2008
01.04

2008年1月4日 晴れ渡る

らかす日誌

まずは、

明けましておめでとうございます。
旧年中は拙文をご愛読いただき、ありがとうございました。今年も「らかす」をご贔屓いただきたく、伏してお願い申し上げます。

犬には盆も正月もない。年が明けた2008年1月1日の朝、本当はゆっくり寝ていたいのだけれど、仕方なく「リン」を連れて、恒例の朝の散歩に出た。
空を見上げて驚いた。横浜の空は晴れ渡って一点の雲もない。清々しい正月である。

なんとなく 今年はいいこと あるごとし 元旦の朝 晴れて雲なし

という石川啄木の短歌が、ふと頭に浮かんだ。
いや、正直に書こう。私の教養は、この短歌が自然に頭に浮かび、作者名までくっついてくるほど深くはなかった。私の頭に浮かんだのは

今年こそなにかいいことあるごとし  元旦の朝 晴れて雲なし

だった。このような短歌を作る能力が自分にないことは、私が一番よく知っている。どこかで記憶した他人の短歌に違いない。ふむ、誰の短歌かな? とネットで調べたら、啄木さんにいきあたった。
2つの短歌を比べた。やっぱり啄木さんの方が上手い。盗作をして本歌を上回らないのでは恥の上塗りである。

で、「リン」と歩きながら考えた。なかなか素晴らしい短歌(自作らしき方)である。しかし、この短歌は論理的に成立しない。
いま私が目にしている横浜の元旦の朝は、横浜市民なら誰でも目にできる。目にすれば、短歌を作るかどうかは別として、同じような思いを抱くはずである。それほど素晴らしい空の青さである。では、この空を見た横浜市民全員に、今年はいいことがあるか?
それはねーだろ。宝くじに当たるヤツもいれば、財布を落っことすヤツもいる。惚れた女に色よい返事をもらうヤツもいれば、ひじ鉄をくらうヤツもいる。今年もそんな悲喜劇が繰り返される。世の中はそんな風にできている。
第一、全員にいいことがあったら、いいことの価値が急落するではないか。いいことは、希少性の故に価値を持つのである。

我が家の正月は平穏だった。
暮れに、四日市にいる長女と啓樹がやってきた。啓樹の小児喘息の原因は、検査の結果犬であることが判明した。であれば、喘息が軽くなるまで来ることはあるまいと諦めていたが、医者の許しが出たらしい。朝夕の吸入は避けられないが、幸い、犬との同居を強いられる我が家でもいまのところ発作はない。昨夜は、桑田佳祐の年越しライブの録画を見ながら、1人ロッカーをやって乗っていた。
これが、私の「よいこと」か?

仕事始めの今日も、朝の空は晴れ渡っていた。そういえば、昨日も一昨日も快晴だった。4日連続。やっぱり、今年はいいことがあるのかな?
論理的には成立しなくても、そう思い込んだ方が気分はいい。人間は論理だけでは生きられないのだ。

皆様の元旦の空はどうでしたか?
晴れ渡っていようといまいと、いい1年を過ごされるようお祈りします。