最初の取り組みがうまくいかなければ、違ったやり方でゴールを目指すのが人間です。道路に頭脳を置くのが難しければ、自動車に頭脳を載せればいい、と考える研究者たちが出てきました。いまの自動運転に一歩近づいたわけです。1970年代から80年代にかけてのことです。
日本が先頭を切りました。1977年、デジタルカメラで得た画像情報を元に機器を動かすマシンビジョンを使った知能自動車を開発したのは 通商産業省工業技術院機械技術研究所です。道路に導いてもらわなくても、自分の「目」、2台のTVカメラを車の右前に設置した知能自動車は1978年、最大時速30㎞でテストコースを走りました。ガードレールに沿って走り、止まっている車を避けて走ることもできました。
しかし、知能自動車は目的地に向かうことができませんでした。自分の位置も分からなければ、目的地も知らなかったからです。そのため、道路の分岐点ではどちらの道に進んでいいのかが判断できません。
研究はさらに進み、80年代に入ると、左右の後輪の走行距離の差で自分の車の位置と向いている方向を割り出す機能も開発しました。初期的なナビゲーションシステムともいえます。さらに地図を参照することで走行ルートの決定もできました。またマシンビジョンで障害物を見つけてハンドル操作で避けることもでき、わずか数百mの距離でしたが、時速10㎞で自律走行しました。
このころ、民間でも自動運転の研究が始まります。日産自動車と富士通が共同研究を始め、PVS(Personal Vehicle System)という自律車両を開発したのです。道路の白線に沿って走る小型バスには、5台のTVカメラと画像処理装置、ワークステーションが積み込まれ、1989年秋には複雑なコースだと最大時速30㎞で、直線道路なら60㎞で走りました。障害物を避けることができたのはもちろん、夜や雨の日の走行実験にも成功しています。また、走った道路の地図を自動的につくったり、その地図で走るルートを誘導する機能も備えていました。
アメリカ国防省はこの頃、無人偵察に使う軍用車両の開発を手がけます。ALV(Autonomous Land Vehicle)で、メリーランド大学とマーチンマリエッタ社が研究し、1986年には時速10㎞で走りました。自動車というより戦車のような外観の乗り物で、カラーテレビで道路幅を、レーザーレーダーで障害物を検出します。軍事用ですから、オフロード走行を目指したものでした。
この研究はカーネギーメロン大学に引き継がれ、Navlabという車が生まれます。小型トラックをワゴン車のように改造し、3台のワークステーションとカラーTVカメラ、レーザーレーダーを積み込みました。当初は1分間にたった10㎝しか走れなかったのですが、間もなく時速20㎞へとスピードアップ、道路の分岐を判断して走ることができるように進化しました。
ドイツ・ミュンヘンの連邦国防大学が開発したVaMoRsというシステムは専用の画像処理装置に特徴がありました。TVカメラで撮った画像に道路端が写っていれば、そこに着眼して画像処理の高速化を図るものです。この工夫のおかげで1987年、小型バスをベースにした車を使い、アウトバーンの未開通部分で行った実験走行では時速96㎞で走ることができました。VaMoRsを乗用車に移したVaMPは1995年、ミュンヘンからオーデンセ(デンマーク)までの1700㎞のうちの1600㎞を、400回以上の車線変更をしながら、平均速度120㎞で自動運転しました。
このように、この時期は世界各地で自動運転の研究が成果を上げ始めました。どの研究も、主眼はマシンビジョンシステムを使うことにありました。言い換えれば、この時期に車が自分の「目」を持つようになったのです。
しかし、限界はありました。津川定之・名城大学理工学部情報工学科教授はこう書いています。
「マシンビジョンを用いた自動運転システムが動作する環境はきわめて限定されている。その自動運転に適した環境とは、昼間のうす曇りで影ができにくい天候で他の自動車や二輪車、歩行者が存在しない環境のことである」
とはいえ、自動運転車実現への距離は、確実に縮まっていました。

コメント