1990年代、あるジョークがインターネットで広がりました。
マイクロソフトのビル・ゲイツがいいます。
「マイクロソフトが、コンピューターではなく車のオペレーティングシステム(OS)を開発していたら、車はガソリン1ガロンで1000マイル(1リットルで423㎞)走る奇跡のハイテク機器へと変貌していたことだろう」
急速なパソコンの普及でわが世の春を謳歌していたビル・ゲイツならいいそうなことです。
これにGMのCEOが立腹して反論しました。おまえたちはコンピューターの世界に納まってろ! という理由を並べます。
マイクロソフトが車のOSを開発したらどうなるか?
1)車は訳もなく頻繁に停止する。それが当たり前になるため、ドライバーは停止を気にすることもなく、車を再始動して運転を続ける。
2)ときどき車のドアがすべてロックされる。ラジオのアンテナを握り、ドアハンドルを上げながらキーを回せば、ロックが解除される。
3)ときどき完全に機能を停止してしまい、再始動もできなくなる。ドライバーはもはや、エンジンを設置し直すしかない。
4)新モデルが発表されるたびに、まったく新しい操作方法になるため、ドライバーは運転の仕方を学び直さねばならない。
5)車線が新たに塗り直されるたびに、新たな「オペレーティングシステム」に適したモデルの車を購入しなければならない。
6)追加料金を支払い、複数の乗客を乗せるライセンスを購入しなければ、一人しか乗れない。
7)ガソリン、水温、オルタネーター(エンジンの回転を利用して発電する装置)の警告灯が「問題全般」を示す単一の警告灯に代わる。
8)エアバッグが開くときに、「本当に開きますか?」と尋ねられる。
(「ドライバーレス革命」=ホッド・リプソン、メルバ・カーマン著、より引用)
パソコン業界の雄と自動車業界の雄が角を突き合わせる。飛ぶ鳥を落とす勢いのマイクロソフトから見れば、自動車なんて技術の進歩が止まった老朽産業。一方の自動車業界からすれば、何を言うか、ヒヨッコ。あんな欠陥だらけの商品(OS)でよくも金が取れるモノだ、というところです。
【注1】
当時は笑い話だったこのジョークだが、現在の自動車は「走る巨大なスマートフォン(SDV:Software Defined Vehicle)」と化し、まさにソフトの不具合で画面が固まったり、オンラインでOSをアップデート(OTA)して新機能を追加・更新する時代となった。GMの反論した事態のいくつかは、皮肉にも現実の課題として自動車業界にのしかかっている。
だがいま、自動運転という同じ舞台で、この2つの業界がしのぎを削っています。ITの覇者グーグルは多数の技術者を採用して開発を進め、実験段階ながら、すでに公道で自動運転車を他に先駆けて走らせています。一方、GM、メルセデス・ベンツ、アウディ、トヨタ自動車、日産などのメーカーも、これまでの自動車に機能を付け加える形で自動運転車の実現に取り組んでいます。BMWの新しい5シリーズのボディや電動パワーステアリングは、完全自動運転一歩手前の技術を前提として設計されていると一部で話題になりました。
IT業界が前面に出てくるのは考えてみれば当然のことで、ドライバーがいない車を操るのは、人に代わる人工知能、コンピューターなのです。IT企業が、自動運転車を生み出すのは俺たちだ、と力を入れるのも頷けます。
しかし自動車メーカーには自動車を作り続け、進歩させてきたという自負と誇り、それに自動運転車の主導権をIT企業に取られては企業の存続が危うくなるという危機感があります。また、前回触れた「部分的な」自動運転車は、IT技術が進んで車の様々な機能をコンピューターで制御できるようになって生まれました。コンピューターによる自動車の制御では俺たちに一日の長がある、と考えても不思議ではありません。
どちらが自動運転の主導権を握るのか。
【注2】
当時は「IT企業が自動車メーカーを駆逐するのか」という二項対立で語られたが、9年を経た現在は「全面対決」から「複雑な提携と分業」へと変化した。Google(Waymo)やApple(Appleは後にEV開発から撤退)といったIT巨頭が単独で車を作って市場を制圧するまでの道のりは険しく、伝統的な自動車メーカーも膨大なソフトウェア開発費を投じて自社OS開発に乗り出すなど、激しい混戦状態が続いている。
安倍首相は東京オリンピックの2020年、日本で自動運転車を走らせる構想を打ち上げました。開発競争は熱を帯びており、2つの業界に群馬大学理工学部のような第三勢力も加わったレースはホームストレッチに入っています。
【注3】
当時の安倍政権が打ち上げた「2020年東京五輪での走行構想」は、コロナ禍や安全面・法整備のハードルにより、描いたような華々しい形では実現しなかった。
また、当時は「第三勢力」としてレースのトップ集団に躍り出たかに見えた小木津准教授だが、その後群馬大学を離れ、研究体制が一変したのは「未公開の公開用原稿があった」に書いた通りである。

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