07.29
2016年7月29日 毎日が
今日の更新で、左の「最近のバックナンバー」からDACづくり」が消えた。新しい日誌に追い出されてしまった。まだ完成もせず、失敗とも決まらず、中途半端なまま1か月以上がたってしまったことになる。
※ここは理解しにくいでしょうが、旧「らかす」のフロントページの描写です。このままにします。
作りかけ。気にならないことはない。が、どれほど気になろうと、できないものはできない。
最初は、電源部分に必要なパーツが手元になかったことだ。それが揃った頃には仕事があった。仕事をしていたら神経痛になった。という泣くに泣けない展開でほっぽり出したままになっている。出来れば来週には決着をつけたい、とは思っているが、これも体調次第である。
DACづくりのパートナーであるM氏は孤軍奮闘されておる。完成させて通電したが、音が出ない。チップを基板から取り外し、再びハンダ付けするも、今度は一部のチップが発熱した。もちろん音は出ない。
「打つ手に行き詰まっています」
ひょっとしたら、製作途上である私のヤツも、同じ運命を辿るのか?
だが、DACについては別の展開があった。我が周りで、Raspberry Piを使ったデジタルオーディオの世界への新参者が2人できた。沼田市に住む同僚と、我が長男だ。
沼田の同僚はクラシック音楽のファンで単身赴任である。酒の席で話していたら、かなりの数のCDを所有しており、大音量でクラシックを流しながら仕事をするのが快感だという。
「でも、CDが増えすぎちゃってさあ。引っ越しの時も、重いんだよねえ、CDって」
ということだったので、だったら、とラズパイオーディオ(Raspberry Piを使ったオーディオシステムをこういうそうだ)を薦めた。
「ラズパイが5000円程度。それに差し込むだけのDACカードが5000円程度。ケースは1000円程度からあり、それに外付けHDDはいまや3テラで1万円で買えるし、マイクロSDカードなんて1000円ぐらいだから、締めて2万円少々。このDACカードは使ったことがないので音質はわからないけど、とりあえずそれだけでCDを全部廃棄できる。音が気に入らなければDACキットを買って自作することもできるし、あ、俺はまだ完成させられずに泣いているけど、作るのが面倒だと思えば、少々高いがメーカー製のDACを繋ぐ手もある」
彼はすっかりその気になったようで、ということは、私には天性の説得力があるようで、すぐにそのすべてを注文したらしい。
「来たよ」
という連絡が入ったのは、記憶によれば半月ほど前のことである。
普通なら、
「音が出たよ。いいね、これ」
程度の電話が数日のうちに入るはずである。が、ウンともスンとも言ってこない。あいつ、本源的な欠礼症患者か? あまりにも連絡がないので数日前にこちらから電話をした。
「どうなった?」
という私に、彼は悠然と答えた。
「いや、ラズパイってvolumioで動くんだよね。で、これはLinuxで書かれてるんだよね。俺、Linuxはまったく知らないという訳でもないもんだからさ、ネットで見ながらいじり始めたのよ。それがなかなか進まなくてね」
ん? Linuxをいじる? そういえばネット上にはLinuxのソースの一部を書き換えて、なんてのもあったが、でも、ラズパイで音楽を楽しむにはまったく不要だぞ。volumioをネットでダウンロードする。それをマイクロSDカードに焼く。そのカードをラズパイに挿す。そしてラズパイをLANに接続し、ブラウザでラズパイにアクセするとvolumioの初期画面が現れる。そこで初期設定をする。それだけで音が出るのである。Linuxをいじる? いったい何をやってるの?
「Linuxなんていじる必要はない!」
そう伝えて1時間ほどもしたろうか。
「大道さん、出たよ、音。いいねえ。○○(何か私の知らないクラシック音楽であった)の最初のシンバルの音が気持ちよく抜けてね。確かにいいわ」
あ、そう。おめでとうさん。ということはあれか、1週間前後もLinuxで書かれたプログラムの改造に取り組んでいたのか? ご苦労さん。
いまひとりの新参者は長男である。ラズパイにDACカード、金属製のケース、そしてマイクロSDカードをすべて私が買い求め、組み立て、いつでも音が出る状態(もちろん、volumioの設定だけは別)で送った。ヤツから電話が来たのは送って10日ほどたった夜のことである。
「音、出ないんだけど」
いろいろ話を聞くと、問題はvolumioの設定にあるらしかった。私もパソコンで自分のラズパイに接続、自分の設定を見ながら説明した。
ただ、私のラズパイには音楽データをデジタル信号で出すカードが刺さっている。長男のやつにはその代わりにDACカードが挿してある。設定の違いはそこだけである。
「多分、これでいいと思うけど」
と話していたら、向こうでそうしたらしい。
「あ、出たわ」
これもクリア。
かくして、私の周りにはCDから解放され、ネットワークオーディオで音楽を楽しむ連中が増えている。
最近付き合いができた人々にも、
「簡単に、安価に、よりよい音が楽しめますぞ」
ラズパイオーディオをお薦めしている。3人目、4人目が登場するのも時間も問題であると、私はひとり悦に入っている。
にしてもだ、我が日常。
今朝は8時過ぎに目を覚まし、朝食後は外に出て読書しながらパイプ煙草を楽しみ、終わると事務所で伝票を整理し、次いで読書。
昼食を終えると、TSUTAYAのCDと朝作成した伝票とを投函するため、近くの郵便局へ。これ、どれだけ歩けるようになったかのテストを兼ねたもの。100mほどしか離れていないのに、途中で一度しゃがみ込む。まだ病人であると判断せざるを得ない。帰宅して読書。今日はたまたま読書だけにしたが、昨日までは映画鑑賞にも時間を費やしていた。
夕、入浴しながら読書。
この日誌を書き終えると、リビングに場所を移して映画鑑賞。
ふと思いついた。神経症発症以来の私の毎日は、いずれは訪れる毎日が日曜日の暮らしである。かような日が必ず来ることは誰にも避けがたく、じゃあ、どうやって過ごす? と考えた結果、大量の映画を貯め込んできた私である。
だが、っだ。現実に1日に3本も4本も(この間の最高は、1日6本)映画を見るとなると……。
やはり人間は動き回らねばつまらん。歩いて人と会い、言葉を交わし、互いに何ものかを感じ取って豊かな交友を喜ぶ。それが普通の、いや、好ましき生き方であろう。
早く治ってくれ、神経痛。