2006
08.24

2006年8月24日 フランチェスコの暗号

らかす日誌

フランチェスコの暗号、継いで戦争と国土 司馬遼太郎対話集6(文春文庫)を読了した。

フランチェスコの暗号」は8月11日の日誌に、

「本を閉じるのが惜しくなるような躍動感が、まだ出てこない」

と書いた。ついに、最後まで出てこなかった。

下巻の末尾につけられた訳者あとがきによると、作家ネルソン・デミルが、

「もしウンベルト・エーコ(『薔薇の名前』)とダン・ブラウン(『ダ・ヴィンチ・コード』)そしてフィッツジェラルド(『グレート・ギャッツビー』)が手を組んで小説を書いたとしたら、それはまさしく『フランチェスコの暗号』になるだろう」

と最大級の褒め言葉を費やしたとある。この言葉を引用した訳者も同じことを言いたいのだろう。

このように、仲間褒めだけで成り立つ世界は、やがて衰退する。読者をバカにしてはいけない。

と思うのは私だけだろうか?

 

戦争と国土 司馬遼太郎対話集6

アルヴィン・クックス、鶴見俊輔、野坂昭如、松下幸之助、ぬやま・ひろし、田中直毅各氏との対談、計8編を収録。毎度ながら、勉強になりました、というほかない。

元共産党員のぬやまさんとの対談にはこんな一節がある。

「官員では伊藤博文なんかもそう(日本に共和制を導入しようと考えた)だったらしい。博文は明治四年に大久保、岩倉らと欧米にいわば国家見学にゆきますでしょう。アメリカも含めて世界の強国はどういうふうにして国をつくっているか ―― そうすると栄えているのはアメリカとフランス、これは共和制である。とすると、われわれが天皇をかついだことはこれはちょっと少し古くさかったかな、と思う感覚があった。明確な証拠はありませんが、行きか帰りの船で共和制を唱えはじめている。それに木戸が同調した模様があります」

そうか、近代日本には天皇を担がずに、国民が大統領を直接選ぶ共和制になる可能性もあったのか。もし明治政府共和政体を取っていたら、太平洋戦争は起きていたのか、いなかったのか。その後の日本と世界はどう変わっていたか……。

歴史に if はない。しかし、持ち得たかもしれない歴史に思いを馳せるのは無駄ではない。現状を相対化する視点が身に付く。

それにしても、明治の政治家って偉かったんだなあ。それに比べて現状は……。

コソコソと靖国神社に参拝して、美しい国へなどという本を出版するような人が総理になるらしい。

これでいいのか?

読み始めた本。

好色 義経記(中丸明著、新潮文庫)

はじめに ―― 義経は無類の寿毛平(すけべい)であった

から始まる、恐らく小説。面白そう。