07.13
私と朝日新聞 岐阜支局の7 長良川河口堰訴訟
岐阜ではもう1つ、大きな裁判を担当した。長良川河口堰訴訟である。治水、利水を目的に、長良川の河口に大きな堰を作ると水資源開発公団が計画し、住民が
「堰は作らせない!」
と立ち上がった裁判である。
記憶が薄れているが、切り抜きの中にいいものが見付かった。「法学セミナー」に頼まれて書いた原稿である。
法律の専門家、あるいはその卵が読む雑誌に、まだ駆け出し記者でしかなかった私の原稿が掲載された。読者の参考になったかどうかは不明だが、この訴訟の全体像、問題点を網羅している。これを転載する(といっても、原稿を全部キーボードで入力するのですが)。
裁判と争点 長良川河口堰建設差止め訴訟 —治水・利水と環境の保護をめぐって—
原告団の総数2万5000余人。48年12月の提訴以来、河口堰の安全性、自然保護などを争点に、岐阜地裁で50数回の口頭弁論を続けて来た長良川河口ぜき建設差止め訴訟は、証人調べもほぼ終わり、早ければ来春にも結審の見通しだ。
▇ 高度成長と共に登場した計画
長良川に河口ぜきを作るのは、治水と利水が目的だと説明される。伊勢湾台風規模の洪水を安全に流すため、河口から30㎞地点まで、計3200万立方メートルの土砂をしゅんせつする。河床が低くなっただけ海水のそ上距離が延び、塩害が起きる恐れのある地域が広がるため、河口から5.4㎞地点にせきを作り、海水を止める。あわせて、せき上流部から毎秒22.5トンの真水をとり、伊勢湾臨海工業地帯に送水する——水資源開発公団のいう計画の概要である。
この計画は、高度経済成長が始まろうとする昭和35年にさかのぼる。この年、中部経済団体連合会が、長良川の河口ダム構想をまとめた。質のよい工業用水が、大量に、安価に、欲しい。木曽三川、なかでも水質がいい長良川がねらわれた。河口部にせきを作って海水の混入を防ぎ、工業用水を取水する。
一方で、長良川は34年の伊勢湾台風以来、3年連続で大水害に見舞われた。建設省はこのため、38年に計画高水流量を従来の倍近い毎秒8000トンに改定。下流部のしゅんせつと上流部のダム建設で洪水時の安全を図り、発生が心配される塩害には河口ぜきで備える、という計画を打ち出した。川幅の拡幅、堤防のかさ上げは、現実的には不可能、との説明つきだ。いずれにしろ、中経連の構想とピタリと一致した計画だった。
まず、漁民が反対に立ち上がった。漁業への打撃を恐れてである。建設省は、アユの被害は、人工種苗生産で補う、と研究に着手した。そして一方で、43年には河口ぜきの基本計画が閣議決定され、48年夏には、建設大臣が水資源開発公団に建設計画を認可した。
同年9月、沿岸住民83人は、建設差止めの仮処分を求める訴えを岐阜地裁に起こす。そして12月、漁業関係者を中心とする2万5000余人が本訴を提起した。この問題をめぐる論点は、利水、治水、魚族を含めた自然環境の保護、の3点。しかし被告側は利水、つまり水の必要性については、主張らしい主張をしていない。せきは、あくまで治水施設、との立場をとる構えである。
▇ 河川工学者は建設省の独占
原告側は、せきは利水のための施設で、治水上は有害無益と主張する。まずせき本体が、洪水時の流水を阻害する。またせきで水をためると水位が上昇し、堤地内(堤防の外側)で今以上の漏水が起きて堤地内が湿地化する。それに、せき下流部では、高潮や津波の時は危険が増大する。そして何よりも、せき建設の理由とされる塩害は本当に発生するのか。塩害発生のメカニズムすら明らかではないではないか。
原告側はしかし、その立証に完全に成功したとはいい難い。最大の弱点は、河川工学者の協力を得られないことだ。頼みには行ったが断られた。河川工学研究の基礎になるデータは、すべて建設省の一手支配。ほかに、それほどの調査能力を持つ機関はない。河川工学者は、建設省に異を唱えるとデータの供給をストップされ、学者生命を断たれる——友人の河川工学者に聞いた話だ。
原告側はまだ、せきの危険性を立証する望みを捨てたわけではない。いま、河川の断面図、平面図、河床年報などの提出命令を裁判所に申し立てており、手に入れば独自に立証する、と自信をのぞかせる。
もう1つの争点は、魚族など自然環境への影響である。長良川は、総延長159㎞。ダムが1つもなく、この規模の河川では、全国唯一の自然河川だ。天然のアユがそ上する数少ない川の1つであるだけでなく、子孫を繁殖できるほどの川マスがそ上する世界唯一の川ともいう。
その河口部にせきができれば、アユや川マスだけでなく、生態系全体が取り返しのつかない影響を受ける。世界的なアユの権威である川那部浩哉京大教授も、法廷でこれを裏付けた。こうした原告側の主張に対し、被告側は、建設省の依頼でせき建設の影響を調べた木曽三川河口資源調査団の報告を盾に、影響はたいしたものではないとの立場を崩さない。
原告側は最近、微妙に主張のポイントを変えた。しゅんせつはいい。しかし、しゅんせつをすれば、せきはどうしても必要なのか。結局はせきを作ることによる魚の被害、自然の受ける影響と、せきを作らねば起きるという塩害の比較考量だ。どちらが大切か、また安くつくか。せき本体の建設費は500億円とも600億円ともいわれており、裁判所の判断が注目される論点である。
▇ 訴額算定と委任意思
この訴訟では、本筋とは別のところでも、今後の住民訴訟への影響が大きい2つの問題が提起された。
1つは、訴訟費用の問題である。民事訴訟の費用は、金銭、財産に関する訴訟では、争いの対象になるものの値段(訴額)で決まる。しかし、訴額が算定できない環境権訴訟などでは、便宜的に訴額を35万円とみなし、手数料は3350円だ。さらに、これが多数の住民が起こした訴訟の場合、手数料は原告1人1人が払うべきか、それとも全員で3350円払えばいいのか。この訴訟の場合、原告は、全員で3350円払っている。原告側が勝っても、単に現状が維持されるだけで、原告の具体的利益に結びつくことはほとんどない環境権訴訟の場合、現実的な運用はこれでいいと思われる。
ところが、被告側は「裁判の利益を受ける1人1人が、それぞれ手数料を払うべき」と主張している。2万5000余人がそれぞれ払えば、手数料だけで8000万円以上。原告側は「住民訴訟つぶし」と反発しており、裁判所もいまのところ、被告側の主張を黙殺した形だ。
もう1つも、被告側の同じ発想から出たものと思われる。原告団の訴訟委任の意思の確認をどうするか、という問題だ。
被告側は当初から「委任状の形式から見て、単なる署名運動か陳情書と思って書かれたものが多数あるのでは」と、原告全員に公証人の認証を提出させる命令を裁判所に求めていた。裁判所は52年12月になって、原告中14人に公証人の認証のある訴訟代理委任状を出すよう命令。14人が従わなかったため、翌年5月になって、彼らの訴えを却下した。
勢いを得た被告側はすぐ、訴訟の意思が外見的に明らかな134人を除く原告2万5204人について、同じ命令を求める上申書を提出。裁判所は12月、同じ趣旨の決定を下した。期限は今年9月20日。原告側は「物理的にも無理」と、この決定に従う気配はない。
この裁判は、原告が1人になっても成り立つ。つまり、原告が134人に減っても、裁判の本質には何の影響もない。しかし、政治的な意味は大きい。2万5000人にも上る原告団は、いわば反対運動のシンボルであり、水資源開発公団にとっては目の上のたんこぶだ。その意味で、原告団を少数にしたいのでは、と見られる。
ほかの住民訴訟への影響も見逃せない。住民訴訟は多くの場合、原告団が多数になる。訴訟代理の委任状も、1枚に10人、20人と書く場合もあり得る。その際、裁判所が1人1人について、公証人による委任関係の証明を求めることがあれば、住民側には大きな足かせとなるであろう。
※ ※ ※
昨年9月、上松岐阜県知事は現開発公団総裁と会い、河口ぜき本体の着工に正式に同意した。48年に結ばれた協定書では、本体着工には事前に知事との協議が必要で、知事は関係者の了解が成立したことを確認した上で、この協議に臨むことになっている。知事が公団総裁と協議した日、県庁には反対派住民が押しかけ、知事は機動隊に守られながら総裁と会った。その後、反対派住民は、関係住民の了解はまだ成立していない、として「建設同意無効確認訴訟」を起こしているが、水資源開発公団は訴訟の決着を待つことなく、今週にも着工する意向である。
利根川の例を引こう。本格的な治水事業が開始された明治33年、計画高水流量は毎秒3750立方メートルだった。ところが、この数字は現実によって次々に破られ、昭和22年のカスリン台風時には、毎秒1万7000立方メートルと推定される水が出て、大水害となった。治水事業はそれほど難しい。この裁判でどのような判決が出るにしろ、今後の長良川の治水に与える影響は大きい。(法学セミナー、1979年5月号)
全部で約3300字。原稿用紙にして8〜9枚の文章である。長々と読みにくい駄文にお付き合い願ったのかもしれない。お許し願いたい。
実は、この訴訟に関しては、朝日新聞にも比較的長文の解説を書いた。その切り抜きをファイルしたスクラップブックが見当たらないので再現はできない。中身は法学セミナーに書いたものと似たり寄ったりだが、1つだけ違った視点を加えた。伊勢湾臨海工業地帯に、工業用水の需要がなくなったことである。企業はつねにコストダウンを図る。工場で必要な水を減らすのもコストダウンである。水の再利用など技術革新が進み、長良川から取水しなくても水は十分足りるようになったのだ。
とすれば、河口堰建設建設問題は、環境保護、そして洪水対策として有効かどうかにかかる。原告側がいう河口堰による新たな洪水の危険はないのか? それでも河口堰を作ってアユや川マスの遡上を妨害するのか?
そんな思いを込めた原稿だった。
あれは1990年代に入ったころだった。私は東京勤務で、ある日、名古屋本社から1人の記者が東京に出張してきた。会うと津支局での後輩で、いまは名古屋社会部で長良川河口堰問題を担当しているという。その取材の一環で、建設省に行くのだという。
そうか、あの裁判はまだ続いているのか。そんな感慨に浸っている私に、彼はある記事のコピーを見せた。見ると、私が朝日新聞に書いた、あの河口堰訴訟の解説だった。
「おい、あれからもう10年以上たっている。いまさらこんな記事を引っ張りだして何の役に立つんだ?」
と問いかけた私に、彼はいった。
「これしか、頼りになる記事がないんですよ、大道さん」
はい、これは私の自慢話です。大道もそんな気分になることがあるのかとお見逃しくだされ。
それでも河口堰はできた。新幹線の車窓からだったか、あのあたりを車で走っている時だったか、私もこの目で、完成した河口堰を見た。
ペンは弱い。権力は強い。
The pen is mightier than the sword.
なのだろうか?