11.04
2018年11月4日 障子張り
本日は障子張りの日であった。というのも、先日遊びに来たあかりが勢いに任せて,あかりの寝室となった部屋の障子に、あの可愛い紅葉のような手をところ構わず突っ込んだようなのである。
あかりの父親、つまり私の長男はおおらかである。ヤツの家に行くと、スピーカーのコーン紙がボロボロに破れている。あかりの仕業である。その、あかりの手によって破壊されるスピーカーを、長男は大笑いしながら見ていたらしい。FaceTimeでスピーカーの破壊と大笑いの現場を目撃したような記憶があるが確かではない。
いずれにしても我が家の障子は、右の写真のような有様になってしまったのである。低いところに破壊の大きな爪痕が見て取れる。あかりの手が届く範囲である。
まあ、障子程度では私もおたおたしない。元気でよろしいと嬉しいぐらいである。だがもう年も押し詰まった。
「ね、障子を張り替えなくちゃね」
とおっしゃったのは妻女殿であった。いうだけでなく、生協に障子紙をご注文された。届いたのは、先週である。
「よし、今度の終末に障子を張り替えるか」
届いた障子紙を見て、私は妻女殿にお声をかけた。思いも寄らぬ返答が戻ってきた。
「お父さんがやるんでしょ。私は出来ないわ。いつでもいいからやって」
やって、とは依頼形ではない。命令形である。我が家の言語体系はそのように出来上がっている。それが現実というものだ。あなたのご家庭はいかがだろう?
まあ、それはよい。週末と言ったが、昨日は祭り歩きで障子を張り替える時間などなかった。というわけで、障子張り替え作業は今日の日程に繰り入れられた。
さて、皆様は障子の張り替えなどという作業をおやりになったことはあるだろうか? 未体験の方は、何から手をつけるかご想像がおできなるだろうか?
まずは、この破れ朽ちた障子紙を取り除くところから作業は始まるのである。
妻女殿がお買い求めになったのは、のりで貼る障子紙ではなく、アイロンの熱で貼り付ける障子紙であった。熱で溶ける接着剤が片面に吹き付けてあるらしく、障子の桟に紙を置き、上からアイロンをかけるとピタリとくっつくという触れ込みである。
昨日の内に作業の注意点を書いた取扱説明書を読んだ。すると、桟は十分に乾燥させてから作業するように、と書かれていた。普通、障子紙を綺麗に取り去るには水を使う。そうか、水を使う作業が終わったら今度は乾かさねばならないのか。とすれば、今日の内に作業を終えるには朝一で紙を取り去らねばならぬ。
私は今朝、朝食を終えると障子を取り外して屋外に持ち出し、勢いよく水をかけ始めた。
子どもがいれば、水をかける前にボコンボコンと手を突っ込ませる。破壊願望はすべての人間に内在しているらしく、子どもはこの作業を極めて楽しむものである。
が、いまの我が家には老夫婦しかいない。破壊願望はそれぞれ持っているのだろうが、この障子に手を突っ込んでバリバリと破るのは面倒である。
そう、老境とは破壊願望よりも面倒臭さが先に立つ日々なのである、
よって、作業は水をかけるだけとした。
通常、水をかけてものりがつけられている部分にはしつこく障子紙が残るものである。残った紙はたわしなどでこすらねばなかなか取れてくれない。
今日もその作業を覚悟していたのだが、どういう訳か、この借家の障子紙は水だけで切れに取れてくれた。楽ちんである。
ほら、右の写真をご覧いただきたい。障子紙はみごとに消え去っているでしょう?
下の方でとぐろを巻いているのが、水をかけられて崩れ落ちた障子紙の残滓である。
なお、この作業は隣家の塀に障子の桟を立てかけて行った。我が家の方にはエアコンの室外機、灯油タンクのストッカーなど水をかけたくないものが並んでいるからである。まずは我が家の安寧を保たねばならぬ。生きる知恵である。
えっ、隣家に断ったかって?
NO!
断じてNOである。
いや、隣家と喧嘩をしているわけではない。実は、隣家は先日、この家を売って富士のふもとの狭いマンションに引っ越した。いまは空き家である。
何でも、晩年は富士を見ながら過ごしたいのだそうだ。
そんな気持ちは、私には全く理解不可能である。が、気持ちが理解不可能でも、このような作業をするときは
「よくぞ出て行ってくれた」
と感謝する気持ちは持つ。今日も感謝しつつ、隣家の塀を借りて障子の桟を洗った私であったのだ。
さて、洗ったら乾かさねばならぬ。だが、木というものは水に弱い。濡れた状態で力をかけると曲がってしまう。これは障子であるから曲がってもらっては狂いが出て、障子のあるべきところに納めることが出来ない羽目に陥りかねない。縦にして放置すれば、重力によってたわみかねない。たわんだまま乾けば、全体が曲がってしまうことになる。さて、どうやって乾かそう?
と考えを巡らせた私は、横置きにすることにした。これならたわみも少なく、おそらく狂うことはあるまいと判断したのである。
昨日の秋晴れから一転、今日の桐生は朝からドンヨリとした曇り空で、気温も上がらなかった。1時間ほどして検分にいったが、ちっとも乾いてない。ふむ、これでは今日中に作業は終わらないぞ。
と考えた私は、こいつを屋内に運び込んだ。この天気なら、外でも内でも変わりがない。
加えて、今年初めてエアコンの暖房スイッチを入れた。室温を高め、その熱で乾燥させようとの作戦である。
暖房のスイッチを押したつもりが、実は冷房のスイッチを押しており、
「何だかちっとも暖まらないなあ」
と思いつつ午前中を過ごしたのはご愛敬である。
障子紙を張る作業に入ったのは午後3時頃であった。作業場は私の寝室県事務室である。障子の桟を寝かせ、写真のようにまず障子紙で全体を覆った。
これで、紙と桟をくっつけたいところをアイロンがけすればくっつくはずである。が、紙がずれてよじれたりしてはならぬ。6箇所ほどに画鋲を刺し、紙が動かないように固定してアイロンをかけ始めた私であった。
実は、アイロンで接着する障子紙はこれが初めてではない。ここに引っ越すまで住んでいた桐生の家で、私の寝室(ああ、当時は「兼」ではなく、寝室にしか使わない部屋があったのだ!)の障子が破れていた。破った犯人はおそらく、啓樹か瑛汰である。
で、その障子をやはりアイロン仕様の障子紙で張り替えた。
張り替えた当初は何事もなかった。それから何ヶ月たったろう。障子の紙が桟を離れ、ヘラヘラと風にそよいでいる姿を目にしたのである。
「何だ、アイロンでつくといながら、すぐに剥がれるじゃないか」
というのが、私がアイロン仕様の障子紙に抱く不信感である。だから、今日は何度もアイロンをかけた。
いかがであろう? 畳の部屋にどっかと座り込んでアイロンをかける私。職人はだしのアイロンの持ち方ではないか?
というのも、かつて単身赴任したとき、やむなく 自分でアイロンをかけた経験があるのである。
やむなく始めたアイロンがけも、やっている内に様々な工夫をすることになる。
カフスの部分にアイロンをかけるにはどうすればうまくいくか。
背中のプリーツを、気持ちがいいほど真っ直ぐに通すには。
ボタンの回りは。
アイロンをかけてすぐは皺一つないのに、時間がたつと何となくたるんでくる。いったいどうしたものか?
ふと目にしたテレビでアイロンのかけ方をやっていた。なるほど、アイロンは滑らせてはいけないのか。滑らせずに押さえるのね。
単身赴任期間は3年半であった。私のアイロン技術はこの間に磨かれたのである。
というわけで、本日の障子張りは無事終わり、余分な部分をカミソリで切り離して、皺を伸ばすために霧吹きをした。明日はあるべき場所に戻す予定である。
という、11月4日日曜日であった。