11.18
2008年11月18日 私と暮らした車たち・その12 ゴルフの5
ゴルフの5、なんて、ドレミの歌みたいだなあ。
と思いつつ、続きを書き始めることにする。
あ、その前に。
エレキギター、毎日練習してます。人差し指、中指、薬指、小指の運動を少なくとも30分。ドレミをやって、昨日はタブ符を見ながら、Twist and Shoutに挑んだりして。おうおう、確かにこんな曲だったよなあ、と感激いたしました。
ま、進歩は遅々としたものではありますが。いずれご報告する時が来るのでは、と思考しております。
さて、車の寿命とはどれほどものなのか。
タクシーなどは40万km以上走ると聞く。 ドイツ車は5万km走って初めて調子が出るという噂もある。40年、50年前のクラシックカーを楽しむ人もいる。
だが、いずれもキチンと手入れをした上での話である。
我が黄色いゴルフは手間いらずだった。故障しない。いつも快調に気持ちよく走る。手入れの必要などなかった。車検にはもちろん出していたが、1年点検に出した記憶はない。あるいは、それがいけなかったのかも知れない。
何となく、エンジンのかかりが悪くなった。2度も3度もイグニッションキーを捻らないとエンジンが目覚めてくれない。
ギュルギュルギュルギュル
という音がしばらく続き、ドドドッという感じのエンジンの始動音にたどり着かない。買って5年目、新車の時から数えれば7年目のことである。まあ、7年間も酷使されれば、どこかは傷んでくるだろう。所詮は機械なのである。
「……という具合なんだけど、ちょいと見ておいてくれる?」
自宅近くにあって行きつけになっていたガソリンスタンドに持ち込んだ。
「分かりました。見ておきます。できたら連絡しますから」
持ち込んだのは週の初めだった。週末には黄色いゴルフには働いてもらわねばならない。まあ、それまでには調子も戻るだろう。そう信じて疑わなかった。
ところが連絡がない。金曜日になってもウンともスンとも言ってこない。おいおい、何が起きた? 仕方なく、土曜日にスタンドに出向いた。
「連絡がなかったけど、車、どうなった? エンジン、かかるようになった?」
客として当然のことを聞いた。
「ええ、まあ、エンジンはかかるようになったことはなったんですが……」
煮え切らない答えである。「が……」で打ち切られる会話にはろくなことがない。
とりあえず運転席に乗り込んでエンジンをかけた。かかることはかかった。が、何となく音が悪い。人でいえば喉がいがらっぽく、呼吸をするたびにゼーゼー音がするようなものか。
「何か、エンジンがおかしいね」
といいながら車を降り、何の気なしに車のフロントを見た。ん? 何か違う。何か顔が変だ。おい、ゴルフ、お前、顔に怪我でもしたか?
じっくり見た。見つけた。怒りがわいた。
「ちょっと、車に傷がついているじゃない。というか、鉄板がめくれ上がってるじゃない! これ、何だよ!!」
鉄板がめくれ上がっているのは、牽引用のロープを引っかけるフックの周囲である。その穴から除いてみた。えっ、フックがない!
この状態から想像できることは1つだけである。
「あんた、何してくれたの! ひょっとして、フックにロープをかけて引きがけしようとしたの? あまりに急に引いたのでフックがちぎれて周りの鉄板がめくれちゃったのかい?」
引きがけとは、ほかの車でその車を引っ張り、スピードが乗ったところでギヤをつないでエンジンを始動する手法である。かつては、バッテリーが上がった車を始動する目的などで使われた。オートマチック車全盛の昨今はほとんど見ない。
私は怒った。がソリンスタンド店員は、上目遣いに私を見ながら、ニヤリと笑った。見ると、引きちぎられたフックがヤツの手の中にある。
「どうしてくれるんだよ」
「いや、どうしてといわれてもねえ」
「冗談じゃないぞ。元に戻せよ。修理に出したら壊れて戻ってくるなんて、漫画以上じゃないか!」
「じゃあ、フックの溶接だけはさせてもらいますが、元に戻せといわれてもねえ……」
「溶接だけ、って、あんた……」
次の言葉が出なかった。
北海道の人はおおらかである。客の車を預かり、滅茶苦茶な扱いをして壊す。修理もせずに放り出し、取りに来た客に黙って渡そうとする。客が気が付くと、できるだけのことはするけど……。罪悪感の微塵もない。これをおおらかと呼ばずして、何をおおらかと呼ぼう。
まあ、北海道の大地の雄大さを思えよ。黄色いゴルフの牽引用フックが引きちぎれ、周りの鉄板がめくれ上がったって? それがどうした? 小さい、小さい。そんな小さなこといってると、人間まで小さくなるよ。北海道の大地の雄大さを思ってみなさいよ。
思わず同意したくなるほどの北の哲学である。
だが、私は九州男児である。北海道の哲学に同意するわけにはいかない。
ねえ、北海道の人はおおらかすぎるんではないかい? おおらかさを通り越している、乱暴だ、杜撰の極み、いい加減の典型、文字通り滅茶苦茶、常識はずれ……。どれもこれも当てはまる。だが、どれもこれもピッタリ来ない。北海道の人は、これらの混合物である。
あ、このスタンド店員だけかも知れないが。
私にできることは何もなかった。その日の夕方、引き取りに行った。
とりえず、フックは溶接されていた。
めくれた鉄板は叩いて元に戻そうとして痕跡はあった。元には戻らす凸凹だったが。
色が剥げたところには黄色いペイントが塗ってあった。オリジナルとは微妙に違い、黄色のツートンカラーになっていた。
謝罪はなかった。もちろん謝金もなかった。
ただ車が戻ってきただけだった。
仕方なく、ヤナセに修理に出した。エンジンの調子は戻った。当面の問題は解決した。
が、いま思えば、あれがケチの付き始めだった。
間もなく、転勤で東京に戻った。
ある日、家族を乗せて雨の首都高速を走っていた。フロントガラスを塗らす雨粒をワイパーがイッチニ、イッチニと拭き取り続ける。雨のドライブにつきものの光景である。
そのうち、変な音がし始めた。ワイパーが動くたびに、ギュルル、ギュルルと音が出る。どうしたんだ? 腹が減ったわけではあるまい? 燃料はたっぷり入っているぞ。
あれっ? 運転席側のワイパーが時々止まるぞ! サボるなよ、前が見えないじゃないか! と毒づこうとした時、そのワイパーがピタリと動きを止めた。助手席側のワイパーは、相変わらずせっせせっせと雨滴を拭き取っているというのに、1人サボタージュを決め込んだのである。
使用者側としては、個別の問題には個別に対応するしかない。分断して統治する。これは上に立つものの鉄則である。
車を路側に寄せ、止めて動かないワイパーを点検した。不具合箇所はすぐに見つかった。ワイパーを止めるナットが緩んでいる! このサボリやめ。頭のネジを緩めやがったな。今に見てろ。目に物言わせてやるから。
工具セットを出した。あ、困った。ナットを締める工具がない。これでは目にものをいわせることができない。ああ、これでいいや。何となるだろう。ラジオペンチを取り出し、力任せに締め付けた。見たか。これでしばらくは働き続けるよな!
走っていると、ドン、と大きな音がし始めたのはそれからしばらくしてだった。道路の継ぎ目や段差を乗り終える時に起きる。瞬間、地面にたたきつけられるような衝撃が運転席にも伝わる。
考えてみればこの車、新車の時から勘定すれば、もう9年目だよなあ。人間だって年を取れば関節が痛んだり、歯が抜けたり、様々な症状が出る。この車ももうそんな歳か。大事にしてやらないと。
大事に乗り続けた。この安定した関係を壊したのは、「グルメらかす」に頻出した我が畏友「カルロス」である。
「わー、なんかねこん車は」
助手席で畏友「カルロス」が素っ頓狂な声を出した。
「ガッタン、ガッタンいうてからくさ。こんボロ車!」
「お前はその車に乗せて頂いているのだ。文句をいうではない。この車はちゃんと走っているではないか。クラッチが滑って高速道路の上で走れなくなったお前のかつての車に比べれば、はるかに上等ではないか」
「なんばいいよっとかね。こん車、アブソーバーの抜けとるばい! こげな車に、よー平気で乗っとるばい」
「うるさい。黙って乗ってろ!」
その場は、威厳を持って畏友「カルロス」を押さえつけた。その場はしのげたが、私には1つだけ弱みがあった。
アブソーバーって、何?
翌日、調べた。分かった。
アブソーバー、正確にはショックアブソーバーとは、路面の変化が直接車体に伝わるのを防ぐための器具である。バネだけでは、路面から大きな衝撃を受けるとバネが縮み切り、衝撃を車体に伝えてしまう。またいつまでもバネが伸び縮みを続けて乗り心地や操縦安定性が悪くなる。アブソーバーをつけておけば、衝撃を吸い取ってくれるので、こんなことは起きない。ありがたいパーツである。
我が愛読誌「マガジンX」によると、アブソーバーに安物を使った国産車は多いらしい。安物を使えば乗り心地や安定性が損なわれるというのに。
安物を使えば乗り心地や安定性が損なわれる。では、我が黄色いゴルフのようにアブソーバーが抜けてしまったら? 路面からの衝撃を受け止めるのはバネだけとなる。だから、断裁や継ぎ目を乗り越えるとバネは一気に縮み、吸収されなかった衝撃が車体に伝わってしまう。
そう、あのドンは、そのためであった。珍しく、畏友「カルロス」が正しいことをいった。
であれば、修理せねばならない。
「いくらぐらいするんだろう?」
知り合いを通じて修理工場に問い合わせた。
「もう9年目の車だから、いまさら新品のアブソーバーというのも、何かもったいないよねえ」
と付け加えるのも忘れなかった。財布と相談してのコメントである。
戻ってきた答えは私の想定を大きく越えていた。
新品なら7~8万円、中古でも5万円前後。
5万円? ということは、車には車輪が4つついているから、全部で20万円?
私は小さな人間である。20万円に頭を抱えてしまった。この黄色いゴルフ、大枚20万円を注ぎ込む価値があるのか? 間もなく10年目に突入するが……。
考えても考えても結論が出なかった。結論が出ないまま、私はショックアブソーバーが抜けてしまった黄色いゴルフに乗り続けた。
そうそう、ゴルフのために一言弁じておかねばならない。
ショックアブソーバーが抜けたゴルフは、確かにドスン、ガタンと激しい衝撃を車体に伝えた。乗り心地などという言葉があったことを忘れるほどの衝撃であった。
だが、操縦安定性はいささかも損なわれなかった。私は一般道でも高速道路でも、ショックアブソーバーが抜けた後の黄色いゴルフを運転していて不安を感じたことはない。
感受性が鈍いだけだ、というご指摘には反論しにくいが。
その日も、ショックアブソーバーが抜けた黄色いゴルフで出かけるところだった。私は運転席に座り、いつも通りグズグズしてなかなか出てこない家族を待っていた。車内にゴミが落ちていた。どうせ家族が出てくるまでは閑である。ゴミでも拾ってやるか。
拾ったゴミを窓から捨てようと、窓の開閉レバーを回し始めた。
そう、私の黄色いゴルフにはパワーウインドウなどという洒落たものはついていない。サイドミラーだって手動で折りたたむし、シートだって手動で前後させる。何にもない、いわばスッピンの車であった。
車も女も、スッピンで魅力があるのが最高なのである。
ボキッ。開閉レバーを持った右手のあたりで、鈍い音がした。よく音を出す車である。力を入れてレバーを回そうとしていた右手がスッとずれた。
ん? 右手を目の前に持ってきた。手の中に開閉レバーがあった。そう、レバーが折れてしまったのである。
「…………」
いや、これでも普段は困りはしない。だが、我が家はよく買い物に行く。有料の駐車場に出入りするには運転席の窓を開けねばならない。その窓を変えるレバーが、根本から折れてしまった。これでは、駐車場への出入りが不可能である。
「…………」
黙って工具セットを取り出した。+ドライバーを手にすると、助手席の窓開閉レバーを散り外した。運転席に戻って、根本だけ残っている開閉レバーを取り外す。そこに助手席から取り外したレバーを取り付ける。
やってきた家族にいった。
「今日から助手席の窓は開かないからな。エアコンがついているから大丈夫だろう」
私はショックアブソーバーが抜け、窓の開閉レバーが折れても、黄色いゴルフに執着した。何とか黄色いゴルフに乗り続けたいと思った。あれは愛だったのか? それとも……。
黄色いゴルフの10年目の車検が迫った。このままでは車検に通りそうにない。
「おい、修理代をかけてゴルフに乗り続けるか、それとも車を買い換えるか、そろそろ考え時だぞ」
我が家で、黄色いゴルフ専属運転手と、財布を一手に握る大蔵大臣との頂上会談が開かれたのである。