08.21
私は畳の上では死ねそうにないなあと思った私である。
私は畳の上では死ねないようである。酔って転倒し、打ち所が悪くて昏睡状態に陥り、そのままあの世に行くのではないか。そんな気がしてきた。
昨夜はMa氏宅で飲み会だった。桐生市内の企業経営者Niさんを囲む会で、これまで年に1,2回開いてきた。
Niさんは染色機械の修理工から身を起こして液晶パネルに使う偏光フィルムを作る機械のメーカーになり、最近はリチウムイオン電池のセパレーターの製造装置にまで手を広げている。桐生の立志伝中の人でありながら、その朴訥な人柄に惹かれた数人で始めた飲み会だ。
「Niさんは痴呆が進んでいる」
という話があった。
「まだ大丈夫だと聞いたよ」
という話もあった。いずれにしてもNiさんの痴呆症は進行しているらしい、
「そろそと飲み会をやっておかないと、Niさんを囲んで飲む機会がなくなるぞ」
という危機感に駆られて急遽開催を決めた。
Niさんに連絡を取るのは、毎回私の役回りである。
「Niさん、また飲み会をやろうって話が持ち上がっているんですが、20日と21日、どっちが都合がいいですか?」
「あ、どっちでも大丈夫よ」
「じゃあ、善は急げで20日にしましょう。お迎えに行きますが、会社がいいですか、それともご自宅?」
「すまんね。自宅の方がいいわ」
こうしえて20日開催が決まった。
19日、私はNiさんに3度電話を入れた。最初の2語は出てもらえなかった。夜の8時ごろ3度目の電話をかけると出てくれ、
「ああ、5時半頃迎えに来てくれるのね。じゃあ、待ってるわ。ご苦労をかけるね」
問い手続きを踏み、昨日午後5時半頃Niさんの自宅に着いた。車から
「もうすぐ着きますよ」
と知らせようと電話をかけてもNiさんは出ない。どうしたのか?
家に着いた。チャイムを鳴らす。奥様が出てこられた。
「どうしたの、大道さん?」
といわれて困った。だって、今日はNiさんを囲む飲み会である。ご本人の賛同を得、本日午後5時半頃無開けに上がるとも伝えてあった。そう説明すると、
「そりゃダメだわ」
と奥様はおっしゃった。
「痴呆が進んでね、外には出せないのよ。時々暴れ出したりもするんだから」
「だって、昨日も、今日の5時半頃にお迎えに上がると電話をしたんですが」
「あの人、記憶が持たないの。約束してもすぐに忘れちゃう」
ああ、こればいけない。そうか、Niさんと酒を飲む機会はもうないのか。
という次第で、昨日は主役抜きの飲み会となった。
終わったのは午後11時を過ぎていた。さて、帰らねばならない。都合がいいことに最近、酒が飲めない仲間ができた。Miさんという。私の本の表紙カバーをデザインしてくれた人である。しかも彼の自宅は我が家からそう遠くない。こんな時彼はアッシー君を務めてくれる。ありがたいことである。
飲み会会場のMa氏宅は、東京で働いていた彼が、老後の生活拠点として買った、宮大工が作った中古住宅である。敷地は広大で、道路に面したゲートから登り坂になったアプローチを歩き、玄関にたどり着く。アプローチの左側は畑である。
さあ、飲み会はお開きとなった。アッシー君の車は道路沿いに止めてある。そこまで歩かねばならない。今度はアプローチを下るのだから、畑は右側になる。そして私は、何故かアプローチの右側、畑側を歩いた。それが事故に繋がった。
瞬時、何が起きたか分からなかった。気がついた時、私は畑に長々と横たわっていた。
「えっ、何で俺がここにいる?」
結論はすぐに出る。私、多分酒に足を撮られてアプローチから畑に転落したのである。高低差は1m前後。私の図体は、その1m前後を落下したのである。
「大丈夫?」
という声がかかった。
「大丈夫」
と答え得ると、
「いや、見後にと受け身をとったね」
と誰かが言った。えっ、俺、受け身をとったか? 何かの間違いでは?
いずれにしても、私はすっくと立ち上がった。大丈夫といった通り、どこにも痛みはない。うん、大丈夫。でも、この高さから落下して何ともないないんて、いったいどういう訳だ?
ひとつだけ異変があった。視界がぼやけているのである。
「眼鏡がすっ飛んじゃった」
何人かが捜してくれたが見つからない。仕方がない。明日探すことにしよう。ぼやけた視界のままアッシー君の車に乗り、自宅まで送ってもらった。
そして今朝。そろそろ眼鏡を探しに行こうかと準備していた時、Maさんから電話が来た。
「大道さん、眼鏡見つかったよ」
すでに出発の準備をしていた私は、すぐに車でMaさん宅に向かった。
「ねえ、俺、どこから落ちたの?」
明るい朝の光の中で、Maさんに聞いた。
「この辺りだよ。ここから落ちたんだわ」
下の畑を覗き込んだ。一部にレンガで囲いをしてある。
「ということは、私はあのレンガを見事に避けて転落したわけ?」
「どこにも怪我をしていないと行こうとはそうだよね」
「でも、もし私があのレンガの上に落下していたら、肋骨の1本や2本は折れていたよね」
「そうだろうね」
「もし、私が落下したところに杭でも立っていたら、私は串刺しになっていたよね」
「大道さん、これはね、神様が『まだ来なくていいよ』っていってるんですよ」
ご記憶だろうか。私は昨年12月24日、トイレで転倒し、凍死する覚悟をした。あの事故に続く、命にかかわる転倒である。あそこに杭があったら、落ちた場所がレンガの上だったら……。
命にかかわる転倒事故を頻繁に起こす私は、畳の上では死ねないのではないか?
今朝、酔いが覚めた頭でそんなことを考えた。