09.20
2010年9月20日 その後
昨夕、妻女を伴って桐生に戻った。彼女は、
「明日、病院(前橋日赤)に行けると思うとホッとする」
と宣うた。いまや、病院は彼女の心の支えである。
それほど体調が優れぬらしい。
昨夕は桐生の家に着くなり、私が風呂を洗い、湯を張った。夕食は外に出ようか、と考えたが、
「横浜で作って持ってきた」
というので自宅ですませた。しかし、体調不順の故か、菜の量、種類がいつもより少ない。ビールを飲みながら口に運んでいたら、食べるものがなくなった。
「冷蔵庫に、俺が作ったカリフラワーのクミン炒めがあるから、レンジで温めてくれ」
夕食はこうしてすんだ。彼女は9時過ぎには布団に入った。
ギターの練習をする気にも、日誌を書く気にもなれなかった私は、独り映画を見た。
「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを代えた人びとの物語」
マディ・ウォーターズに始まるアメリカのブルースとロックの歴史である。面白く見て、11時半就寝。
今朝。新聞を読みながら、なかなか起き出してこない妻女に代わって私が朝食の準備をしようかと考えていたら、2階から降りてきた。そのまま台所に立ち、朝食の準備を始めたので任せた。少しは具合がよくなったか。
が、買い物に行く体力はないという。必要なものをメモさせ、私が買い出しに行く。買い物の途中で電話。
「昼食にお寿司を買ってきて」
まだ具合が悪いらしい。昼はそうめんと寿司。いま彼女は自室で休憩中である。これが我が家の最新情報である。
さて、前回のレポートからこの最新情報に至るまでの経過をご説明する。ひょっとしたら、1人か2人は、動乱が続く我が家をご心配いただいているかも知れないではないか。
17日金曜日、予定通り、私は午前7時20分頃桐生を出た。一部渋滞があり、横浜には10時半ごろ着いた。
着いてみると、全員の行動計画が変わっていた。
まず、この日早く四日市に戻る予定だった啓樹のパパのの滞在が半日延び、横浜を離れるのは夕方になっていた。パパは一人で四日市に戻る。啓樹は25日まで横浜に腰をすえ、その日、高崎から出てくる啓樹のパパの 母、つまり啓樹のおばあちゃんに東京駅で会い、2人で四日市に向かう。啓樹を東京駅まで送るのは私の長男である。ご苦労。
啓樹を桐生で面倒を見るとのプランは、我が妻女の体調を鑑みて放棄されたらしい。
その後啓樹のパパは、出産予定日に併せて休みを取り、啓樹と一緒に横浜に来る。それからしばらく、再び啓樹の横浜暮らしが始まる。
まったくもって、総力戦である。我が妻女は、差し詰め、総力戦における最初の負傷兵である。
状況を理解し、啓樹のパパ、啓樹、次女、瑛汰、それに璃子を連れて長女の入院する病院へ。私の役目は運転手であり、璃子を含む子供3人の保父であった。入院病棟の廊下で璃子を抱き、啓樹、瑛汰から目を話さない。冷房温度が高めの病棟で、所狭しと走り回るガキどもからは目が話せない。璃子を抱く腕には汗がにじみ出す。できることなら、早く家に帰りたい。
と思うのだが、長女のそばに座り込んだ啓樹のパパは、なかなか病室から出てこない。いまさら、夫婦で話さねばならないことがそれほどあるか?
啓樹のパパを新横浜まで送り、自宅に着いたのは5時を過ぎていた。すると、長女から次女に携帯メール。翌18日土曜日午後2時、担当医から家族に話があるという。家族? 啓樹のパパは帰っちゃったぞ。とすると、あれか。俺が行くしかないのか。
夕食後、啓樹と瑛汰と一緒に寝る、布団に横になると、啓樹が泣き始めた。
「パパと寝たい!」
ボスでは役目が務まらないらしい。が、そんなことをいわれても困る。なだめになだめて、翌日、トイザらスに行くということで妥協が成立した。約束を交わすと、ニコニコっと笑った啓樹はすぐに寝息を立て始めた。現金なものである。
18日土曜日は、午前11時から瑛汰の公文教室。啓樹も連れて教室に行く。啓樹、お前もプリントやれ。
「面倒くさい!」
といいながら、足し算のプリント2枚、漢字のプリント2枚。やればできる。公文の先生にすべて花丸をもらい、啓樹はご機嫌だった。
でも、啓樹。ひょっとしたら頭のスポーツはあまり好きではないか?
啓樹、頭を使うのは楽しいぞ! これからの啓樹の指導ポイントである。
瑛汰は顧問教室のスケジュールに沿ってプリントをこなす。こちらもすべて花丸。
昼食を終えて、今回は啓樹、次女、瑛汰、璃子に、仕事が休みだった瑛汰のパパを加えて長女の病院へ。子供3人を瑛汰のパパに託して、長女、次女と3人で医者の話を聞く。
前置胎盤に加え、胎盤癒着が起きている疑いがあるとのこと。MRIで撮った写真を見せながら丁寧に説明してくれた。
といわれても、こちらには予備知識がない。そこで質問を差し挟みながら聞いた。
前置胎盤とは、何らかの原因で胎盤が子宮口をふさいでしまった異常妊娠である。子宮口がふさがれているため普通分娩は難しく、帝王切開での出産となる。
それだけならまだしも、胎盤癒着を併発しているのが問題とのこと。これは、胎盤が子宮に癒着し、剥がすのが難しい状態になっている恐れがあるという。
それが、何か問題ですか?
「胎盤は最終的には子宮から離さねばなりませんが、癒着していると剥がす際に大量の出血が起こる恐れがあり、最悪の場合失血死につながりかねません。かなり大変な状態です。福島県で、このためになくなった患者さんがいて裁判になりました」
えっ、そんなに大変なお産なのか?
「失血は、胎盤を無理に剥がそうとすると起きます。福島県の場合は、事前に胎盤癒着が分かっておらず、帝王切開をしたら癒着していた。それで剥がそうとしたら出血が始まって止まらなかった、ということのようです」
では、どのようにして出産を?
「まず、足の付け根から血管に管をいれ、出血が始まったら止血できるようにします。ただ、違ったところから出血が始まる恐れもあります。だから、ご本人の血を事前に800ccとっておき、手術中も出血した血を回収してフィルターを通し、もう一度体内に戻せるようにします。こうして出血に備えます。最悪の場合は子宮を摘出します」
子宮を取る?
「はい。胎盤を子宮から無理に剥がそうとするから沢山の血管から出血するので、子宮そのものを取ってしまえばあとの処置が楽なのです」
まとめよう。
胎盤癒着かどうかは、MRIの検査だけでは不明である。現状では、その疑いがある、ということしか分からない。
最も恐ろしいのは出血、失血である。このため、手術には麻酔科、泌尿器科(膀胱と癒着している恐れも考えられるので)など、多くの専門家の協力が必要となる。急に破水したり、陣痛が起きた場合は緊急手術となり、専門医がそろわない危険がある。従って、10月6日の出産というスケジュールを立てたが、緊急手術のリスクを減らすため、出産日を早めて9月下旬としたい。また、開腹して胎盤癒着が認められた場合は、子宮摘出を認めたいただきたい。
納得のいく説明であった。福島県の事件は、帝王切開をして初めて胎盤癒着に気がついた。それに比べれば、最初から胎盤癒着の疑いがあるとして関係する専門医をすべて集めて慎重に手術をしてくれるというこの病院は信頼に値する。
さらに知りたいことがある。
胎児は大丈夫なのか。
母胎を助けるために、胎児をあきらめるという選択肢は残されているのか。
「胎児はまったく問題ありません。この段階では、母胎を救うために胎児をあきらめるという選択肢はありません」
もっと早く分かっていたら、その選択肢もあった?
「いや、胎盤癒着はわかりにくくて、早期発見は難しかったと思います」
長女は、掛かり付けの四日市の産院では胎盤癒着はおろか、前置胎盤の可能性も聞いていないという。四日市の掛かり付けは、まったく異常に気がついていなかった。
ということは、長女がたまたま祖父の葬儀で横浜に来て出血したのがよかったということですか?
「そうもいえます。出産が始まってから前置胎盤、胎盤癒着に気がついたということでは、福島の二の舞になる恐れもありました」
連休明けには手術の日程も決まるだろう。その日はまた横浜に行く。そんなわけで、我が家はしばらく落ち着かない。
考えたこともなかったが、産む、産まれるとは、なかなかに大変なことである。
そうそう、トイザらスである。
医者の話を聞いて、その足でみなとみらいのトイザらスに行った。
「見るだけ!」
の約束を啓樹、瑛汰とは交わしていたのだが、悪いものが見つかった。
ライトセーバーである。スターウォーズ熱にかかっている2人が、これを見逃すはずがない。しかも、桐生の八木節まつりで2人に買ったライトセーバーと違い、こいつは本物のように刃の部分が伸び縮みする。普段は円い筒なのに、ボタンを押すと刃が飛び出して光る。うなり声もする。優れものだ。1499円。
瑛汰のパパと顔を見合わせた。
「仕方ないか」
2人分お買い上げ−! 無論、支払いは私。
以来、2人は
「僕たちがみんなを守るゾ!」
とすっかりその気で、ライトセーバーを振り回している。
その啓樹と瑛汰に、昨日昼過ぎ別れてきた。驚いたことに、瑛汰が
「ボス、帰っちゃダメー」
としがみついて泣き出した。
「もっと、いっぱいいっぱいいて。だから、あと9日いて」
何故9日なのかは謎である。
ボスは今日の夕方から仕事があるんだよ。ボスが仕事をしないと、トイザらスに行っても何にも買えないぞ。ライトセーバーも買えなかったぞ。
「買えなくてもいい。お願いだから明日までいて。瑛汰、ボスと寝たい!」
泣き止まない。離れない。
でもなあ、瑛汰。よし、ボスが買ったアイスクリームがあっただろう。あれを一緒に食べてバイバイしようか。
「アイスクリーム?」
アイスクリームは瑛汰の大好物だ。涙が途切れた。満面の笑みとなった。啓樹、遊びに来ていた女の子も交えてアイスを食べた。瑛汰はご機嫌だった。もう大丈夫か。
「アイスも食べたな。じゃあ、バイバイね」
といったとたん、瑛汰の顔がまた崩れた。
「ダメー、帰っちゃダメー。一緒に寝たいの!」
あの娘にそういわれればボスの相好も崩れ、仕事なんかどうでもいいか、やに下がるかも「知れないけど、瑛汰に言われると困っちゃうなー。
しがみついて離れない瑛汰を何とか説き伏せて車に乗り、長女の病院に回った。我が妻女は、一度も病院に長女を見舞っていない。
「と、瑛汰が泣きじゃくってなあ。啓樹はキョトンとしていたが」
「自分も泣きたかったけど、先に瑛汰をこされて泣くに泣けなかったんじゃない?」
なるほど、子供とはそのようなものか。
瑛汰、啓樹、またすぐ合うからな。元気になった啓樹のママと赤ちゃんに一緒に逢いに行くからな!
明日は前橋日赤まで、専属運転手として妻を送迎する。