喜寿とは…

昨日私は77回目の誕生日を迎えた。世に言う「喜寿」である。「喜」という字を草書体で書くと「七十七」と読めることから始まった。といっても、私は草書体など書けないから、この知識は受け売りである。受け売りついでに、還暦(60歳)、古希(70歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)などは中国発祥だが、喜寿は日本独自らしい。室町のころから始まったそうだ。人生七十古来稀なり(古希)というのが常識となるほど平均寿命が短かった時代、

「えーっ、77まで生きてるの! それは目出度い!!」

ということなのだろうと、1人勝手に解釈している。
もっとも、今では77歳なんてちっとも珍しくない。刺繍作家の大澤紀代美さんによれば

「77? まだひひょっこよ」

ということになる。大澤紀代美さん、86歳

昨日はそのような日であったが、子どもたちからも孫たちからも祝いの品は1つも届かなかった。それだけではない。電話の一本も来なかった。ファミリー内における私の存在感はその程度まで落ちてしまったらしい。

だが、捨てる神があれば拾う神がある。昨夕、私の喜寿を祝う会が桐生市でひっそりと開かれた。主催者はかつて何度か「らかす日誌」に登場した桐生市の元有力者O氏である。会場もO氏宅。そして参加者は東京の中高一貫女子高の元副校長(だったと思う)のMa氏、群馬大学理工学部長のI氏、刺繍会社の会長Ka氏。飛び入りで女性も現れた、確かKoさんといったと思うが、どのような方かはあまり存じ上げない。

実はこの会、今年で2回目である。きっかけは「誕生日」だった。何と、私とMa氏、それにO氏のご長男の誕生日が同じだったのである。確か雑談でその事実が明らかになり、

「だったら飲まなくては」

と昨年も5月22日に酒宴を持った。O氏のご長男は桐生市を離れて仕事をされているので、祝いを受けるのは私とMa氏の2人である。あ、祝いを受けるといったが、多分、息の合った仲間で飲み会を開くための言い訳に過ぎない、と私は思っている。

では、たまたま知り合いとなった3人の誕生日が同じである確率はどれほどなのか? 計算すれば、私を基準において、Ma氏が同じ誕生日である確率は365分の1、そしてもう1人の誕生日も同じ確率は365分の1×365分の1だから、13万3225分の1ということになる。ま、きわめて珍しい偶然である。
しかし、この計算でいいのか? 何となく自身が持てなくなった私は、またまたAIのジェミニに聞いてみた。

特定の3人の誕生日が同じである確率は、これで正しいらしい。ただし、確率論には「誕生日問題(誕生日パラドックス)」というものがあるのだそうだ。

「何人集まれば、その中に同じ誕生日のペア(または3人組)が生まれるか」

という計算だそうで、ここからはジェミニに語ってもらおう。

もし、大道さんの桐生の友人グループが例えば50人いたとします。
その「50人の集団の中に、同じ誕生日の3人組が少なくとも1組含まれている確率」を計算すると、実は約12.8%(およそ8回に1回)まで跳ね上がります。
人間は、偶然の一致が起きると「当事者(自分と松本さんと長男)」だけにスポットを当てて「13万分の1だ!」と驚きがちですが、周囲にいるたくさんの友人知人という「分母」全体から見れば、どこかで誰かが重なる確率は、私たちが直感で思うよりもずっと高くなるのです。

まあ、誕生日まで明かし合う友人、知人となるとあまり多くない。だから50人というのはいい読み筋だろう。だが12.8%もあるの?

ジェミニによると、こういうことらしい。

23人が部屋にいるとき、「誰と誰でもいいからペアを作って、誕生日を比較する」とします。このとき、比較するペアの数が、私たちの想像を遥かに超えて膨れ上がります。
1人目の人は、自分以外の22人と比較できます。
2人目の人は、すでに比較した1人目を除いた21人と比較できます。
3人目の人は、残り20人と……
これを数式で全員分足し合わせると、23人の中で作れるペアの総数は、なんと253組にもなります。1年は365日。そこに253組ものペアが「私たちは同じ誕生日でしょうか?」と次々にクジを引いていくわけですから、どこか1組くらい「あ、同じだ!」と当たりが出る確率が50%を超えるのも、 rational(合理的)に納得がいきませんか?
ちなみに、人数が40人になると確率は約90%になり、70人が集まれば99.9%、ほぼ確実に対象が誰であれ「誕生日がかぶり」ます。

なるほどね。昨夜は13万3225分の1を祝って飲なんだが、実は8分の1であったか。まあ、それでも楽しく酒を飲んだことには変わりはない。

といいながら、1つだけ失敗をやらかした。私は

「どうせ割り勘で飲むのだろう」

と手ぶらで出かけた。いや、実はこの一週間ほどの間に、ホヤを2度食べた。スーパーの鮮魚売り場にあったから、

「久しぶりだな」

と2度も買い求め、そうえいば、どうやったら食べれるんだ? とネットで調べて調理したのであある。
何でも、最初に「+」を切り落として水を出し、次に「−」を切り落として内蔵を出す、という。えっ、ホヤにある「+」「−」って何だ? と思いながらつぶさに見ると、確かに「+」を刻印されたような突起、「−」と刻まれたような突起がある。ホヤとは、調理人を迷わすことがないようにこんな刻印をしているのか、と驚き入った。
そして、自分で調理したホヤも美味だった。酒に、ビールによくあう。その記憶があって、

「そうだ、桐生ではなかなかホヤは口にする機会がない。ホヤを10個ぐらいかっていって調理してやろう」

と思い立ち、勇んでスーパーまで買い出しに出かけたのだが、もう姿を消していた。売れるぶっbだけしか仕入れないのがスーパーだから仕方がない。
買えないものは仕方がない。では、割り勘で精算しようと出かけたところ、私を除く全員が、何らかの手土産を携えていた。O氏は刺し身と酒、 Ma氏は奥さま手作りの赤飯とメンチカツ、I学部長はバースデーケーキ、そしてKa氏はワインを数本。手ぶらで出かけたのは私だけだったのだ!
そのくせ、最も大量に酒を飲んだのは私ではなかったか。恥知らずもいいところである。

多分来年も開かれる5月22日の会には、何かを持参しなければ男がすたる。しかし、何をもっていったら良かろう?
1年かけて考えることにする。

コメント