2016
05.11

2016年5月11日 忘れ物

らかす日誌

前回の日誌で書き忘れたことがあった。Iさんの話である。

Iさんの実家はかつて、桐生市でたばこ屋さんをやっていた。たばこ屋さんは宝くじ販売を兼業することが多い。Iさんの実家もそうであった。

「一度ね」

とIさんは話し始めた。私の車の助手席でだったか、神戸の飲み屋で夕食をとっている時だったか記憶ははっきりしない。だが、話の中身は明瞭に記憶に残っている。

「うちの店で売った宝くじで3億円当たった人がいましてね」

ん? 桐生市で3億円?! 思わず私は口走った。

「ね、今度の宝くじで、3億円当たるやつを俺に売って! いや、1億円でもいい、御願い!!」

Iさんの返事は素っ気なかった。

「それがわかれば、私が買います」

うむ、それはそうだろう。ね、御願い、一緒に買わない? そして3億円を折半して……。

「でね、びっくりしたんですよ」

Iさんの話は続いた。

「宝くじって、当たってもすぐにお金になる訳じゃない。しばらく日にちがたってから、指定の口座に振り込まれるんです」

はあ、そうなんだ。当たったことがないから知らなかった。

「ところが、そのあたった人、まだ口座にお金が振り込まれないのに、なんとベンツを4台も注文しちゃったんですよ!」

えーっ、ベンツ?! あのねえ、ベンツよりBMWの方が遥かにいい車なんだけど、その人、物の価値が分からない人だったんだねえ。アホや。

いやいや、そんな話ではないだろう。宝くじで3億円当たって、3億円が自分の銀行口座に振り込まれる前にベンツを4台注文する。当たった嬉しさのあまり、憧れ続けたベンツを1台発注しちゃうのならわかる。でも同時に4台? そいつ、いったい何を考えてるんだ?

いや、そんな話でもないだろう。
持ち慣れない、いや持ったことがない3億円という大金を突然手にする。その時人は、何を考え、何をするか?
恐らくその瞬間に、人はあらゆる思考能力を失うのであろう。
ベンツを4台注文したからには、その家族は4人構成だったに違いない。自動車王国群馬の桐生市である。車がなければ日常生活が営めない桐生市である。その家庭には多分、これまで軽自動車が2、3台あったはずだ。それで充分に用は足りていたはずだ。
そこへ突然の3億円。

「おっしゃー、とてつもない金持ちになったわ。軽自動車? あんなもん、自動車か? ミニカーに毛が生えたようなもん、もう俺たちには関係ないわ」

と見切り、

「よっしゃ、この際、みんなでベンツに乗るデー。俺もかあちゃんも息子も娘も、専用のベンツや。1人1台や。ブイブイいわせたろうやないか!」

と舞い上がったのに違いない。
まあ、宝くじで当たった金だとはいえ、自分の金である。それをどう使うかは持ち主の自由であることには間違いない。だが、金を含めてあらゆるものには、良い使い方と良くない使い方がある。良い使い方を身につけようと思えば、使うことに慣れねばならない。突然我がものになった使い慣れないものを突然使うと、ろくな結果にはならないというのが常識である。
この3億円当選者の金の使い方は、どう考えても、金を使い慣れた人の使い方ではない。

で、その家族、その後どうしてます? と聞いてみた。

「いや、それが」

とIさんはいった。

「しばらくしたら、市内で見かけなくなりましてね」

4人はどうなったのだろう?


と考えていた思い出したことがある。ある不動産屋に勤めていた知りあいの話である。

彼は大手不動産会社の社員として、多くの地上げに携わった。

「最初はね、こうやって俺たちが地上げしなけりゃあ、首都圏に流れ込んでくる人たちの住む場所はないんだ、って使命感に駆られてたよ。だから、広大な土地を持つ農家をたずねて、まあ、札束でほっぺたをひっぱたくような真似をして土地を買いあさった。これも、新しくここに住む人の為だと思えば、誇りを感じることはあっても、疑問を感じることは全くなかった」

ふむふむ、全国から首都圏に流れ込んだ新住民の住居というのは、そのような不動産業者によって確保されたのであるか。

「でもね、何の機会だったか忘れたけど、自分で地上げした土地に行ったことがあるんだ。もちろん、立派な住宅地になっていて、ここにもあそこにも新しい暮らしが始まっていて、何か幸せが溢れているような気になったさ」

それは良かったじゃない。ますます自分の仕事を誇りに思った?

「で、それを見ながら、ふと、俺に土地を売った農家、つまりいまじゃあ10数件の新しい家が建ってる土地の元の持ち主のことが頭に浮かんだのさ。それで、『あの人たちどうしてます?』って調べてみたの」

まあ、汗水垂らして代々受け継いできた土地が突然大金に変わって、生活は一変したろうな。

「そしたらね、みんな同じ末路を辿ってた。典型的なのは、こうさ。親爺は町のキャバレーに通い詰めて、そのうちそこの女といい仲になって妾にしちゃってる。かあちゃんは、というと、農作業で真っ黒になった顔におしろいを塗りたくって、こっちはホストクラブ通いさ。バカ息子はばかでかいアメ車を買ってどっかのバカ女をひっかけて遊びまくっているし、バカ娘は狐みたいな顔してO脚、大根足のくせに極端なミニスカートで色気を振りまき、まあ、そんな女にひっかかる男もいるんだねえ、とにかく男遊びで身を持ち崩す、ってやつだね。つまり、俺が札束でほっぺたをひっぱたいた農家は、家庭崩壊よ。1つ残らずそうなんだわ」

うーん、わかりやすい。つまり、人間ってのは、いつもは取り澄まして偉そうな顔をしているけど、一皮剥けば本来の姿が現れ、それに持ち慣れない金を持たせると、結局はチンコとチンチンの話にしかならないってことかよ。

「俺、土地を買収する時は使命感に駆られていたけど、だけど、俺がやったことはいったい何なんだ、って考え込んじゃってさ」

持ち慣れぬ金を持つと、ひょっとして誰しも同じ姿をさらしてしまうのか? その1つの例がパナマ文書か?

何となく、人間不信に陥りそうな話題であった。

ん? 私が宝くじに当たったら?
そうねえ、まずは子供たちに家を買ってやるのかなあ。それで金が残れば自分の家を買って(いまの家は売って)、それでも残ったら、貯金かな? だって、車を買い換えるのは3年先と決めてるし、オーディオは手を加えるところはないし、他に使い道ないでしょ? キャバレー、ナイトクラブに日参すると疲れそうだし。


オバマ大統領が広島に来るのだそうだ。原爆を落とした国の元首が、原爆の被害を受けた地を訪れる。マスメディアは、画期的なことだと絶賛している。

しかし、絶賛するだけでいいのかね?

米国ではすでに、次の大統領を決める選挙日程が動き出している。ポスト・オバマはクリントンか、それともトランプか、が全米だけでなく、世界中の注目を集めている。
ということは、だ。オバマとはすでにレイムダックなのである。この時期になってオバマが何をしようと、誰も気にしない。政治的な効果は皆無に近い。それがレイムダックの意味である。
つまりオバマは、当選した当初はあれほど強く核のない世界をつくると宣言しながら、自分がレイムダックになって自分の行動に政治的意味合いが希薄になるまでは広島、長崎を訪れなかった。いまごろ広島に来ても世界は何も変わらない。何を今ごろのこのこと、と考えるのが常識というものではないのか?

オバマとは、肌が黒いにもかかわらず大統領になったほかに何か意味があったのか? 映画監督オリバー・ストーンは、頭の悪いブッシュ政権のやったでたらめな政策を、頭脳優秀な法律家らしくきちんと整えて同じ事をやった大統領に過ぎない、と手厳しく評していた。

メディアはいま少し、物事を深く見る習慣をつけた方がよいと思うぞ!