07.10
私と朝日新聞 岐阜支局の4 県立高校入試問題が漏れた
浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ
と宣うたのは、確か石川五右衛門だった。泥棒だけでなく、世の中には犯罪の種が尽きない。
岐阜県で、1978年度の県立高校入学試験問題が漏れるという事件が起きた。入試問題作成委員を通じて1受験生が、事前に問題の全貌を知った。私が担当した事件ではないので記憶がはっきりせず、切り抜きも残っていない。ネットで検索しても出て来ない。手元にあるのは、この事件後の県教委の再発防止策の記事だけだ。
確か、この事件にからんだ塾経営者が逮捕され、警察が全容解明を急いだ。
大学ならともかく、高校にそんな姑息な手を使って入っても、その後の勉強にはついて行けまい。だから、たいした事件ではないとも言える。しかし、公平であるべき入試問題の漏洩である。1人だけがズルをした。そのあおりで受験に失敗した受験生がいたかもしれない。教室でのカンニング同様、放ってはおけない事件でもある。
この事件、朝日新聞は抜かれた。事件の発生から全容解明までことごとく抜かれた。当時の岐阜県警担当が余程頓馬だったのである。
「大道君」
と私に声をかけたのは、敬愛する松本デスクだった。
「この事件、ちょっと手伝ってやってくれないか?」
松本デスクは
「事件なんて抜かれたっていいんだよ」
と言い放っていた方である。その松本デスクがそんなことをいうか?
「うん、事件なんてどうでもいいとは思うんだが、なにしろ公立高校の入試門問題漏洩事件として読者の関心は高いし、そもそもこの抜かれ方はひどい。なんとか1つでも抜き返しておかないといけないと思ってね。頼むわ」
松本デスクに頼まれれば嫌とは言えない。
「分かりました」
とは答えたものの、さて、どうすればいいのか?
抜かれっぱなしの県警担当記者から話を聞いた。事件の全容はすでに分かっており、今さら警察に取材に入っても新しい事実は出て来ないだろうという。そもそも、被疑者である塾経営者は、すでに保釈されているから、警察に新しい事実があるはずがない。
「ん? 保釈された?」
閃くものがあった。
記者とは当事者双方の話を聞いて全体像を描く仕事である。しかし警察事件となると、一方の当事者である被疑者の話はまず聞けない。そもそも会えない。しかし、すでに保釈されているのなら会えるではないか。被疑者の話を聞けるではないか。
「おい、その塾経営者の住所は分かっているよな」
私はその抜かれ記者を伴って、塾経営者の自宅に出かけた。
もっとも、彼は被疑者である。これから刑事裁判を控えている。話してくれるか? 警察でトコトン調べを受けて心労も甚だしいはずだ。新聞記者です、と会いにいっても、貝のように口を閉ざすのではないか?
が、他に手立てを思いつかない。えーい、当たって砕けろだ!
「こんにちは。朝日新聞ですが、お話しを伺いたいと思って参上したのですが」
しばらく待つと、屋内から声が聞こえた。
「なんだって?」
「はい、朝日新聞の記者です。事件についてお話しを聞きたいんですが」
「おう、朝日新聞か。朝日さんならいい。さあ、あがりなさい」
我々は応接間に通された。異様な歓待ぶりである。
「で、何を聞きたいんだ?」
いえ、事件より先に聞きたいことがあります。
「あのう、どうして朝日新聞ならいいんでしょう? ひょっとしたら朝日の読者で、日頃の朝日の報道を評価して頂いているとか?」
「いや、そうじゃないんだが、私が取り調べを受けている間中、他の新聞はあることないことを書き散らした。ところが朝日さんだけはほとんど記事にしなかった。だから、朝日さんには好感を持ってるんだ。さあ、なんでも聞いてくれ」
朝日新聞は、抜かれ記者は、入試問題漏洩事件の記事を書かなかったのではない。取材が満足に出来ずに書けなかったのである。しかし、そんなことを説明する必要はなかろう。なんでも話してくれるというのだから、なんでも聞いてみればよい。
事件の全体像は私より、担当の抜かれ記者の方が詳しい。だから、質問のほとんどは彼に任せた。その結果の記事も彼が書いた。そのためだろう、どんな記事だったか全く頭に残っていない。もちろん、切り抜きもない。記憶にあるのは、彼が書いた記事が第2社会面(社会面を開いた時右側に来る面)で大きな記事になったことだけである。
人間、万事塞翁が馬。抜かれ続けたことが幸いし、被疑者から直接聞いた話を記事にできた。
不思議な体験だったので、ここに紹介した。