2012
07.30

2012年7月30日 柔道?

らかす日誌

どうもいかん。
考えるに、始まりの時間がよくない。

オリンピックの柔道

である。夕刻に始まる。だから、晩酌をしながら、何となく見始める。まあ、日本選手だから、一部の例外を除いて勝ち上がる。すると、決勝戦は深夜に及ぶ。
仕事を持つ身である。 それに、無理のきかない年代にさしかかった私である。だから、それでも、準決勝が終わったら寝るようにしている。決勝戦の結果は朝まで待つ。

それでも、入浴して食事を済ませたあとはテレビの前にどっかと座り込む毎日となる。はなはだ不健康な生活だ。このような暮らしをしてしまうのは、高校時代に、ほんのちょっぴりとはいえ、柔道をかじったせいであろう(関心をお持ちの方は、「グルメに行くばい! 第3回 :お好み焼き」をお読みいただきたい)。

毎日、テレビの前に座り込んで、オリンピックの柔道なるものを見ながら思う。

「これ、柔道?」

違う。これは柔道ではない。柔道らしきものでしかない。

私がかじった柔道は、何よりも恥を知るスポーツであった。敵に後ろは見せない。弱みは見せない。どんなに恐怖しても、見かけだけは正々堂々と闘う姿勢を保つ。

足の運びはすり足である。足はできるだけ畳から離さない。
腰は伸ばす。投げられまいと腰を引くなどは、柔道の根本精神を無視する怯懦な姿勢である。
お互いに組み合う。そこから技を出す。

八方の崩しという。
前に投げたかったら、相手を後ろに崩す。単純にいえば相手を押す。後ろに崩された敵は、倒れまいとして前に向けて力を入れる。その相手の力を利用して前に投げる。
相手を後ろに倒したかったら、この逆だ。相手を前に引きずり出す。そうはさせじと敵は後ろに引っ張る。その力を使う。

私の知る柔道とは、そのような競技であった。

ところが、どうだ、このオリンピックの柔道は。

試合場に入った選手は、ぴょんぴょん跳び回る。まるでボクシングのフットワークだ。これは柔道ではない。
組み合わない。組み手争いといえばそれらしく聞こえるが、なんのことはない。両手を顔の前で激しく動かして相手の手が自分の柔道着に触るのを邪魔する。ボクシングのジャブの応酬だ。
組んだと思ったら、腰を90度に曲げる。こうすれば相手は技をかけにくくなるのだが、こちらも同じで、技が出しにくい。
挙げ句の果ては、力で振り回す。帯を握って相手の体を力任せに引き寄せ、自分の体も倒しながら相手の体を投げ飛ばす捨て身技が多い。これでは、単なる力比べだ。柔よく剛を制す、という柔道の精神などどこかに飛んでいった。技の切れなどどうでもよく、とにかく、ルールに則ってポイントを競う競技に堕した。

恐らく、柔道が国際スポーツになる際、世界各国にある格闘技と混交したのである。混交すれば基本が曖昧になる。

「それ、違うんだけどなあ」

と思いつつ、国際スポーツになるには各地の風俗・習慣を取り入れざるをえない。偶像崇拝を禁止したキリスト教なのに、教会は堂々とイエスの貼り付け像を置く。布教の過程で土地土地の風速・習慣を取り入れた結果であろう。あるいは、より簡単に布教するための手立てでもあった。この偶像崇拝と変わるところはない。

試合を見ていると、日本柔道の伝統を守っているのは、いまや日本選手程度である。あとは、反則まがいの関節技を繰り出したり、力自慢を披露したりと、それぞれの国、地域の特性を出しながら、柔道らしきスポーツをする選手ばかりである。

柔道の醍醐味がない。

しかし、日本の選手が、柔道の国際試合で勝つとは、大変なことだと実感する。なにしろ、スタイルが全く違うのだ。最初から帯を掴む選手など、日本では変わり者でしかなく、恐らく、

「なんという柔道をするんだ!」

と指導者から叱られる。そんな伝統の中で実力を付け、国際大会に出場するようになって初めて、柔道らしきスポーツを出会うのである。戸惑うに違いないのだ。

それに。
柔道とは格闘技である。つまり、敵を制圧するのが目的である。
今のルール、必ずしも相手を制圧した方が勝つとは限らない。自ら倒れながら相手を投げる技で、どう見ても畳にぶつかった衝撃度は技をかけた選手の方が大きいのに、相手に引きずられ、体が不覚にもくるりと回って背中を畳に付けてしまった方が負ける。
畳の上でなく、野外で闘っていれば、恐らく技をかけた方が大きなダメージを受け、かけられた方がたいした怪我もせずにすぐに起き上がるはずだ。
これも、本来の柔道からの逸脱である。

国際化と引き替えに失ったものが多すぎると思う。私と同じようにテレビでオリンピックの柔道を観戦なさっている方々のお考えはいかがであろうか?

 

にしても、である。
旗判定で3対0だった勝負(どう見ても誤判定であったが)が、協議の末に0対3にひっくり返る審判団とは、いったい何だ? 人間に間違いはある。しかし、3人全員が間違い、3人全員が直ちに間違いに気がつく確率って、どれくらいある?
あの試合の3人の審判は、直ちに辞表を出すべきだと思うが、いかが?

 

かくして、本日もテレビの前に座り込むことになるのだろうなあ……。