GMの「オートメイテッド・ハイウェイ(自動化高速道路)」構想から始めた連載は前回、軍事技術に寄り道しました。戦争で寄り道を強いられたのは筆者だけではありません。大きな評判を呼んだGMの自動運転構想も寄り道を強いられました。1941年、アメリカが第二次世界大戦に参戦したからです。GMは連合軍のために戦車や航空機、兵器の製造に専念しました。自動運転の開発に力を注ぎ続けるゆとりがなくなったのです。
第二次世界大戦の惨禍はほぼ世界中に広がりました。この戦争で亡くなった人は5000万人とも8000万人ともいわれます。憎むべき戦争は、反面で技術進歩を促すのも残念ながら事実です。劣勢に追い込まれたナチスドイツがV2ロケットの開発に最後の望みを託したように、現代の戦争は技術開発戦争でもあるのです。
そして戦争が終わると、その技術が民間に受け継がれます。味方の損害を最小に、敵の損害を最大にするために開発されたコンピューター、レーザー、レーダーなどが、戦争が終わると、自動運転車開発の基礎を形作ることになりました。
名画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、1985年の世界で生きるマーティがタイムスリップした先は1955年のアメリカでした。スティーブン・スピルバーグ監督は、あえて1955年をタイムスリップ先に選んだといわれます。この年は、アメリカの多くの人たちが「古き良き時代」と考える年、というのがその理由だといいます。それまで世界に覇を唱えていたイギリスが戦争の後遺症で覇権の座を滑り落ち、代わって躍り出たのが経済が急成長したアメリカでした。1950年代はアメリカの黄金時代と言われ、自動車の普及も急速に進みました。1950年代末、アメリカではほとんどの家庭がマイカーを持っていました。そして、自動運転の研究も勢いよく進み始めたのです。
1958年、ディズニーは人気テレビ番組「ディズニーランド」で、「米国の魔法の高速道路」という作品を放映しました。マイカーは電気自動車らしく、車庫で自動的に洗車、充電されます。家族が乗り込み、お父さんがスライドレバーで目的地を設定すると、車は自動的に動き始めました。お父さんはハンドルを握ったりせず、会社のテレビ会議に参加しています。車社会の未来図に、再び「自動運転」の夢が戻ってきたのです。
GMも、もちろん自動運転の研究・開発を再開しました。ただ、車が自分で運転するのではなく、道路に導かれて走る、という自動運転道路を目指したものでした。
1939年の構想が発展したともいえます。加えて、当時の技術水準を考えると当然の選択でした。パソコンなんかない時代です。コンピューターには振動に弱い真空管が使われ、小さな部屋ほどのサイズがありました。コンピューターだけでなく、カメラもフィルムカメラしかなく、レーダーもレーザーもいまでは信じられないほど大きな機械でした。そんなものを車に積めるはずがありません。その技術水準で自動運転を実現しようとすれば、車に頭脳を持たせるのは無理です。ほかの手段は選びようがありません。
道路に車を操縦させる。GMはそんな未来を目指しました。「電子制御道路」といいます。GMは電子工学で数々の成果を上げていたRCA(アメリカ・ラジオ会社)と組み、無線と電子回路、電磁気などを組み合わせて研究・開発に力を入れました。1958年、ネブラスカ州リンカーンの郊外道路、約120mの区間の道路に検知・誘導システムを設置し、まず1958年型のシボレー2台を走らせました。1960年にはニュージャージー州に試験走路を造ります。車線の真ん中にケーブルを埋め込み、電気を流しました。自動車の前部には2つの感知コイルが左右等距離に組み込まれました。電気が流れるケーブルから出る信号電流をこの2つのコイルが検知し、ケーブルが常に2つのコイルの真ん中に来るようにハンドルを動かします。GMは車の始動、加速、ハンドル操作、停止に成功しました。
この成果をひっさげて1964年、GMは再び万国博覧会に、自動運転車を展示しました。場所は「フューチャラマ」と同じニューヨーク州クイーンズ地区でした。試作車は「ファイヤーバードⅣ」。GMは説明文で高らかに歌い上げました。
「スーパー高速道路に入ったあとは、プログラムされた自動誘導システムに車の運転を任せ、現在の高速道路の2倍以上の速度で、快適かつきわめて安全に移動できる(ensure absolute safety at more than twice the speed possible on expressways of the day.)。いずれはそんな日が来るだろう」

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