02.18
制限すべきといわれる「炭水化物」とは、いったいどんな代物なのか?
つい先日、「がん—4000年の歴史—」(シッダールタ・ムカジー著、早川書房)という上下2巻、総ページ数約800ページの文庫本を読了した。いや、前立腺にがんが見つかって(まだ「がんもどき」の可能性も残っているが)慌てて買った本ではない。半年ほど前に前橋の紀伊國屋書店で見かけ、
「面白そう」
と購入したまま書棚に並んでいたものだ。前立腺がんの疑いが出たため、書棚から取り出して読んだのである。
分厚い本だから、読んだ中身がどれほど記憶として残っているかとなると、はなはだ自信がない。従って、これから書くことには、私の記憶違いがありうることをお断りして先に進む。
がんの治療法にはおおむね3つあった。
1)外科的療法
文字通り、手術で病巣を切除する。初期には乳がんが見付かると、遠慮会釈なく乳房を切り取り、さらに転移したリンパ節なども遠慮なくメスの攻撃を受けた。
2)化学的療法
抗がん剤である。抗がん剤は毒物であることはよく知られている。がん細胞も殺すが正常な細胞も殺す。がんは治ったが生命も絶たれた、などということが起きる。従って、がん細胞を殺すにはできるだけ大量の抗がん剤を使いたいが、しかし患者を殺しては元も子もない。投与する抗がん剤の量は、生体を殺さないギリギリの量、というのが抗がん剤治療の原則で、後になると、そのバランスをとりながら数種類の抗がん剤を併用してなんとかがん細胞を殺そうとした。
それでも患者が死ぬ。ここに知恵者がいた。正常細胞で最も抗がん剤の毒性に弱いのは脊髄液らしい。だから、抗がん剤投与量の上限は脊髄液を殺さないギリギリの量だったのだが、
「それなら脊髄液を体外に取り出した状態で抗がん剤を増やしてがん細胞を殺し、殺し尽くしたあとで製髄液を戻せばいいのではないか」
と考えた医師がいたというのである。そして実行した。考えるだけで鳥肌が立つような治療法である。
3)疫学的療法
予防医学と言い換えてもいいかもしれない。どのような環境条件ががんを発生させるのか。発がん物質を身の回りから取り除けばがんは発生しないはずだ、というのだ。そういえば、様々なものが発がん物質として指摘され、私たちの周りから消えていった。いま最も攻撃を受けているのはタバコである。
頭に残ったのはその程度か。まあ、がんについての一般的知識は多少分かったが、すでにがんが見つかった私に疫学的療法は意味がないし、手術なんてお断り。それに医師の8割が
「自分にがんが見つかっても抗がん剤は使わない」
といっているそうだから、2)もお断りである。そんな私に
「糖質制限でがんは制御できる」
とおっしゃったのが、S院長である。では、糖質=炭水化物とはいかなるものなのか?
炭水化物=糖質+食物繊維
と考えると簡単だ。そして糖質は体内で最終的にはブドウ糖になる。このブドウ糖が問題なのだという。
①ブドウ糖の血中濃度が高いと血管に傷をつける
②血糖値が上がるとインスリンが分泌され、ブドウ糖を細胞内に取り込む。しかし、いいことばかりではなく、インスリンが過剰に分泌されると、インスリンの毒性で血管壁が硬くなる。また腎臓に作用し、ナトリウムの再吸収が促進され、血管は再吸収されたナトリウムと水分で膨らみ、血圧が上がる
なるほど。しかしS院長、まだがんとは関係ありませんが。
次に出て来たのが、ブドウ糖はがん細胞が利用できる唯一の栄養素であるという事実である。
「えっ、ほんとかよ?」
と疑うのは新聞記者の習い性である。裏付けをとるため、ネットで検索した。確かに、がん細胞は糖質をたくさん取り込むという情報はたくさんあった。だが、正常細胞もブドウ糖を必要としており、ブドウ糖が必要になれば筋肉を分解してブドウ糖を作るため筋肉量が減り、体力を奪われる、などの「否定的見解」と一体になったものがほとんどでである。ある著者はアメリカ・メイヨークリニックの「がんの原因と都市伝説」というページを紹介している。なるほど、このページには
「食事に含まれる糖分とがんの関係を理解するには、さらなる研究が必要です。がん細胞を含むあらゆる種類の細胞は、血糖(グルコース)をエネルギー源としています。しかし、がん細胞にもっと糖分を与えても、がん細胞の増殖が速くなるわけではありません。同様に、がん細胞から糖分を奪っても、がん細胞の増殖は遅くなりません」
と記してある。
ホントにいいのか、糖質制限?
しかし、だ。糖質ががん細胞の餌なら、餌を断たれたがん細胞はどうして死なないのか? がん細胞だって人間の一部である。食を断たれれば人は死ぬ。食を断たれたがん細胞が何故死なないのだろう?
と、私は素直に考えてしまう。
ここをS院長はこう考えておられる。
正常細胞とがん細胞はエネルギーの生み出しかが違う。正常細胞はクエン酸サイクルを持っており、最終的に酸素を使ってATP(アデノシン三リン酸)というエネルギー分子を作る。酸素を使うため効率が高く、1分子のブドウ糖から36分子のATPができる。
ところが、がん細胞は酸素を嫌うためATP産出の効率が悪く、1分子のブドウ糖から2分子のATPしか生み出せない。そのため、より多くのブドウ糖を必要とする。
だから、
「がん細胞を死滅するには兵糧攻めをするのが有効であることが予想されます」
と慎重な言い方をされるが、例証は豊富だ。
①2007年の厚生労働省研究班による論文では、高インスリン血症(糖質過剰が原因)を有する群ではそうでない群に比べ大腸がんの発症が3.5倍高かった。
②日本糖尿病学会は2013年の論文で、糖尿病はすべてのがん、とくに大腸がん、すい臓がんのリスク増加と関連があったと報告している。
③Lancet(最も評価の高い世界五大医学雑誌の1つ)2008年9月の論文は、「スーパー糖質制限をしてきたイヌイットは1920年代まで心筋梗塞や脳梗塞のみならず、がん患者がほとんどいなかった。しかしその後北米からパン(バノックという無発酵パン)がもたらされたところ欧米型のガンでもある肺ガン、大腸ガン、乳ガンが激増した」と紹介している。
④2012年のAmerican Journal of Clinical Nutritionに報告された約15年間追跡調査した大規模コホート研究は、「低炭水化物・高たんぱく・高脂肪食が前立腺がんのリスクを低減させた」としている。
⑤悪性腫瘍の中でもっとも悪性度が高くて有名な脳腫瘍、多形神経膠芽腫(平均生存期間は発見されてから3か月)の治療として糖質制限食(ケトン食)はすでに認知された治療法である。ケトン食とは本来てんかんの治療に用いられている徹底した糖質制限食をいう。いまや悪性脳腫瘍の治療法として、糖質制限はスタンダードな治療法である。
⑥2013年、腫瘍学では最も権威のある雑誌、Cancer Researchにマウスを使った動物実験が掲載された。この実験では、がんを移植したマウスでは、糖質制限(餌の糖質8%以下)をした群のがんの増大速度は半減した。また、がん自然発症マウス(かならずがんを発症するマウス)でもがんの発症率が劇的に少なかった、とされている。
まあ、自説を展開する根拠とする学術論文の取捨選択は自由である。人とは自説を揺るぎないものにしようとするあまり、論文の選択にバイアスがかかることは十分予想されれる。そして、そのバイアスは糖質制限を主張する人にも、糖質制限を否定する人にも存在するはずである。
であれば、己のがんと向き合わねばならない私たちの課題は、どちらに信憑性を見出すかである。
「米、パン、麺類はダメ」
といわれたとき、私は
「だったら、栄養失調になるんじゃないか?」
と考えた。しかし、これまでの食事から抜くのは炭水化物のみである。つまり、幾分かの食物繊維と糖質を取り込むのをやめるだけ。ほかの栄養素はこれまでも副食からとっていたわけで、栄養失調になるはずはない。そもそも糖質とは砂糖と同じであるはずだ。そして砂糖は健康のために避けるべき食品の代表ではないか。
S院長の計算だと、ご飯1膳(150g)は角砂糖14個分にあたる。食事から角砂糖を抜いたって栄養失調になるはずはない。
もうつ、血液中にブドウ糖が不足すると、体は筋肉を分解してブドウ糖を作るから筋力が衰えるという警告がある。しかし、大量の肉・魚を食べていれば、何も筋肉を分解しなくたってブドウ糖を創る材料は豊富に体内にある。問題はないはずである。
そう考えて、私は糖質制限に挑んでみようと考えた。だが、まだ素人判断に過ぎない。本当に糖質制限は安全なのか? それをクリアしなければ実行に移せないではないか。
しばらく前までの私は、そう考えていたのである。
では、糖質制限は安全なのか?
次回に御説明する。