ・ユニットによってアテネータで調整することにしています。システムになっているスピーカは各メーカーがそれぞれバランスをとっているので、なおさらトーン・コントロールは不要で、コントロールしなければ音がおかしいのはスピーカが悪いか、リスニング・ルームのせいです。
どうせバイパスするのだから、トーン・コントロール回路はもともと私には不要です。しかも趣味で音楽を楽しむためのアンプです。パネル面がのっぺらぼうというのも少し淋しいので面倒だったがつけることにしました。ただし、今まで本機を含めて3台作ったプリアンプでは、過去5年間にトーン・コントロールを入れて聴いたのは、広沢虎造のレコードのときだけです。このレコードはカッティングが悪いので、デコボコ道を走る自動車のタイヤの音を消すためです。だから回路も部品の数の少ない、しかも組みやすいBAXWELL回路を採用しました。

と堂々と書いている。

(注)
アンダーラインを引いた「しかも」は、「しかし」の誤植と思われる。

ウソーッ。
だって、後の桝谷さんは、トーン・コントロール回路を蛇蝎のごとく嫌ったのですよ。
「オーディオマニアが頼りにする本1」では、トーン・コントロール回路について、

アンプとは入力信号として入力されたものを、できるだけ素直に増幅すべきだという主旨と全く反対の事をしているのに、お気づき願いたい。
なぜこんな無駄な、しかも音を濁らせる回路がアンプにおまけとしてついているのだろうか。みんな、貴方が悪いのである。解ったような顔をして、女の子の前でつまみを回してみせるカッコよさを頭に描いているからである。もっと極端に言えば、つけなきゃ売れないから、たかが数百円の材料費アップでつけることができるこの回路が、ほとんどのアンプにつけられているのである。

と、糞味噌なのだ。切って捨てているのだ。もちろん、Mark8-Dには、そんな回路の痕跡すらない。

(推測)
旅ゆけばァ~~、駿河の国に~~、茶の香りィィ~~
若い頃の桝谷さんは、女の子を自分に家に誘って、自分で作ったアンプで、広沢虎造を聴かせながら、トーン・コントロールをいじり回していいカッコをしていたのかな?
それとも、オーディオの主流派に「媚び」たのか? 自分の製作記事を見て同じものを作ろうという人への「親切」だったのか? それも信じがたいことだが……。

実例3
MC(ムービング・コイル)型のカートリッジも同じ構造の中にある。

オーディオマニアが頼りにする本2では、

値段が高くて、トラブルの出やすい付属品がなければ使えないカートリッジだから、およしなさいと言っているのであって、嫌いだとは言っていないのである。

と全面的に否定し、MM(ムービング・マグネット)型の優位性を説いている。

ところが、先に出た「MARK V」の製作記事に、完成後にヒアリングテストをしたというレポートがある。世界的に有名なグラフィック・コントローラSG520、マランツ♯7と聞き比べた結果が書いてある。8人で試聴して、

聴き劣りする点はなかったようです。

とあるから、基本性能は優れたものだったのだろう。
だが、

使用したメインアンプは、マッキントッシュ275、スピーカがランサー101、カートリッジがデンオン103、アームがSME3011/?、……

とある。

ちょ、ちょ、ちょっと待って欲しい! 私の記憶に間違いがなければ、デンオン103は、MC型のカートリッジじゃんかよー!

実例4
桝谷さんが発表した製作記事に、プリメインアンプがあった。一緒に掲載されている写真から判読すると、

Chriskit SOLID STATE Ensemble

というのが、このアンプに与えられた機種名である。

多分、クリスキットとして初めてトランジスタを使ったアンプだ。なんでも、真空管のアンプから出る熱に閉口して、トランジスタアンプを考えるようになったと書いてある。
入力切り替えはプッシュスイッチで、ボリューム、バランス、トーン・コントロール(まだ残っている!)はスライド式という変わった構成で、回すつまみはひとつもない。そのせいか、見た目がちょっとシンプルすぎて、クリープを入れないコーヒーのような感じもある。

プリメインアンプも、一般的には否定する必要はないのかもしれない。ところが、

オーディオ・マニアが頼りにする本3

には、

プリアンプとパワーアンプは、それぞれ違った働きをするアンプだから、2つの違ったアンプを同居させたプリ・メインはお勧めできない。これが原則だ。

とある。
となると、やはり

「ん?」

という他はない。

(余談)
「サブセット用に、このプリメインアンプを作ってみようかな?」
と桝谷さんに話したことがある。
言下に、
「やめときなはれ」
と言われてしまった。
あの製作記事は何だったんだ?
だが、ここで初めてトランジスタを使ったことが、オールトランジスタであるいまのクリスキットに生きていることを忘れてはならない。失敗は成功のもとなのである。

4で終わるのは、なんだかいやだな。よし、おまけにもう1つ。

実例5
私がパソコンのマッキントッシュ、通称 Mac を使い始め、その使い勝手のよさ、哲学とまで呼びたくなる、使う人の身になった設計、画面デザインの秀逸さ、遊び心、などにすっかり魅せられていた1990年代半ばの話である。
桝谷さんに、

「Macを仕事に使ったら、便利になるよ」

と何度か勧めたことがある。

返事はにべもないものだった。

「うちは、随分前からNECのパソコンを仕事に使うてまんねん。仕事に必要なソフトは、私がBasicを勉強して書きましたんや。うちの仕事に一番合うように作ったソフトを使うてますさかい、そんなもん、いりまへん」

それから何年後だったろう。突然電話がかかってきた。

Mac買いますねん。使い方、教えてくれまへんか?」

なんでも、楽譜を書くソフト、Finaleというやつは、Macでしか動かないので、買うことに決めたのだという。
突然の変身だった。

桝谷さんの豹変ぶりを列挙した。
でも、間違ってもらっては困る。桝谷さんはいい加減な人間だったと言いたくて列挙したのではない

逆に、桝谷さんは、

あらゆる事に真っ正面から取り組み、
自分で納得するまで突き詰め、
突き詰めた結果、自分が変わらなければならないという結論に達したときは見事に変わった

ということを言いたくて列挙したのである。
だから、桝谷さんはクリスキットという優秀なアンプを世に送り出すことができたのだ。いま、その恩恵に浴している人は、私も含めて多い。

桝谷さんは君子である。
物事を突き詰めもせずにくるくる変わる変節漢では、断じてない。

君子とは、ひとつの概念、アイデア、結論に縛られてはならない。縛られると、新しい状況に自分を合わせることができなくなり、やがては滅びる。

君子は、メンツを捨ててでも変わらねばならない。豹変しなければならない。それが君子たるものの必要条件なのだ。

技術進歩の烈しい世界では、昨日までの真実にしがみついていては、よりよいものは絶対に作ることができない。ひとつの発想、結論、完成品、成功に縛られると、時代遅れのものしか作れなくなってしまう。

一時期は、黒のパネルがいいと思った。が、仕上げてみて、いまいちだと思って考えが変わった

トーン・コントロールも、市販のアンプがすべて備えていたので、無駄だと思いつつ、バイパスを前提としてつけてみた。が、やっぱり無駄なものは無駄だと省いた

評判がいいのでMC型カートリッジを使った。しかし、聴けば聴くほど満足ができず、原理をつぶさに調べてみて、捨てた

プリメインアンプも、まず作って、出てくる音を聞いてみなければ判断ができない。作ってみたら、やっぱりだめだった

それが桝谷流である。

クリスキットは、このような土壌から生まれた。