2019
01.02

2019年1月2日 忘れた

らかす日誌

年明け早々から、「らかす」の拙文をお読みいただいている方々が結構いらっしゃる。筆者としてはありがたい限りである。
突き放していえば

「年明け早々、あんたも暇ね!」

ということになろうか。
ついでながら、せっかくの暇である。できることなら「らかす」をお知り合いにご紹介いただく時間にして読者増強運動にご協力いただければ嬉しい限りである。あなたにとっても、これ以上ない暇の有効活用になると愚考する。

さて、それはそれとして。
これもまた年明け早々であるが、昨日の原稿に書き忘れたことがあることに昨晩、布団に入ってから気がついた。いや、もともとはその一事を書こうと思いついた「健康データ」公開であった。書いているうちに、書こうと思っていてことを完全に忘却する。これも、昨日の【頭脳編】に付け加えなければならない無念の事実である。
要は、惚け度はそれなりに進んでおる。ただ、惚け度は進んでも、時間をかければ思い出すところが、まだしもの救いである、という解釈にしがみつく私である。

さて、何を忘れたというのか。
睡眠時間である。よって、これは【体力編】の一項目として書かれるべきことであった。それとも、【総合編】を新たに作るべきだったか?

睡眠時間とは、年齢ととともに減っていくというのが通説である。私も数年前、睡眠時間の減少に戸惑ったことがある。何時に寝ても、午前1時に寝ても2時に寝ても、朝4時半か5時になると目が醒めてしまうのである。しかも、一度醒めると2度と寝付けない。そのため昼間はボーッとした頭を抱えたまま何となく過ごし、夜になると

「今日こそはしっかり寝るぞ!」

と決意して布団に入るのだが、横になって本を読んでいると、寝不足にもかかわらずなかなか眠くならず、午前1時、2時になってしまう。

「早朝に目が醒めてしまうのは、きっと、朝の光が部屋に入りすぎるのだ」

と窓の外にすだれをかけたり、部屋の中にスクリーンを立てたりしたが効果はなかった。1日の睡眠時間は3時間から6時間程度だったか。

それなのに、である。
私が今朝目覚めたのは8時半である。昨日は8時であった。昨年末のある日、目が醒めて時計を見ると、なんと9時! 午前1時半に寝付いたとしても、それぞれ7時間、6時間半、7時間半の睡眠時間ということになる。
ひところの睡眠時間短縮が嘘のような現在である。しかも、途中で目が醒めても、窓を見て外が暗いと再び目をつむる。そうすると、すぐに眠りに落ちるのである。

寝る子は育つという。では、60歳の還暦を超えた時点で私の年齢はリセットされ、現在9歳になってやっと2度目の成長期に入ったということか? 成長期だから身体が睡眠を求めるのか?
しかし、である。これ以上育てば私の身長はやがて2mを超え、体重は150kgに迫ってしまう。そんな異様な身体になるのはごめんである。もっとも、12月以降、そのような身体の変調はないから、私は寝ても育ってはいない。つまり、成長期にには入っていない。

では、どうして? と考えるが、回答らしきものは思いつかない。ただ、毎朝目を覚まして

「今日もこんな時間まで寝ていたのかよ」

と驚くばかりである。

しかし。だ。睡眠とは成長期の身体が求めるものである。だとしたら、身体に悪いはずがない。考えようによっては、睡眠時間が長くなっているということは、私の身体は日々若返っているのかも知れないのである。いいことではないか!

いいことの裏には、悪いことがくっついてくるのが困ったところだ。私の長引く睡眠時間につきまとうマイナスとは、腰痛である。私の腰、布団で横になっている時間が長ければ長いほど、起きたときにこわばりが強いのだ。前屈みになるのがつらいほど、腰の筋肉がバリバリになってしまうのである。
私の身体は老化しているのか、それともこれは成長期に付きものの、身体のバランスの乱れゆえか。

そんなことを書こうと思って書き始めたのが、昨日の日誌であった。一つのテーマを書くのに2日かかる。それが私の現在ということなのだろう。ひょっとして、来年は一つのテーマを書き終えるのに3日かかるようなるのか?

平均すると、男性が知力、体力の大きな曲がり角にぶつかるのは72歳だという。女性は76歳としぶといが、それはどうでもいい。
72歳まであと2年少々。老いを冷静に見つめ、あわせて充分に楽しもうと思う私であった。