2018
08.01

2018年8月1日 ベトナム

らかす日誌

不思議な本を読んだ。

シンパサイザー」(ヴィエト・タン・ウェン著、ハヤカワ文庫)

という。
帯には、アメリカ探偵作家クラブ賞、ピュリッツァー賞を受賞したとあり、「戦争が終わってもスパイの闘いは終わらない」と書かれている。スパイ小説を好む私としては、見逃すわけにはいかない本である。

主人公は北ベトナムのスパイだ。フランス人の牧師とベトナム人の母の間に生まれた私生児で、父親は終生、この子を無視した。アメリカに留学した俊才で、ピジョンイングリッシュ(現地化した英語)ではなく、アメリカ人並みの、正しい発音と正しい文法の英語をしゃべることが出来る。この語り手が民族の解放と自立、国民の自由を求め、共産主義思想に染まって共産党に入党。大尉の地位を持つスパイとして南ベトナムに送り込まれ、南ベトナム秘密警察長官の片腕となる。
これが物語の構図である。

もう少し付け加えれば、語り手は学生時代、生まれをからかった数人の学友に殴りかかったことがある。しかし多勢に無勢でさんざん蹴られ,殴られするのだが、そこに見物の中から助っ人が入る。初対面のマンとボンである。それでも相手の数は多く、3人は体中傷だらけになるのだが、それが3人を終生の友にした。
ところが、である。マンは北ベトナムのスパイハンドラー、つまりモグラとして南ベトナム高官に潜り込んだ語り手を操る仕事に就き、ボンは南ベトナムの軍人になる。なんと、終生の友情を誓った3人が政治に引き裂かれるのだ。それも、知らないのはボンだけである。語り手は同じ南ベトナムで暮らすボンと、家族ぐるみ(語り手は独身だが)の付き合いを続け、マンには秘密のインキで書いた報告書を送り続けている。

そして、北ベトナムによる南ベトナムの解放、あるいは北による南の占領がやってくる。語り手は南ベトナム高官やボンたちと一緒に最後の脱出機C-130で逃れ、アメリカに渡る。空港で脱出機を待つ語り手たちは、ベトコン、北ベトナム正規軍、あるいは置いてきぼりを食らった南ベトナムの軍人、いずれともつかぬ軍の攻撃を受け、ボンの家族は全員殺されてしまう。

アメリカに渡った語り手の仕事は、ベトナムの共産主義からの解放を目指す元高官の行動を、つぶさにマンに伝えることだった。高官はやがてタイに前線基地を設け、統一されたベトナムに闘いを挑む準備が整った。語り手はボンとともにタイに旅立つのだが……。

正直、楽しんで読める本ではない。そりゃあ、スパイが一人称で語るのである。ジェームス・ボンドではないのだから話が重くなるのは当然のことである。逮捕された北ベトナムの女性スパイの尋問、そして強姦に立ち会わざるを得なくなる語り手。スパイ行為がばれそうになり、身代わりに罪もない大食漢の少佐を殺す語り手。

だがこの本には、私が

「ベトナムが解放されて良かったね」

とかつて祝いながら呑んだ酒を

「俺って何も分かっていなかったんだなあ」

という後ろめたい酒に変えてしまう豊富な事実の積み重ねがある。
誰にでも勧めたくなる本ではないが、若かりし頃、ベトナム戦争に関心をお持ちになった方には是非読んでいただきたい本である。

そうそう、思わず

「なるほど!」

と唸ったフレーズが2つあった。ご紹介する。

「(語り手はベトナム人が耐えられない音楽を探している)少し調べてから、私は白人の兵士たちに人気のあるサイゴンのバーの1軒に行き、そこのジュークボックスから1枚のレコードを入手しました。有名なハンク・ウィリアムズの歌う『ヘイ、グッドルッキン』。ハンク・ウィリアムズはカントリーミュージックの象徴とも言える歌手で、その鼻にかかった声はこの音楽が完全に白人だけの音楽だということを——少なくとも私の耳には——表していました。アメリカ音楽に親しんできた者でさえ、このレコードを聴くと少し身震いします。レコードは何度も再生されてきたため、引っ掻くような雑音がときどき入りました。白人もジャズを演奏し、黒人もオペラで歌うアメリカにおいて、カントリーミュージックは最も人種が分離した音楽です。暴徒化した白人たちが黒人を縛り首にしながら楽しむ音楽があるとすれば、カントリーのような音楽でしょう。カントリーがリンチの音楽だとはいいませんが、ほかのどんな音楽も、リンチの伴奏としては想像できません。ベートーベンの第9交響曲はナチスの好む音楽で、強制収容所の司令官たちも聴きましたし、トルーマン大統領も広島への原爆投下を思案する時に聴いたかもしれません。クラシック音楽は高尚な大量虐殺の音楽にはなります。それに対してカントリーミュージックが刻むのはアメリカの心臓地帯の素朴なビート。勇ましく,血なまぐさいビートです。サイゴンのバーでは、白人の兵士たちがジュークボックスでハンク・ウィリアムズやその仲間の音楽をかけるので、黒人兵たちはそのビートに打たれるのを恐れ、よりつかなくなります。酒場から聞こえてくるこうした音楽は、『黒人お断り』という看板と同じなのです」

ふーん。桐生の友、O氏はカントリーミュージックのファンである。カントリーミュージックをこのように聞く耳があると言うことを知るのも悪いことではなかろう。

もう一つ。

「私がアメリカから戻ったあとの、1969年頃。まだボンとマンが子持ちになっていなかった当時、私たち3人は週末ごとにサイゴンのバーやナイトクラブに行き、私たちの若さを無駄にしたのです。無駄にするのでなければ、いったい何のための若さでしょう?」

これは日頃から「無駄の効用」をいう私も、ドキッとした。無駄にするのでなければ、いったい何のための若さでしょう! ほんと、そうだよなあ。

というような本である。関心を持っていただけましたでしょうか?