2019
01.07

2019年1月7日 総支配人 その2

らかす日誌

私の前任者はO君であった。経済部の同僚で、あのキヤノンのH氏と同じ麻布高校の出身。大学は確か一橋である。父は日本経済新聞社の社長を務めた。いわゆる御曹司で、だからだろうか、自らチェロを弾くから、クラシック音楽にも造詣が深いはずだ。私とはまるで違う。学歴といい、趣味といい、朝日ホールの支配人にはうってつけの人物である、やはり会社は適材適所の人事を実行している、と当時は思っていた。
しかし、だ。適材適所を実行する会社が、何故私をホールの支配人にした? そこは解けない疑問だった。

だが、ホールの総支配人っていったい何をするの?
すべてはO君に聴くしかない。

聴けば、ホールを担当する社員は、朝日新聞の社員が5人、あとは朝日新聞系列の朝日建物管理に業務委託している。業務委託はしているのだが、何故か同じ事務室で仕事をする。そして、朝日新聞から朝日建物管理に出向している社員もいる。加えてアルバイトが一人。
つまり、朝日新聞社員、朝日建物管理社員、朝日新聞社からの出向者、アルバイト、と職場が4層構造になっていて、4層の人たちが一つの部屋(有楽町にも事務室があるので、正確には2つ)で仕事をしている。会社が違うということは、待遇面も全く違うということである。同じ仕事をしながら、給料も休暇制度も、時間外制度も全く違う複数人が同じ部屋で四六時中顔を突き合わせる。
確かに、人間関係がギクシャクする素地はある。

仕事は、まず浜離宮ホールでの朝日新聞主催の公演がある。これは朝日新聞社のホール担当の社員が音楽事務所と交渉し、価格を決めて公演を買い取り、新聞広告を出し、ポスターを印刷し、チラシを作ってコンサートを運営する。会社が作ったルールでは年間予算は1500万円の赤字。利益を出さなくてもいいばかりか、1500万円までの損失が認められる。嘘のような世界である。そして、当時浜離宮朝日ホーールはできて13年になっていたと記憶するが、それが1度も達成されていない。少ない年で2000万円、多い年には3000万円内外の赤字決算が続いていた。

貸しホール業務もある。有楽町朝日ホールはほとんどが貸し出しており、稼働率は80%を超えて順調。しかし、浜離宮は稼働率が悪く、音楽ホールでも確か60%強、併設されている一般貸しホールは40%程度の稼働率だった。これをもっと稼働するようにしなければならない。

人事査定もある。私が

「こいつはよくやった。こいつはサボっていた」

と部下の評価をしなければならない。おいおい、俺に人が裁けるか?

仕事の概略の説明を受けた後は、数字の説明である。それぞれのホールの稼働率、収支、そして問題の朝日新聞主催公演の収支。

A3の紙にプリントされた数字を見ながら、私はのけぞった。ホール事業の収支は前年度、たった1年で11億5000万円の赤字である。11億5000万円! それも毎年!! 一度でいい、そんな金が私の口座に入ってくれば、私は仕事なんかほっぽりだすのだが。

「で、支配人の仕事って、この11億5000万円の赤字を消すことなのか?」

私は、当然の質問をしたつもりだった。ところが、思いもかけない返答がやって来た。

「お前はバカか! 消せるわけないだろ、そんなもの。だから会社だって、主催公演の収支しか見ないんだよ」

そうか、やっぱり俺はバカなのか。そうだよねえ、バカを見込まれてホールの支配人にされたんだもんねえ。そりゃあ、1年で11億5000万円にも上っている赤字を、私なんぞが消せるはずはない。
私はシュンとした。シュンとしたあまり、

「何いってんだ。お前はその朝日主催公演の収支だって、目標に届かせることができなかったじゃねえか!」

という、いまなら当然口にする一言が出てこなかった。我ながら情けないものである。

でも、こんな赤字を垂れ流している事業は、いつまで生き延びることができるんだ? 毎年10億円としても、10年たてば100億だぞ。
こりゃあ、えらいところに来てしまったわい。

新しい仕事への希望や期待は全く持てなかった。支配人時代は我慢の時代とする。
定年が5年後に迫っていた私は、そう判断せざるを得なかった。