2007
02.26

2007年2月26日 策伝大賞

らかす日誌

我ながら、ご苦労なことだと思う。

24、25の両日を費やして岐阜市に行ってきた。目的は、長良川国際会議場で開かれた第4回全日本学生落語選手権「策伝大賞」である。
全国の大学の落研から、我こそはという学生が一堂に会し、日頃鍛えた腕前、ならぬ喉前を競う。友人に誘われて、ふとその気になった。

24日午前8時45分に自宅を出た。交通手段は私の車。2人以上で移動する場合、新幹線を使うより遙かにコストが安い。9時に川崎駅で友人を拾い、一路岐阜を目指した。順調に走れば4時間半の距離。1時半、遅くとも2時には着くはずだった。

着いた時、時計は午後3時を大きく回っていた。いや、車が故障したのではない。連休初日の渋滞というヤツに引っかかってしまったのだ。

ま、いっか。無事に到着しただけでもよしとしよう。

今回の参加者は29大学の123人。24日は3会場に分かれての予選だった。そのうちの1つをのぞいた。

ほのぼのとした会場だった。恐らくテーブルを並べて作った舞台。演者が舞台上に立つと、頭が天井に支えそうになる。8分の制限時間を使い切った出演者は、座布団をひっくり返し、演者名を書いためくりをめくって舞台を降りる。

観客席は畳敷きだ。40人も入ればすし詰めになりそうな広さで、客の半分は近くのお年寄り、残りの半分は演者の応援団となった落研の学生たち。我々のような中年組みは見あたらない。

我々の後ろに、おじいちゃんが2人座った。座るなり、なにやらボソボソ話し始めた。仲がいいらしい。

すでに生きた年数より、これから生きるであろう年数の方がはるかに小さくなると、人間は周囲への配慮をなくす。配慮するには残り時間が少なすぎるのである。残り時間はすべて自分のものだ。誰にも譲らないぞ!

2人は、恐らく耳が遠いのであろう。ボソボソが、声高になるのに時間はかからなかった。舞台では演者が懸命に演じている。

「おい、これはいかん。下手だわ」

 「そうやなあ。1つ前にやった子の方がまだ聴けたわ」

 「あれだってたいしたことはない。去年やった……」

2人は心から学生たちの落語を楽しみ、審査員の代役を買って出ていたのである。問題は、誰も彼らに審査を委嘱しなかったこと、声が大きすぎたこと、演者の心理、聴衆の心理を理解する能力に欠けていたことである。

演者がイヤな顔をした。聴衆の目が舞台を離れ、観客席に一番後ろに陣取る2人に集まり始めた。

見ていられなくなった私は後ろを振り返り、1人の視線をとらえると、我が口の前に人差し指を立てた。

「ん? ああ、そう。声がちーっとばかり大きすぎた?」

私は首を縦に振った。2人の声が小さくなった。聞き分けはいいらしい。

が、忘却も残り時間が少なくなった方々の特技である。絞られたボリュームが再び全開になるのに2分とはかからなかった。

「おいおい、それじゃあ話がつながらんわ! ダメだなあ。こいつ、無視」

私も無視するしかなかった。2人の声が会場に響き続けた。

ま、いっか。いずれにしても時間の問題である。

予選が終わったのは午後6時半近かった。ホテルにチェックインし、友人と2人食事に出かけた。「グルメに行くばい 第8回 山里の味」に登場した「GHEE胡麻」である。久しぶりに極上の味を楽しんだ。

25日の決勝は午後2時から。二日酔い気味の頭を抱えながら会場に出向いた。大ホールには、なんと1551人の客(主催者発表)が詰めかけていた。入場料無料とはいえ、大変な数である。舞台から眺めたら、飲み込まれてしまいそうな気がするに違いない。この大観衆を前に6人が演じた。それだけでも立派である。

1人15分の落語を聞きながら唸った。演ずるのはプロではない。落研に入っているとはいえ、たかが素人である。せいぜい、前座並みの話ができれば上等だと高をくくっていた。

上手いのである。前座や二つ目、ひょっとしたら真打ちでさえ飛ばされかねないほど達者な芸を見せるのである。

中でも際だっていたのは、関西大学から来た浪漫亭不良雲(ろまんてい・ぶらうん)演じる「禁酒関所」であった。話の組み立て、間の取り方、登場人物の演じ分け、スピード感。さて、落語のできの善し悪しを判断するのにどれほどの基準があるのか分からないが、どれをとっても、今日からでもプロの噺家になれる力量と見た。

6人が演じ終えて、友人と意見交換をした。浪漫亭のぶっちぎり優勝で意見が合った。が、審査員の判定結果が出るまで居残る時間はない。その足で車に飛び乗り、帰途についた。今度は友人がハンドルを持った。

我々の判断は一般性を持っているのか? それとも、桂三枝、立川志の輔という大御所を交えた審査員の判断と食い違うのか?

ま、いっか。6人にとっては運命の分かれ道かも知れないが、我々の明日の暮らしには関わりない。

今日、策伝大賞のホームページを開いてみた。我々の判断はプロと合致していた。してみると、プロの判断力も我々並みか?

東名を走る車が静岡県に入って間もなくのことだった。私の携帯電話が振動した。私は常日頃、マナーモードに設定している。

ディスプレイを見ると妻からである。岐阜を出る時に電話をした。当然妻は、私がハンドルを持って東名高速道ををひた走っていると思っているはずである。なのに、運転中であるはずの夫に電話をかけるとは、何と常識に欠ける行為であることか! 怒鳴りつけようと思って通話開始ボタンを押した。

「落としたでしょう!」

私が口を開く前に、勝ち誇ったような妻の声が耳に飛び込んだ。

「落とした? 何を?」

 「財布よ、財布!」

妻の声はますます居丈高である。財布といわれて尻のポケットを探った。ない。確かに財布がない。現金とカードと運転免許証を入れた財布が消え去っている!

「確かにないなあ」

「なにしてんのよ。落語の会場に落ちてたって、いま鶴見警察を通じて電話があったのよ。警察から電話って言うから、心臓がバクバク踊ったじゃない! どうしてくれるのよ!!」

といわれても、私の身柄は東名高速を疾走する車の中にある。横浜の自宅で電話を握りしめる妻にやってやれることは何もない。

「着払いで送って頂けるように電話をしておきますからね。それでいいわね! それにしても、財布を落とすなんてボケが始まってんじゃないの!?」

妻の電話は突然切れた。攻撃性をむき出しにした声から解放された。

「どうしたんです?」

運転席から、友人の心配そうな声がした。

「なんか、さっきの会場で財布を落としたんだって」

 「えっ、それ、やばいじゃないですか」

 「いや、着払いで送ってもらうように電話で頼むと言ってたから……。送ってもらって、あとでお礼をの品を贈るようにすればいいよ」

と言いながら、財布が警察に届けられていたら、そんなサービスはしてくれそうにない。だとすると、後日、時間と金を使って岐阜まで引き取りに行くしかない。無駄だし、面倒だし……。

しばらくして自宅に電話をした。

「頼んでおいたわよ」

無愛想な妻の声が受話器から流れた。

何で俺、財布を落としてイヤな気分を味わって、怒鳴られて、叱られて、ボケといわれて、それでも自宅に向かっているんだろ? 策伝大賞を当てたのに、今日は厄日か?

ま、いっか。岐阜には行かずに財布は戻ってくるようだし、もともと夫婦ってそんなもんかも知れないし。

でも、たまに遠出をすると、いろんな

「ま、いっか」

があるもんだなあ。

こうして人生は色合いを深めていく……、のかなあ?