2013
03.13

2017年3月13日 疲れた

らかす日誌

本日午前11時過ぎ、あかりの顔を見る長旅から無事桐生に戻った。走行距離の合計は約670km。我が愛車は今回も快調に旅を支えてくれた。

と書くことができれば、すべてはハッピーエンドである。なのに我が愛車、11年の酷使にやや疲れを感じ始めているようである。
いつもと違った挙動に「?」を感じたのは、桐生から静岡に向かって高速道路を飛ばしている時だった。時折ではあるが、追い越し車線に入って前の車を抜こうとアクセルを踏み込んだ時などに、ほんの一瞬だが、エンジンが止まるような感じを受けるようになったのだ。
アクセルを踏む。グーンとエンジンの回転が上がる。その時、ストッという感じでエンジンの力が弱まる。コンマ数秒のことだが、それを過ぎると再びエンジンの力が感じ取れる。少し違うが、ターボラグ、つまりアクセルを踏み込んでターボが効くまでに少しの時間がかかる、そんな感じなのである。

たいしたことはないのかも知れない。だが、違和感は違和感である。5月は5回目の車検。だから

「車検の時に見てもらうか」

と考えつつ、車を転がし続けた。本当に時折の違和感であるし、全体で見れば我が愛車は私のアクセルワークに素直に従って、BMWらしい快調な走りを続けるのである。

それが、横浜からの戻り、つまり今朝、東北道から北関東自動車道に入ってまもない頃、突然ウォーニングランプが付いた。何だか、歯車の中にびっくりマーク(!)が入っているようなメッセージである。何だ、これ?
同時に、エンジンが何となくおかしい。仕方なく、広めの路肩に止め、マニュアルを取り出した。見ると、トランスミッションエマージェンシープログラムが作動したのだと書いてある。これだけでは何だから分からない。ディーラーに電話した。

「ああ、そうですか。それはコンピューターが何らかの異常を検知して、トランスミッションを3速に固定したんです。まあ、走れないことはないし、走ってもいいですが、ずっと3速なので加速や燃費に影響しますね」

ああ、だから何となくエンジンの感じがおかしかったのか。

「何でこんなウォーニングが出るの?」

「分かりません」

「じゃあ、ディーラーで見てもらわなくちゃいけないんだ」

「そうですね。でも、ほら、いい機会だから、買い換えを考えてはどうですか? ねえ、新車にしましょうよ」

「それはない、っていってるジャン。次のモデルが出るまでは何とかがんばる。それとも、ちょうど決算期末だから、大幅値引きする? それなら考えてもいいけど」

「いや、そんな、また……」

「あれ、エンジンをかけたらウォーニングランプが消えたよ」

「えっ、消えましたか。だったら、そのまま走っても問題はないと思います」

「ということは、次にランプが付くまではディーラーに持ち込まなくてもいいのね」

「はい、それでいいと思います」

「よし。ということで、商談は次期モデルだからね。早く出るといいね」

というわけで、やや速度を落としながら自宅に戻った。といっても、120kmや130kmはでていたような気がするが……

しかし、我が愛車は疲れ気味のようである。その後、ドアロックがリモコンキーからできなくなった。機械的にロックしたら何と、すべての窓が開いてしまった!
どうやら車の疲れは、頭脳部分、つまりコンピューター部門にまで及んでいるようである。この異常はその後、出たりでなかったり。そうか、お前もオーナーと同じように、ぼんやりする頭を含めた寄る年波と戦っているのか。よし、ともにがんばろうではないか!

ということはあったが、我々は生まれて3日目のあかりに会ってきた。最初に送られてきた写真と比べれば顔はずいぶん人間らしくなってきた。見た妻女殿は

「この子、鼻の形は我が家の血統ね。でも、顔かたちは整ってる。きれいな顔してるジャン!」

ひいき目とは、すべてのあばたをえくぼに見せてしまうものである。

40を過ぎて始めて子持ちになった我が息子は、とりあえずは落ち着き払っているが、12日にあかり見物に出かけた四日市の長女によると、

「お兄ちゃん、あたふたしてるわ。ミルク飲ませてゲップをさせようとしたらゲップが出ないの。そしたらさあ、『おかしい。ミルクを腹一杯飲んだら、必ずゲップが出るはずなのにどうして出ないんだ? 何かやりかたがおかしいのか?』って焦りまくってさ。人間なんだもん、マニュアル通りには行かないのよね」

流石に2人の子を育てつつある先輩である。
まあ、長男も1ヶ月もすれば子育てのベテランのような顔をするのだろう。子育ては、勉強と、習うより慣れろを旨とする事業である。

で、あかりのご尊顔を11日に拝し、その夜は静岡の居酒屋で盛り上がった(何と、長男の友人夫妻=子連れと独身の友人も病院に駆けつけていた)我々は12日、まず相模原まで足を伸ばして歯の治療を済ませ、横浜の次女宅にちょいと顔を出して頭脳警察のコンサートに駆けつけた。

知らなかったが、ジョイントコンサートだったらしく、最初に出てきたのはつまらないロックバンド。ヴォーカルの声はよく伸びるのだが、何やらベタベタまとわりつくような演歌風の歌い方で、ロックのリズムにはまったく乗らない。そうそう、昔美空ひばりのロックがこんなだっだような……。多分オリジナルであろう曲も、メロディーラインがはっきりせず、美しさの欠片もなくて退屈この上ない。

「これ、前座だよな。3曲もやれば引っ込むに違いない。そうか、頭脳警察は前座付きのバンドになったのか」

と聞き流していたら、なかなか引っ込まない。とうとう1時間もやり続けて、

「はあ、ジョイントコンサートだったの」

と気がつく始末である。
呆然としていると、近くの席にいた人が囁いてくれた。

「知ってます? このバンド」

「いや、知りません」

「あの、直木賞を取った町田康のバンドなんです」

いま、この日誌を書くためにネットで調べたら、直木賞は間違いで、取ったのは芥川賞とある。いや、それだけじゃなく、ざっと見ただけで7つばかりの文学賞をもらっているではないか。へーっ。

「そうなんですか。何か、部分的に井上陽水のパシリみたいな感じもあって、私はいただけません。それならロックなんかやるより、御本業に勤しまれた方がよろしいかと」

「そうですねえ。詩にもあまりメッセージ性はないですからねえ」

じゃあ、町田康の本を読む必要もないか、などと雑談をしているうちに、やっと頭脳警察が登場した。一発目の音から

「あ、これがロック! これが音楽!!」

・ふざけるんじゃねえよ、
・軍靴の響き、
・銃をとれ!

リズム、音、メロディライン、メッセージ(いいか悪いかはともかく)。どれをとっても格段の違いだ。そうそう、私は、頭脳警察のリーダー、PANTAは日本が世界に誇るミュージックメーカーであり、ロックンローラーであると1人唱え、ミュージシャンとしてのPANTAを大いに尊敬している変わり者である。

・時代はサーカスの象にのって

どこからでもやり直しは出来るだろう
お前はお前自身が創り出した
一片の物語の主人公だから
でもせめて聞かせておくれ
悪夢ではないジンタの響きを

時代はゆっくりとやって来る
臆病者の象にまたがって
せめてその象に
サーカスの芸当を教えてやろう

舞台でシャウトするPANTAに合わせて口ずさんでいた。大音量の伴奏に合わせて音程正しく歌うのが難しいことが分かった。自分の声が聞こえない。俺、正確な音程で歌ってる?

そのうち、思いがけないことが起きた。何となくウルウルしてきたのだ。いかん、涙まで参加してきたではないか。おいおい、ロックコンサートでどうして泣かなきゃいかん?!
はあ、そうか。これが年齢を重ねるって事なのか。PANTAは1950年2月生まれ。私と同じ学年である。舞台を見ると、総白髪をポニーテールにし、このところちょいと小太りになったPANTAがいる。そうなんだ、俺はこんな年齢なんだよなあ。一緒に歳をとってきたんだよなあ。って涙ではなかったか?

アンコールの締めは

・さようなら世界夫人よ

これは、自分にも聞こえるぐらいの声で一緒に歌った。おい、コンサートで歌うなんて、ひょっとしたら初体験ではないか?

ふむ、頭脳警察、PANTAはそこまで俺の人生に食い込んでいるか。
と思っている私のそばで、我が妻女殿は興奮が隠せず、舞台から引っ込むPANTAに向かって

「ありがとう!」

と何度も何度も連呼されておられた。そうか、この人も、鏡を見ればしわくちゃになったことも忘れて、この時だけは青春をしていらっしゃるのか。

というわけで、コンサート会場からの帰りの車では、もちろん、PANTAをかけた我々であった。

で、今日は午前6時半に横浜を出て、午前9時半からは桐生で仕事をしているはずの私だったが、昨夕、コンサートの直前にキャンセルの電話が入り、今朝はゆっくりして午前9時頃横浜を出た。その後の展開は、冒頭に書いたとおりである。

総走行距離670km。たいした距離ではないが、何となく疲労感のある私である。そろそろそういう年代に入ったか。それとも、静岡で2直煮まで繰り出したつけが回ってきただけか。

帰宅後は、留守中に録画されていた映画や音楽の整理に従事している私である。