12.26
えっ、俺、ここで死ぬのかな? と思った話
「私と朝日新聞」の連載を中断して、最近私に起きた事故を書いておく。
事故が起きたのは24日未明、時間でいえば午前2時か3時ごろだったと思う。時計は確認しなかったが、あれこれ付き合わせると、その頃だと思われる。
私は尿意に起こされてトイレに立った。トイレは寝ている部屋の隣である。重粒子線治療の副作用に悩まされていた頃は一晩で7回も通ったことがある親しみ深い場所である。いつものように私は襖を開けて廊下に出、トイレのドアを開けた、その前に電気をつけたはずだが、これは不確かである。
ドアを開けて中に入ろうとした瞬間の次に記憶にあるのは便器と壁の間に頭を突っ込んで長々と伸びている私自身である。左前頭部に痛みを感じたが、たいしたことはなかった。えっ、俺はトイレの敷居にでも躓いて転倒したのか? あってはならないことだが、起きてしまった以上どうしようもない。それより、左半身を下にして伸びているこの状況からの脱出を図るのが焦眉の急である。
起きようとした。ん? おかしい。手に力が入らない。であれば、足を使って体を引き出すしかない。敷居に足をかければそれぐらいのことはできるあろう。えっ? 足が動かない。手も足も動かない。ということは、俺はこのままの姿勢で朝を迎えるのか? それは……。
このところ桐生は気温の低い日が続いている。夜は零下に下がるのも珍しくない。屋内だからそこまで気温は下がらないだろうが、しかし、結構冷えることは確かだ。
ちょっと待て。この姿勢のまで朝を迎える。時を追って下がる室内温にパジャマ1枚で晒され続ける。そこまで考えが及んだ時、ふと思ったのだ。
「俺、こんな格好で死ぬのかな?」
トイレに行きかけて転倒し、そのまま凍死する。何とも情けない最期ではある。出来れば避けたい。だが、この時点でこの家にいるのは、私と妻女殿の2人だけである。膠原病を患って長い妻女殿は最近、足がすこぶる弱くなった。屋内でも押し車に頼って移動する有様だ。手の力もなく、ペットボトルのキャップも自力では開けられない。ということは、大声で妻女殿を呼んでも無駄である。この状況から私を救い出す力は持ち合わせていない。
「やっぱり、俺、ここで、この格好で死ぬのか?」
不思議なことに焦りはない。それが私の運命ならそれも仕方なかろう。どんな死に様をしようと、死んだ人間には関係はないのだ。
頭の中をそんな思いが駆け巡った。そんな中でもなんとか自力救済が出来ないか、と考えるのが人間らしい。私は動いてくれない手足を少しずつ動かしてみた。最初は頑として動くのを拒んでいたが、最初に右足が、続いて左足がなんとか動くようになった。そこで、足の力で体を引きずり出そうと試みるが、上手く行かない。客観的に見れば、両足が足掻いているだけである。はぁ、これもだめか。
それでも諦めないのが人間である。足が動き始めたのなら、手だってそのうち、と期待する。動けよ、我が手! そろそろと力を入れてみる。おお、なんとか動きそうではないか。まだ体を持ち上がるだけの力は出ないが、このんぶんなら……。
私が体をトイレから引き出すのにかかった時間は3、4分ほどだったろうか。やっと前進を外に出して長々と横たわっていた頃、2階から声がした。
「どうしたの? 大丈夫?」
妻女殿であった。私がどうと倒れた音で目が醒めたらしい。しかし、何とか自力救済にめどが立った頃のお声がけである。もう役には立たない。
「トイレで転けたけど、大丈夫だ」
いや、本当に大丈夫かどうかの見極めはまだついていなかった。しかし、助ける術を持たない妻女殿にわざわざ2階から下りてきた頂くこともなかろう、と私は思ったのである。
立ってみた。立つことが出来た。であれば心配することはなかろう。排尿を済ませて布団に入った。眠りの続きを楽しむためである。ところが、この頃から両手に痺れとも痛みともいえる感覚が起きた。ジンジンして、あるいはビリビリして、とてもじゃないが眠れない。30分ほど我慢したが何ともならず、まず鎮痛剤のロキソニンを1錠服用した。それでも症状は変わらないので眠ることを諦め、居間のリクライニングチェに場所を移し、眠ってもよし、寝につけなくてもよしの体制を取った。こうして24日の朝を迎えた。ほとんど眠れなかった。
とりあえず生きている。だが、両手はジンジン、ビリビリで指先を使う作業はほぼ出来ない。
「ま、時間がたてば元に戻るだろう」
と楽観的に考えたが、しかし、瘤は出来ていないが頭を打ったことは確かだし、それにこの両手の違和感は耐えがたい。ここは医者の診察を受けておいた方がいいか、と考えた。とはいえ、この日は日曜日である。そこで休日当番の医者を探した。幸い、整形外科が1件あった。
整形外科のドアを開けたのは9時40分頃である。診察を受け、レントゲンを撮り、結論は中心性頸椎損傷。恐らく、倒れた勢いで首が変にねじれ、脊髄を痛めたらしい。ひどければ全身麻痺にもなるらしいが、とりあえず私は歩けるし、車の運転も出来た。まあ、軽症である。
処方された薬を飲み続けいている。両手の症状は薄紙を剥ぐように軽快している。昨日まではパソコンのキーボードをたたけなかったが、今日はこの通り、原稿を書いているのがその証拠である。
高齢者が屋内での事故で死亡する割合はかなり高い。統計では知っていたが、まかり間違えば私もその一員になるところだった。そういう目で屋内を見回すと、転倒した際に凶器になりうるものはいたるところにある、玄関にある下足入れの角も、事務机の角も、サイドボードの角も、そんな目で見れば立派な凶器である、
周囲は凶器ばかり! そんなことを教えてくれた事故の交渉である両手のジンジン、ビリビリと戦いながら、原稿を入力している私である。