2016
06.01

2016年6月1日 何とかかんとか

らかす日誌

MacBook Airが、やっとこさ使えるようになってきた。

我が家にある6000枚を越える映画、音楽の映像ソフトを管理するデータベース・ソフト、Bentoも、iPodで聴く音楽を管理するiTunesも、撮り貯めた8000枚近くの写真を管理する「写真」というソフトも、無事、旧iMacの資産を受け取ることができた。

と書けば簡単だが、このような作業は、果てしない「?」の連続となる。それとも、そうなるのは私だけで、ほかの人たちは簡単にちょちょいのちょいと済ませているのだろうか?

Macの「移行アシスタント」で、この3つのアプリのファイルは移ってくれなかった。アプリだけが移行しただけである。だからMacBook Airでこれらのアプリを立ち上げると、空っぽのまま、つまり買ったばかりの状態となってしまった。
とすれば、手動でファイルを移すしかない。

当初は、双方ともにLANにぶら下がっているのだから、それを利用して移せばいいと考えた。何度も試みた。が、どうしても途中でコピーが止まってしまう。

「やっぱり、無線LANでは安定しないのか?」

無線LANでネットワークオーディオを楽しんでいる人間とも思えない反応ではあった。無線LANでデータの受け渡しがうまく行かなければ、音楽は途切れて聞こえるはずである。

で、有線で繋ごうと考えて買ったのが、Thunderboltという端子をLAN端子に変えるアダプターであった。これで2つのパソコンを接続し、ファイルの受け渡しを試みた。
だが、である。

「アクセス権限がないので作業できません」

そんな文言とともに、作業が止まる。アクセス権限? 俺がつくった俺のファイルに、どうして俺がアクセスできない?
コンピュータとはどこまで行っても機械である。そのような、人間であれば誰もが理解できることが、悲しいかな機械には理解できない。機械と対話するには、機械の言葉を学ばねばならぬ。

「ことろで、アクセス権限って、何だ?」

ネットで調べる。調べて、MacBook Airにアクセス権限を与える方策を探る。ま、Macをお使いの方がどれほどいらっしゃるかわからないので、これ以上詳しくは書くまい。旧iMacで、目的のファイルに誰でもがアクセスできるよう設定を変えたのである。

さて、これで作業は進むはずだ。何しろ、有線で繋いであるのだから。

ところが、それでも作業は何度も挫折した。最終的にはMacBook Airのストレージ、つまりOSやアプリ、ファイルを貯蔵しておく倉庫が小さすぎることがネックになった。

MacBook Airの内蔵ストレージはSSDである。ハードディスクに比べて情報の書き込み、読み出しが早く、すべて電気的に処理されて動く部分がないので発熱も少ない。いいことずくめだが、唯一の欠点はまだ価格が高いことだ。そのため、MacBook Airにはわずか128ギガのストレージしか内蔵されていないのである。旧iMacは2テラのHDDを内蔵してある。その、わずか20分の1のデータしか保管できないのである。

「容量が足りないので、作業が続けられません」

計測してみると、写真が21.62ギガ、音楽が28.5ギガ、Bentoが7.74ギガ。あわせて57.86ギガもある。MacBook Airの内蔵ストレージのほぼ半分だ。確かに、これじゃあ入りきるまい。

というわけで、MacBook Airに外付けHDDを接続。今度はUSBメモリーを使って3つのファイルを移した。困ったことに、4000円以上の金を払って2つのパソコンを接続したより、こちらの方がずっと速く作業が進んだ。無駄な金を使ったものである。

で、MacBook Airからそれぞれのファイルを読み込むと、3つのアプリは無事、完璧に動き始めた。

こうしてメインマシンへの道を遅々としてではあるが歩み始めた我がMacBook Air。だが、最大の難物がまだ控えている。
Dreamweaverである。なにせ複雑なソフトで、さて、どうやったら私の原稿を置いてあるサーバーに接続できるのか。
これまで数回、自力でやったのだからできないはずはない、とは思う。だが、頭の中のどこを探しても、どうやったらつながったのかの記憶がないのである。

ああ、またネットで探しながら手探りをしなければならない。何日ぐらいかかるのだろう……。


舛添を「せこい!」と形容したのは、私が最初ではなかったか? だが、その後の週刊誌などの見出しを見ると、「せこい」は舛添の枕ことばとなった。我が先見の明を誇る。
いや、誰だって舛添のやったことを見れば

「せこい!」 

と思うよな。別に我が先見の明でもないか。 

そのせこい舛添が今日、都議会で陳謝した。しかし、これ、陳謝ぐらいでは済まないだろう。何しろ、 

「言葉とは嘘をつくための道具である」 

という私の持論を、言葉通りに証明してしまった舛添である。 

「誠心誠意東京都の発展に尽くし、失われた信頼を少しずつでも回復できるよう努力を重ねる」

などという美辞麗句を並べ立てたところで、誰が信用しよう? 舛添の命令で、舛添の政策の実現に向けて力を注ぐ都職員がどれほどいよう? 
舛添とは、すでにしてレイムダックなのである。 

ところが、都議会の自民党は 

「でも、いまやめさせると選挙になっちゃうし」 

と、辞任に追い込むことを躊躇しているのだそうだ。 

・いまやめさせると、都知事選挙が参議院選挙とダブってくる。国政選挙と都知事選挙を一緒にやるのはしんどい。 
・いま舛添に辞められては、舛添与党である自民党の評判が悪くなって参議院選挙にも響きかねない。 
・この時期に選挙だと、次の選挙はオリンピック開幕直前になってしまう。それは避けたい。 

どれもこれも、理解できる理由ではある。だが、そんな理由で東京都はレイムダック知事を担ぎ続けるのか? そのような判断をした自民党に有権者は呆れないか? 
東京の自民党は、前門の虎、後門の狼、という窮地に追い込まれている。さて、どう判断するか。 

ま、そうはいっても、我々群馬県民も、 

「2期で辞める」

と公約に掲げながらシレッとして3期目に選挙に立候補しただけでなく、知事公舎に愛人を引き入れた事実が発覚しても居座り続ける厚顔無恥な知事を担いでいる県民である。東京のことを悪く言う資格はないのかも知れないなあ。

あ、私は大沢知事には、もちろん投票してないけどね。