2022
12.24

 前立腺の検査入院、まとめ。

らかす日誌

前回まで3回連続で、20日から21日にかけての入院のハイライトをご紹介した。随分長くなったが、私の筆のまずさのためか、あるいは事件が盛りだくさんだったからか、そのあたりの判定は読者各位にお任せする。
今回は入院の締めくくりとして、全体を振り返りつつまとめてみたい。

昨20日8時50分にタクシーが迎えに来た。必要なものは前日中に全てまとめてあったので、鞄ひとつと本2冊を持って病院に向かった。

しかし、人間とは忘れる動物である。

「あ、持って来るの忘れた!」

とタクシーの中で気が付いたのは、この日のためにわざわざ買ってあった経口補水液だった。やむなく、病院の玄関前でタクシーを降りた私は、すぐ近くの薬局まで歩き、経口補水液を新たに買って病院にとって返した。

受付を済ませると、最初はコロナ検査である。一度クラスターを体験した病院だからではなかろうが、入院するにはコロナ陰性でなければならないことになっている。検査室に案内され、綿の着いた棒を鼻の奥まで突っ込まれた。
検査技師の女性に聞く。

「この病院でクラスターが起きたということは、あなたもコロナに感染したの?」

彼女はあっさり答えた。

「ええ、かかっちゃったわ」

オミクロンに変異した後だったというが、かなり辛かったということである。が、それでも、ひょっとしたらコロナ感染者かも知れない私のような患者を相手に、粛々と仕事を進める。立派なプロ意識である。

私の検査結果は陰性。無事入院を認められた。

病室は3階だった。ナースステーションを通りかかると、

「手術室は2階。このナースステーションの真下です」

と案内される。手術室がどこにあっても私に救いはないが、まあ、知らぬよりましか。

10時頃部屋へ。トイレ、シャワー室、洗面所が着いた小さな部屋である。ビジネスホテルのシングルをさらに縮めた感じだ。

「ぞれじゃあ、11時半頃に点滴を始めます。手術は午後3時からの予定です。あなたは3番目だから、少し遅れるかも知れませんが」

そう言い置いて、看護師さん(多分)は部屋を出た。
1時間半の自由時間。だが、すでに私は病院に囚われの身である。そういえば、朝から水は飲まず、食べ物を口にせず、タバコの1本も吸っていない。せめてタバコを吸ってくればよかった、と思うが時すでに遅し。

「吸うに違いない」

とタバコは持参したのだが、これでは何ともならない。

実に何にもない部屋である。時間つぶしのための機器はテレビのみ。しかし、夜も詰まらぬ番組ばかり流しているテレビが、朝から見たいものをやっているはずはない。
これを見越して私は本を2冊持参した。途中まで読んだ「夏目漱石全集3」とAmazonから届いたばかりの「嫌われた監督」である。時間をつぶす道具は、我が手元にはこれだけしかない。

途中まで読み進んでいた「夏目漱石全集」を開く。冒頭の「草枕」は既読で、「二百十日」も終わっていた。次の「野分」から読み始める。

この頃の漱石先生はスランプである、と私は判断する。「草枕」は快作だが、「二百十日」はできの悪い掛取万才みたいで読むのが辛い。読み始めたばかりの「野分」も観念的すぎて足が地に着いていない気がする。

読んでいる途中で点滴が始まり、腕からビニールチューブを出したまま読書を続ける。私の検査が始まるのは午後3時の予定だ。
ところが、3時になっても動きはない。随分遅れているらしい。遅れていても、私が数多くの針を体内に差し込まれる時刻が目前にあることに間違いはない。何だか気分が落ち着かなくなり、漱石を諦める。「嫌われた監督」の方が読みやすいはずである。

下半身麻酔の悪夢」に書いた通り、これは面白い。次々にページをめくりたくなる。いつしか、手術が迫っていることも忘れて読みふけった。なお、「下半身麻酔の悪夢」では朝からこの本を読んだことになっているが、いま思い返すと、最初は漱石を読んでいたわけで、この部分は「午後になって」の間違いだったと思われる。

何でも、この日の手術1件目は外科手術で、これが難航して時間が押したらしい。患者さん、助かったのかな? 私はこの日の3件目。始まったのは午後6時半頃だった。ここから先は、前3回で書いた通りである。

21日朝、排尿を済ませると、朝食の時間になった。丸1日絶食しているのだが、点滴液に何か薬剤が入っていたのだろう、空腹感はあまりない。

出て来たのは、おかゆ、中身が何も入っていない味噌汁、青菜の煮浸し、鯛味噌、卵と麩をかき混ぜ、砂糖、醤油を加えて加熱したものの5品。この卵と麩の料理は何という名前が付いているのだろう?
いずれも、心が浮き立つ料理、味ではなかった。

朝食が終わると退院を待つばかりだ。「嫌われた監督」はすでに読み終え、漱石全集に目を通しながら退院を待つ私に、O氏が電話をしてきた。

「どうした? 無事に終わった?」

訳の分からない人である。無事に終わったから私は電話に出ているのではないか。

「昨日はタクシーで来たんだろ? 俺、迎えに行ってあげようか?」

これはありがたい申し出であった。考えてみれば、O氏宅は、この病院から歩いて1分もかからないところだ。

「送ってくれるの? だったら、病院を出たらあなたの家まで歩いて行くわ。待ってて」

病院を出た私はまずタバコを一服し、O氏宅まで歩き、コーヒーをご馳走になって自宅まで送り届けて頂いた。

Mr. O, thank you very  much! I appreciate your kindness so much.

生まれて初めて入院を経験し、2つの発見があった。

1、丸1日食べなくても、私は死なない

2、丸1日タバコを吸わなくても、私はタバコが恋しくならない。

である。

「だったらタバコをやめちゃえば」

というお節介な人もいるが、私にその気は全くない

自宅に戻った21日、夕刻から血尿が出始めた。体内に針を刺したため、尿道か膀胱の一部が傷ついたのだろう。仕方がない。
よって、この日は晩酌をやめた。19日から酒を抜いているので、これで3日断酒したことになる。近年希なことだ。

22日、昼間血尿は出なかった。さて、もう3日も酒の香りを嗅いでいない。晩酌を始めるか、と思った夕刻、悔しいことに尿に血が混じった。まだ出血しているところがあるらしい。
が、もう3日も酒を断っているのである。晩酌をどうする? えーい、ままよ。飲んじゃえ! だが、私は健康オタクである。いつもの2合を、半分の1合にした。やや飲み足りなかった。

23日。まだ血尿は止まらない。困ったな、今日は飲み会が入っているのだが。
まあ、前日1合飲んだのだ。尿の様子を見ながら判断するか。血尿が止まらないようなら2、3合の酒に止めておこう。

飲み屋で。
まず、ちびちびとビールをコップに1杯、それに日本酒を1合ほど飲んだところでトイレタイムを迎えた。さた、まだ血が混じるか? 混じったら、そろそろ酒は打ち止めにしなければ。でも、フグちりをつついているんだよなあ。酒抜きのふぐちりなんて魅力半減だ……。

思いつつ便器に向かう。ん? 血が混じってるか? 勢いよく便器に飛び込む尿を睨みつけて……

「ないわ。血は混じってない!」

内部での出血は止まったようだ。こうなれば私を抑えるものは何もない。
席に戻ると

「大丈夫みたい。さあ、飲みましょう!」

ひょっとしたら昨夜は破廉恥行為をしでかしたのかも知れないと恐れつつ、今朝、自宅のトイレに入った。やっぱり血は混じっていなかった。私の身体は18本もの針を体内に差し込まれたショックから立ち直ったようである。まずは、目出度し、目出度し。

というわけで、昨夜から完全に元の暮らしに戻った私であった。
今回の検査の結果が出るのは1月10日である。

末筆だが、今日の桐生は朝から雪だった。あれよあれよという間に5㎝ほどもつもり、玄関を一歩出ると完全な銀世界が広がった。
惜しいことに、昼近くなると太陽が顔を覗かせ、雪は見る見る融けてしまって見慣れた世界に戻った。

いや、見慣れぬ銀世界が続くより、元の世界に戻る方がいいのでは? そう考えてしまったのは、身体が元に戻ったからだろうか?

皆様、ご心配をおかけしまたした。感謝。