2011
09.20

2011年9月20日 剥離骨折

らかす日誌

というタイトルで、賢明な読者であればおおよそのことは察していただけたのではないか。
そう、瑛汰のその後である。

今朝、横浜の自宅近くの整形外科でレントゲン写真を撮ったところ、左肘の剥離骨折であると判明した。ま、簡単に言えば、スケボーでこけて激しく肘を打ったショックで、肘の骨が一部剥がれてしまった。
よくもまあ、そんなスピードでこけたものだと思うが、できてしまったことは仕方がない。

医者は、

「明日、もう一度来てください」

といったそうだ。明日、再びレントゲン写真を撮って治療方針を決める。選択肢は、ギブスで固定して癒着を待つか、全身麻酔の上で手術して剥離した骨を元の場所に戻し、固定するか、のどちらかだそうである。
しかし、5歳の幼児が全身麻酔で手術ねえ……。

私が子供のころなら、恐らく

「痛てっ!」

で終わっていた怪我である。

「どうした?」

と駆け寄る友だちには

「嫌っていうほど肘をぶつけちゃって、痺れてるよ。ああ、痛てっ」

と説明して、終わり。
本当は泣きたいほど痛いのだが、友だちの前で泣くわけにもいかぬ。我慢しているうちに痛みは和らぎ、やっぱり遊びのほうが楽しくていつの間にか痛みも忘れる。
遊び疲れて家に戻ると、肘がズキッと痛む。なーに、たいしたことないさ、と2、3日するうちに、いつの間にか忘れてしまう。骨は元通りにはなっていないかも知れないが、日常生活に不便することはない。
てなものではなかったか?

それでも、何十例かに一例は剥離した骨のくっつき方が悪く、曲げ伸ばしが不自由になったりする。豊かになった現代は、

「我が子が、その不幸な一例になってはいけない」

とほとんどの親が恐れて医者に連れて行くから、医者が繁盛する……。

まあね、昔は子供の数が多かったから、1人や2人、身体の一部が不自由になっても気にするゆとりがなかった。少子化時代のいまは。自分の子供の隅から隅まで目が届く。そういうことなのであろう。

 

で、瑛汰である。
剥がれた骨のかけらがよほど変な場所に動き、そのままでは骨本体とくっつきにくいとか、くっついたらおかしな形になってあとが困る、ということでもない限り、

「ギブスで固定しましょう」

ということになるはずだ。

瑛汰とは常日頃、

「瑛汰はおっちょこちょいだね」

 「違うよ。ババのほうがおっちょこちょいだよ、ねえ、ボス」

と言い合いをする仲の、我が妻殿は

「瑛汰が入院したら横浜に行く」

と張り切っている。張り切りついでに

「私がいないほうが、友だちを呼んだりできるし、いいでしょう」

などとも宣う。そう、我が家は妻殿の体調が不全のため、友人を呼んで酒を酌み交わすことができないのである。

横浜に行くのはいい。恐らく、瑛汰に対して、

「やっぱり瑛汰のほうがおっちょこちょいだよ」

といいたいのであろう。

私を一人残すのもいい。桐生に仕事を持つ私は、おいそれと瑛汰の看病には行けない。一人暮らしをする覚悟ぐらい、いつだってある。
だが、である。
私の友人は、むくつけき男ばかりと確信しているような言いぐさは心外である。
若く、美しく、セクシーで、スリムなのに出るべきところは出て、

「ねえ、今晩は大道さんの奴隷になりたいなあ……」

と耳元で甘く囁く友だちがいないと、どうして確信できるのか?

私、最近はなめられているようである。
ま、月のうち20日以上自宅で夕食を食べていては仕方がないかも知れないが……。

でも、チャンスだぞ。

出でよ、
若く、美しく、セクシーで、スリムなのに出るべきところは出て、

「ねえ、今晩は大道さんの奴隷になりたいなあ……」

と耳元で甘く囁く友だち!!!!