11.30
私と朝日新聞 2度目の東京経済部の49 こんな訂正もありました
思わず、
「ウッソー!」
と言いたくなる訂正記事の話をご紹介しよう。経済企画庁担当の間に起きたことである。
「大道さん、こんなペーパー、関心ある?」
ある局長の部屋に入り込んで雑談をしていた。取材先と顔なじみになる。これも立派な取材である。ペーパーとは、役所用語で「書類」のこと。役所とは、様々な「ペーパー」を創り出すプリンターのようなものだ。
「何ですか? ちょっと見せてください」
見ると、その局が研究したシミュレーションの報告書である。
「来週ぐらいに発表しようと思っているんだ」
という言葉を馬耳東風と受け流して、神経をペーパーに注ぐ。確か、首都圏の農地に宅地並み課税を実施すれば、首都圏の住宅地の価格が2割ほど下がるという結論が導き出されていた。農地と宅地で課税額が違い、農地には安い税金しかかからない。だから、農地への税金を宅地と同じにすれば、値上がり待ちで塩漬けになっている農地が宅地として売りに出され、需要・供給の原則に沿って宅地価格が下がる、という内容である。
経済分野における政府のシンクタンクともいえる経済企画庁はこんな研究もする。うまく運べばそれが政府の政策となり、法律が作られて予算が付く。
いまでもそうだが、首都圏の住宅問題は深刻である。住宅を買える価格の上限は年収の5年分という試算があるが、日本の正社員の平均年収は500万円強でしかない。首都圏と地方の賃金格差を勘案して首都圏は600万円としても、5年分なら3000万円が支払える限度ということになる。5年分といわれたのは住宅金融公庫の融資でも5.5%だった時代だから、金利が下がったいまでは4000万円程度まが支払限度額か。それでも、首都圏で4000万円で買える住宅、マンションがどこにある?
だから、住宅問題、中でも高すぎる地価の問題は経済記者として、経済企画庁担当として大きな関心を持っていた。恐らく、その関心の裏側には、宅金融公庫から5.5%で借り、足りない分をあちこちからもっと高い金利で借りたローンの支払いが始まって間もなくだったという個人的な事情も背景にあっただろう。
経済企画庁を担当しながら、あちこちで
「日本の地価は何故こんなに高いのか?」
という議論を繰り返し、
「あのね、地価というのは生産性で決まるんです。要するに、その土地で事業活動をした場合、いくらまでの地価なら利益が出るかということです。その意味では、土地への投資はほかの金融資産への投資と全く変わらない。日本経済が強い以上、日本の地価が高いのは経済原則によるものです」
などという返事に
「工場用地、商業用地ならそうだろうが、住宅用地に生産性という概念は当てはまらない。住宅用地の価格を下げる政策を立案しなさいよ」
などと食い下がる私だった。
だから、
「住宅地の地価が2割下がる」
という資産は魅力的だった。よし、これを記事にしよう。
「このペーパー、もらっていいんですか?」
「どうぞお持ちください」
こうして特ダネが誕生した。地価への関心が高い時期だった。私の書いた特ダネ記事は、当然のごとく1面トップを飾った。
「へーっ、特ダネってそんなに簡単に書けるものなのだ」
とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。そう、こんなに簡単に書ける特ダネがあるのも現実である。
お役人には、自分の仕事を世の中に認めてもらいたいという根強い欲求がある。このペーパーを記者クラブで発表したら各社とも記事にしてくれるだろうが、同時発表では記事の扱いが地味になりかねない。しかし、どこかの社に特ダネとして提供したら大きな記事になるだろう。さて、どちらが自分の満足感を満たしてくれるだろうか? と計算する。特ダネの方が好ましいという結論に達したら、では、どこの社にするか、を考える。こうして残ったのが、
「最も影響力のあるメディア」
と当時信じられていた朝日新聞だった、ということだったと思う。
無論、担当記者としての私が素地を作ったこともあったろう。用もないのに局長室に入り込み、地価問題について質問を繰り返す。
「おお、大道という記者は地価問題に関心を持っているんだ」
という印象も、私にリークする一因ではあったろう。しかし、もし私が地方紙の記者で同じ質問を繰り返していたら、リークしてはもらえなかったと思う。朝日新聞の名詞にはその程度の効力はあった。
さて、目出度く特ダネで1面トップを飾ることが出来た。1週間ほど後に開かれた記者会見での私は余裕綽々だった。他社の記者と一緒に発表を聞くのだが、私はすでに書いた記事である。配られた説明資料は、私が1週間ほど前に手に入れて記事にしたペーパーと全く同じである。それはそうだ。だから特ダネになったのだ。だから、皆さんと一緒に聞いてはいるが、今日はもう記事にすることはないのだぞ! 参ったか!!
そんなゆとりがあったからだろう。ふと、気になることがあった。
「この計算式、正しいか?」
それがどんな計算式だったかは記憶にないが、私は電卓を撮りだして計算し始めた。おかしい。この計算式では、ペーパーに書いてある
「首都圏の農地に宅地みの課税をすれば住宅地価は2割下がる」
という結論にはならない。地価の下がり具合はもっと小さいのだ。
「あのう」
と私は手を挙げた。
「質問があるのですが」
はい、何でしょう? と発表者はいった。
「ここに書いてある計算式からすると、地価はが2割も下がることはないのではないですか?」
発表者はギョッとした顔をした。このペーパーの神髄は計算の正しさにあるのだ。
「君、電卓を貸して」
横にいたお付きの役人に声をかけると、出て来た電卓をひったくるようにして計算を始めた。やがて、計算を終えたらしい。
「ご指摘の通り、計算が間違っています。申しわけありませんでした」
と頭を下げた。
困ったのは私である。このペーパーを記事にするときは、役所の計算間違いに気が付かなかった。だから、1面トップになった記事は、計算間違いの結果をそのまま反映している。つまり、誤報である。それに引き換え、私に抜かれた他社の記者は、私が指摘した結果、正しく訂正された計算結果で記事を書ける。つまり、正しい記事が書ける。
こんなことって、ありか?
経済部のデスクに電話をした。
「実は、先日書いた農地の宅地並み課税ですが……」
こうして、またまた訂正記事が紙面を飾った。
特ダネを書き、その特ダネの間違いを自分で発見したがゆえに訂正記事を書く。なかなかありそうでなさそうな話である。こんな摩訶不思議な経験をした記者がほかにいただろうか?
私は不思議な記者だったのか?