07.27
2016年7月27日 回復率
一昨日早朝、九州にいる弟から電話があった。
早朝の電話なんて、ろくなことはない。特に、いま我が母が入院の状態である。1週間ほど前に
「39度5分の熱が出た」
と同じ弟から電話があったばかりだ。その熱は座薬で治まり、とりあえず安定したという連絡はあったが、なにしろ94歳の高齢である。いつ何があってもおかしくない。
ということは、母が逝ったか?
そう思いながら電話を取った。
「おばさんの死んなはったもん。今朝やった」
やはり訃報であった。亡くなったのが母ではないというだけだ。やっぱり、早朝や深夜の電話はろくなことがない。
「それで、帰って来れんかね」
亡くなったのは、父の弟、つまり叔父の嫁である。血のつながりはない。ただ、叔父が亡くなったあとも実家に戻ることはなく、旦那を亡くして実家に戻り、女帝然としていたおば=父の妹との同居を続け、おばが99歳で亡くなるのを見取ってくれた人だ。ご本人もすでに88歳か、89歳の高齢である。この年齢まで生きると、知りあいがほとんどいなくなる。
「だけん、誰もおらんとよ、あんたが帰って来んと」
それはそうであろう。
だが、である。私はいま身体障害者なのだ。
「前に電話で言ったが、神経痛でなあ」
と弟に泣きを入れたが、
「何とかならんかね」
と突っ込まれる。えーい、行くか。
「わかった。何とかしてみるわ」
気分はすっかり九州である。気分だけでなく、身体も九州をすると、10万円はすっ飛ぶ。
「おい、収入が途絶しかかっているいまだが、行かないわけには行かなくなった」
と妻女殿に告げた。弟には
「27日には葬儀を終えて戻りたいので、葬儀が終わって出来るだけ早く乗れるバスの時間を調べてくれ。それがわかってから航空券を買うから」
と頼み、九州行きの準備に取りかかった。26日に車で横浜へ行き、車をおいて羽田へ。九州・大牟田に到着したらその足で通夜。翌27日は正午から葬儀、終わって福岡空港へ。羽田着が遅い時間になったら横浜で一泊、とのスケジュールである。九州は暑いとのことだった。
その日、朝食を終えると買い物に出かけた。四日市の嵩悟はどうしようもなく車が好きである。それも乗用車だけでなく、ダンプカーやトラクターなど、働く車も大好きだ。
「これ、嵩悟が喜びそうな」
というのが、新聞のチラシに載っていた。段ボールで作る車である。何種類もあるらしく、価格は1台800円弱。
「これ、嵩悟に送ってやろう。夏休みの工作だ」
とすぐに決めたが、何しろ身体が動かない。買い物に行くなんて、夢のまた夢であった。
が、だ。九州に行くのなら、少なくとも空港に入って飛行機までは歩かねばならぬ。飛行機を降りたら同じような距離を歩かねばならぬ。あれ、かなりの距離だ。歩けるか? 身体障害者になると、これまで思っても見なかったことを考えねばならなくなる。
ものは試しである。まずは嵩悟用の買い物に行って、どこまで歩けるかを確かめてみようではないか。
売っていたのは、太田市のジョイフル本田という店だ。
駐車場の入り口に出来るだけ近い位置に車を止める。ドアを開けて降りたち、売り場を目指す。
「あかんわ、これ」
いやあ、まともに歩けたのは20歩だろうか、30歩だろうか。太股の付け根前部に痛みが走り、思わず腰が曲がる。しゃがみ込んで痛みが治まるのを待ち、再び売り場を目指す。距離にすれば300m足らずの売り場にたどり着くのに何度休憩を挟んだだろう。しかも、売り場のあるフロアにたどり着いた頃には、腰は前屈して、まるでヨボヨボのじいさんである。
何とか買い物を済ませて家に戻り、直ちに弟に電話した。
「いかん。試しに歩いてみたら、30歩以上はまともに歩けない。おふくろに何かあったのなら匍ってでも行かねばならないが、今回、おばさんの葬儀は勘弁してくれ。無理して神経痛がぶり返したのでは何ともならない」
こうして私は九州行きを断念した。
昨夜、弟から電話があった。
「1人で遺体の番ばしとっとよ」
おばさんの親戚筋は午後9時頃引き上げたらしい。
「お前も帰って寝ればよかろう。そこには盗まれるようなものは何もないんだから」
そう論理的に忠告したが、弟はどうしたのだろうか?
今日は会葬者の少ない、地味な葬儀が執り行われたはずである。喪主は弟。私がするはずだった挨拶も、弟が代わってやってくれたと思う。
にしても、である。いつになったら治る?
欧州では、ベルギー、フランス、ドイツなどでテロが相次いでいる。
「欧州は危険地帯になった。彼らはこの民族問題をにどう立ち向かうのだろう?」
などと、欧州旅行の計画などない私は他人事のように考えていたが、凶悪事件は年々減り、安全度が高まっているはずの日本でも、相模原で障害者が惨殺され、隣のみどり市では14歳の少女が祖父を絞め殺した。あれまあ、の世情である。
にしてもだ。あの相模原の犯人、どう考えても気が触れている。狂っている。重度障害者は死んだ方がいい、というのはナチの民族浄化に限りなく似る。
でもあの男、本当に狂っているのか? いや、あの犯行自体は狂わねば引き起こせないものだと思うが、犯行はきちんと計画され、実行された。それだけでなく、狂を演じるのも彼の計画の中にあったのではないか。
日本の刑法では、犯行時、心神喪失状態にあれば責任能力がないとされ、刑罰の対象にならない。
「狂を演じ通せば、何人殺そうと罰されることはない」
新聞やテレビを通じて出て来る情報に接していると、そんな気がする。こいつ、知能犯ではないのか。
衆議院議長に計画書を渡し、その計画書に従って諄々と殺す。罪の逃れ方まで計画済みの犯行。
根源的にこの男は狂っている。そうでなければこのような犯行を思いつき、実行することはありえない。だが、計画を立てて実行する部分は論理的で、狂った頭でひねり出せるものではない。
根源的狂と日常的冷静の同居。
さて、司法はどう裁くのだろう。
ということも気にならないことはないが、私が本当に気になるのは私の腰の具合だけである。いま、どれだけ治ったのか?
太股の付け根で踏ん張っている筋は、一時は延ばそうとすれば飛び上がるほど痛んだが、昨日あたりから我慢すれば延ばせるようになった。限度は10秒程度ではあるが。
ということは、少しは改善しているのだ。薄紙を1枚ずつ剥がすような改善ぶりではあるが。
回復率30%? 50%?
一日も早く行動の自由がほしい、それしか見えないいまの私である。