2009
09.23

2009年9月23日 その後

らかす日誌

さて、「リン」は予定通り、19日土曜日に退院、帰宅した。
1週間に及ぶ入院生活の疲れか、ストレスがたまってしまったのか、帰宅当初はさすがに元気がなかった。久しぶりに戻った自宅でひたすら寝ていた。翌20日、長男、長女の家族が到着した。いつもなら、ここを先途とばかりに長男の嫁、長女の旦那に吠えかかる「リン」なのに、今回は静かに迎えた。いつもの「リン」とは違う。

21日朝、再び動物病院に送り届けた。この日から家族で赤城山麓の温泉に行くことになっていたからである。
22日夕、長女の長男啓樹と2人で「リン」を迎えに行った。車に乗せるとやたらと吠える。

「リンちゃん、うるさいねえ」

口にしたのは啓樹だったが、思いは私も同じだった。確かにうるさい。全盛期の吠え方と同じだ。
「リン」はどうやらあく抜けしたらしい。22日に帰宅したあとは、食欲は旺盛である。尿も、心なしか出方がいい。そして、吠える。総合すると、元気である。
いずれにしてもこれから、終末医療が始まる。その出だし、元気でいてくれるのは嬉しい。

「元気だね。余命1年を、1年半に伸ばそうね」

夕食時、妻がいった。いまの「リン」を見ていると、まんざらないことではないのではないか、と思いたくなる。

さて、その妻だが、今朝起きてくると、まだ我が家にとどまっている長女に向かっていった。

「私がガンになった夢を見たのよ」

患部がどこにあるかは判然としないが、とにかく医者にガンを宣告された。髪がゾロゾロと抜け出し、

「ああ、ガンなんだ」

と思った。そういう話である。
妻の話は中抜きになることが多い。始まりがあって、突然結論が来る。何故そうなるのか、未だに私の理解が届かない。
今回も、ガンになって抗ガン剤投与などの治療が始まり、その副作用として髪が抜け始めた、というのなら良いのだが、妻の場合はガンになる ― 直ちに髪が抜ける、ということになる。そのあたりはご寛恕願いたい。

にしても、である。飼い主としては、犬がガンになっただけでもかなり大変な思いをしている。妻に求めたい。ガンが発症するのなら、せめて、犬に片が付いてからにして頂きたい……。

さて、上に書いたように、我が一族は21、22日の両日、赤城山麓にいた。突然妻が思いつき、宿を予約し、子供に参加を求めた。その結果である。
最初に予約したはずの宿は、人数が確定したと妻が電話を入れたら、

「お部屋は埋まっておりますが」

と応えた。ひどい宿である。なんでも、テレビ朝日が紹介していたというのだが。
私が電話に出て怒鳴りつけたが、らちがあくはずもない。仕方なく、妻は次の宿を探した。1泊2日の一族旅行は、はじめから波乱含みであった。

20日夜、長男、長男の嫁、長女の旦那の4人でウッドデッキに出て遅くまで酒を飲んだ。 翌日からの旅の前哨戦である。まあ、これは粛々と進んだ。ひょっとしたらご近所には、

「うるさい!」

とお感じになった方がいらっしゃったかもしれないが、今のところ文句は来ていない。反省するのは文句を言われてからでも遅くはないので、とりあえずは、久々に語り合えて良かったと思っている。

21日は次女一家の到着を待ち、11時過ぎに家を出た。長男夫婦は朝早くから佐野のアウトレットに出かけたから、一緒に出発したのは長女一家、次女一家である。長女一家は私の車に乗り、次女一家は彼らの車を使った。車2台でのドライブだった。

「おい、行き先の電話番号をくれ」

ナビに入力するためである。私は間違いなく電話番号を入力し、ナビがガイドを始めた。途中で次女一家の車とはぐれてしまったが、なあに、どうせ同じ場所を目指すのだ。心配することはない。

と思いこんでいた。が、それがとんでもない思い違いだったと知らされるのに、それほど時間はかからなかった。

「昼飯はどこで食うんだ?」

ハンドルを握りながら、何気なく妻に聞いた。

「何とか牧場、っていうところ」

と妻が答えた。

「さっきの電話番号でいいんだな?」

と問い返すと、思いもかけない返事が返ってきた。

「何いってるのよ。さっきのは温泉の電話番号でしょう」

えっ!

「温泉の電話番号では、その牧場に行けないだろう。牧場の電話番号は?」

ナビをお使いの方なら、私の問い返しは当然のこととご了解頂けると信ずる。ところが、再び私は、理解不可能な返答に接することになる。

「知らないわよ。ガイドブックは向こうの車にあるし」

このようなとき、どう反応したらいいのだろう? おまえ、馬鹿か! とののしっても目的を達することはできないのだ。とにかく、目的地が不明なのである。

「お前、だったらどうやってその牧場に行ったらいいんだ?」

これも、ごく当然の問いかけであると、私は思う。だが、戻ってきた答えは、不可思議としか言い様のないものだった。

「大胡駅から15分って書いてあったからわかるでしょ?

おいおい、私は大胡駅がどこにあるか知らない。たとえ知っていたとしても、そこから15分という情報だけで目的地が探せるか?
大胡駅にコンパスの針を立てて15分圏を探すとしたら、ぐるりと円を描くしかない。その円周上のどこかに目的地がある。どうやって探す?
私は、旅行の計画を妻に任せっぱなしにしたことを深く反省した。寛容なところだけは、私が把握していないとことは進まない。我々は未だに不完全夫婦である。

私の車の同乗していた長女にいった。

「おい、向こうの車に電話をして牧場の電話番号を聞いてくれ」

とんでもない始まり方をした温泉行きは、間もなく2番目の山を迎える。
電話で聞いた電話番号に導かれて、私の車も何とかその牧場にたどり着いた。妻の計画では、ここで昼食である。

「レストランはどこだ」

ぐるりと見回した。風車があり、芝生が広がる。屋台が出ている。花や農産物を売るところもある。が、肝心のレストランは、どこにも見あたらない。

「おかしいわね。食事ができるって書いてあったのに……」

立案者も首をひねるが、ないものはない。おいおい、それって、目が悪いのか? それとも、悪いのは頭か?
気を使ったのか、娘たちは

「いいじゃない、休みなんだから、お昼は屋台のたこ焼きでも」

私はいやである。このようなところまで来て、何故に屋台のたこ焼きでお昼をすませなければならないのか? とはいえ、ほとんど来たことがないところだ。私にもあてはない。走ってきた道で見たものを必死で思い出した。どこかでまともな昼食をとらねばならない……。
こんな惨めな思いをする旦那って、私を含めて世の中に何人ぐらいいるのだろう?

次の、この日最大の事件は、温泉宿に着き、間もなく夕食という時間に起きた。
温泉宿に着いて以降は、比較的スムーズに時間が流れていた。私は、啓樹と瑛汰を誘い、釣り堀に出かけた。運転手は長男である。子育ての渦中にいる長女、次女を、ひとときでも子供から離してやり、休ませようと考えたのだ。まだ子供を持たない長男は、このようなときに活用すべき労働力である。

啓樹が2匹、瑛汰が1匹、マスを釣った。釣ったというより、針を落とした瞬間にマスが食いついてきたので、釣らされた、といった方が正確だが、それでも啓樹、瑛汰は狩猟の喜びに震えたに違いない。が、保護者である私は冷静である。3匹釣れた瞬間に、目的の魚を変えさせた。ほとんど釣れないイワナ、ヤマメにしたのである。マスを狙っていたのでは、10分も竿を持っていたら100匹を超すマスが釣れてしまう。処置に困る

釣ったマスを塩焼きにし、お腹に納めて宿に戻った。啓樹、瑛汰を促し、長男と4人で露天風呂に入った。長男が先に出て、私が啓樹と瑛汰の体を拭き、服を着せ、さて、私も体を拭いて服を着なければと思っていたときだった。
ふざけあっていた2人が、突然瑛汰を下にして倒れた。瑛汰が啓樹に抱きつき、そのあおりで倒れたのか、先に抱きつきにいったのが啓樹で押し倒してしまったのか、は判然としない。だが、いずれにしても瑛汰を下にして2人が倒れ、倒れる瑛汰の頭の下にベンチがあった。

突然瑛汰がギャッと泣き出した。ベンチの縁に頭をぶつけたのだ。まあ、子供がふざけあっていれば、まま起きることである。

「おお、瑛汰、痛くしたな」

といいながら瑛汰と啓樹を抱き上げると、私の手にかなりの血が付いた。えっ、出血してる! どっちだ? 啓樹の手か? 瑛汰の頭か?
啓樹の手を見た。が、啓樹の手は何ともない。ことの成り行きに驚いたのか、啓樹も泣き始めた。
瑛汰の後頭部をバスタオルで包んだ。バスタオルに血が広がった。血を流したのは瑛汰らしい。ということは、後頭部を切ったか。

私はまだ、下着も身につけていなかった。即座の行動が必要なのに困った、と思ったとき、先に出ていた長男が

「どうしたの?」

と声をかけてくれた。すぐに呼び入れ、瑛汰を託した。

服を身につけ、啓樹を連れて部屋に戻った。瑛汰の出血はほぼ止まっていた。これなら大丈夫だろう、と私は思ったが、親とは、我が子に関しては最悪のケースを想定するものである。医者に診せると言う。そういえば、私も親だった間はそうだった記憶がある。
人里から離れた山の温泉宿である。救急車を呼んでいたのでは時間がかかる。次女の旦那が自分の車で医者に行くという。フロントの電話で急患を受け付けている病院を探し、奇しくも、妻が通院する前橋の日赤病院に行くことになった。瑛汰と次女、その旦那は午後6時半前、車で出発した。

約3時間後、3人が戻ってきた。瑛汰の頭は包帯でぐるぐる巻きにされ、その上からネットがかぶせてあった。気にしていたのだろう、啓樹は瑛汰のそばに寄り、

「瑛汰、大丈夫?」

と声をかけた。
30分後、ずいぶん遅れた食事を済ませた瑛汰は、啓樹と部屋の中を走り回り始めた。
大事ない。胸をなで下ろした。

翌朝、頭に包帯を巻いたまま、瑛汰は温泉にはいるといって聞かなかった。啓樹と瑛汰はそれぞれのママ、それにバアバと長男の嫁と一緒に温泉を楽しんだ。

渋滞を心配した次女一家は、宿からそのまま横浜に戻った。ひょっとしたら、瑛汰のけがのショックもあったかもしれない。
残留する長女一家と長男夫妻で馬事公苑にいき、啓樹はポニーに乗馬した。ドイツ村・クローネンベルクに足を運び、啓樹は人工芝のそり、ゴーカート、変形自転車を楽しんだ。啓樹ははしゃぎ回っていたが、瑛汰が一緒だったらもっと楽しかったはずだ。

一夜明けて教の夕刻、瑛汰から妻の携帯に電話が入った。

「啓樹、いる?」

2人が電話で何を話したのか、私にはわからない。だが、事故があったあとでも、瑛汰と啓樹はラブラブの関係を続けているようである。

我が家にまだとどまっている啓樹は今日、私を連れて太田市のトイザらスに出かけた。欲しいものを手にしてご満悦である。だが、遊びすぎて疲れがたまったたためか、夕刻から微熱を出した。熱はすぐに下がったが、疲れは取れないらしく、8時過ぎに寝た。
妻も、長女も寝た。

この間、一番働いたのは私であるはずなのに、何故か私だけまだ起きている。私は不死身なのか?

が、いかなる不死身も、睡眠と休息は必要とする。私もそろそろ寝る。

お休みなさい。