2016
04.20

2016年4月20日 悪妻

らかす日誌

夏目漱石の妻、鏡子は悪妻だったか否かで論争があったのはいつのことだったろう? 私なんぞは数年遅れ、数十年遅れで読む本が結構あり、読んだ本のどこかに

「悪妻だった」

「いや、それは不当な言いがかりだ」

という甲論乙駁があった記憶がかすかにある。

ま、鏡子さんが悪妻であったってなかったって、鏡子さんの夫ではない私には何の関係もない。ましてやすでに鬼籍に入られた女性であってみては、どうでもいいことである。
だが、

「なるほど。論争の根はこんなところにあったのかもね」

という話にぶつかった。

その人、というのは中村鶴心堂という表具師である。表具師ということは、掛け軸や額などをつくったり修理したりする人である。明治25年の生まれというから、すでにこの世の人ではない。

この中村さん、当初東京で、ふすまや障子張りの職人に弟子入りして修行していたが、ふとした機会に京表具の素晴らしさに触れ、京都での修行を思い立つ。この時、紹介の労をとったのがあの夏目漱石だったそうだ。近所付き合いだったのだという。
鏡子さんの話はここから始まる。あとは、その本を引き写す。

今でも忘れられないのは、紹介状を頂いたお礼に、先生のお宅に伺った時のことなんですが、内玄関に立ったら奥さんが出てみえましてね、有名な鏡子夫人です。太って立派な方でした。
「京都へ参りましたら、一所懸命やって参ります」
って申し上げたら、
「そりゃあんたの勝手よ」
ってんです。————なるほど、これはそのとおりで、これには驚きました。
京都へ行きましてからも、時々この
「そりゃあんたの勝手よ」
が思い出されましてね。がんばっても投げ出してもみんな自分の責任だ、がんばらなくちゃ————と、良い励みになりました。歯に衣を着せない言葉ってやつには力があるもんですね。

これは

職人衆昔ばなし」(斎藤隆介著、文春学芸ライブラリー)

からの抜き書きである。この本で紹介されるぐらいだから、中村さん、昭和の名工であったのだろう。

いや、それは今回のテーマではない。照準は鏡子さんである。
ご主人にお世話になって、念願の京都行きができるようになった。その恩に報いるためにもがんばって参ります、と挨拶する客に

「そりゃあんたの勝手よ」

これ、普通はなかなかいえません。普通は

「そうだったの、よかったわね。ほんと、がんばってちょうだい。腕が上がったら、うちでも何か頼もうかしら」

程度のことをいう。それが当たり障りのない挨拶言葉である。
なのに、

「そりゃあんたの勝手よ」

主人がしたことは紹介まで。あなたががんばるかどうかはあなたの問題であって、当家とはまったく関係がありません。
物事の本質をずばりと言ってのける。すごいおばさんである。
この件(くだり)を読みながら、私はクスリと笑ってしまった。

「そりゃまあ、こんな物言いをしていたのなら、周りが『あれは悪妻だ』と評しても仕方ないだろうなあ」

そうなのである。世間は当たり障りのない、言い換えればどうでもいい挨拶、無駄な言葉で大部分がつながっている。いった方も本気ではなく、いわれた方も右の耳から入ってすぐに、左の耳から出す。そんな無意味な言葉を除けば、さて、今の世間に、どれだけ聞くべき言葉が残るか?
残る言葉を発する人は、必ず誤解される。

「そりゃそうだけどさ。なにもそんな言い方をしなくても」

とむくれ、やがて恨みを持ち、それが「悪妻」との評価につながる。
ん? だが、ひょっとしたら、私はミニ鏡子かもしれないなあ。口が悪いって言われるし。俺、俺のいないところでは何といわれてるんだろう?

しかし、本質を突く言葉は、本質を受け止める資質を持つ人には正確に届く。この中村さんがそうだ。普通なら怒り出しても仕方がない言葉を浴びせられたのに、彼は「良い励み」にした。さすがである。東京に戻った中村さんは、大正天皇の銀婚式式典に文武百官が献上する画帳と巻物の表具を任され、横山大観の信任を受けるなど、一時代を築いたのである。後の成功は、鏡子さんの言葉を、はっしとうけとめることができた器から湧き出たのではないか?

本物には、本物の言葉がきちんと届く。
夏目漱石も、鏡子さんの言葉に鍛えられて(いじめられて?)不出生の文豪になったのかも知れないと、クスクス笑いながら考えた私であった。


しかし、である。
熊本の被災地から中継するNHKの女子アナ、いや、ひょっとしたら報道記者かも知れないが、奴らはどうしてヘルメットをかぶっているんだろう?
だって、被災者でヘルメットをかぶっている人は1人もいないぞ、少なくともNHKのニュースを見る限り。しかも、中継現場は広場のようなところで、中継中に震度8の地震が来たって、上から落ちてくる物は何もないはず。

あのヘルメット。地震で現地の人たちが傷つくのはよくて、NHKの記者やアナウンサーが怪我をするのはいけないということか?
被災地を、被災者をバカにしてないか? 彼らの不幸を飯の種にしながら。どうよ、NHK様!?