2021
10.30

あなたは落語「百川」を聞いたか?

らかす日誌

私は落語が好きである。
私が敬愛する夏目漱石は3代目柳家小さんに入れ込んだと言われるし、明治の初期、民の言葉で話の世界を造り上げる落語は近代日本語の産みの親になったともいわれるが、だからというわけではない。まだ各家庭にテレビがなかった頃、夕べの楽しみはラジオであった。我が父が落語、浪曲を好んで聴いたため、私もそばで耳をそばだて、いつの間にか落語が好きなっていたというにすぎない。
やがて、母方の祖父母の金婚式で1席うかがい(演目は、たしか「粗忽の使者」だった)、小学校を卒業する時の謝恩会でももう1席やった(こちらの演目は記憶にない)のは、昔日の想い出である。

成長に伴い、ほかに関心を惹かれることが増えたためだろう。いつの間にか落語への思いは薄れ、東京に勤務しても寄席に通うことはなかった。ぶり返したのは朝日ホールの支配人時代である。有楽町の朝日ホールで「朝日名人会」というホール落語を、確か年10回開いており、支配人の責任として毎回会場で聞いたのが切っ掛けになった。名人会のチケットは常に売り切れでプラチナチケットとして重宝がられていた。そこに目をつけて、浜離宮ホール(築地の朝日新聞本社内にある)で新進落語家の会をやろうと決断、落語界の名称を社内で公募したところ

「朝日いつかは名人会」

という応募があった。朝日名人会の評判を取り込み、さらに新進落語家に向かって

「いつかは朝日名人会に出られるようになってね」

という励ましを込めた命名で、責任者たる私は

「これしかない!」

と即断即決した。いまでも朝日名人会、朝日いつかは名人会は、朝日落語の2本柱として健在のようである。

おかげで、落語家の知り合いも出来た。酒を飲んだのは柳家喬太郎師匠で、場所は原宿の魚料理「小菊」。カウンターと確かテーブル席3つだけ(4つだったかな)の小さな店で、勿論ポケットマネーで選りすぐりの魚と、銘酒「港屋藤助」が楽しめる庶民の店である。後に大名人になるかも知れない喬太郎師匠をこのような場末の店にお招きするのは失礼だったかも知れないが、味の良さで勘弁してもらおうとの魂胆だった。

流石に一流の落語家である。いや、いまや追っかけもいるという喬太郎師匠だから、超一流といった方がいいかもしれない。とにかく座持ちがうまく、飲みかつ食らう2、3時間の間、招いた我々は笑いっぱなしであった。あのように笑いに包まれた飲み会は、後にも先にもあれっきりである。

ということが重なって、いま私は車の中で落語を聞く。TSUTAYAで大量の落語のCDをレンタルし、それをMP3に変換してiPodに入れ、順繰りに聞くのである。同じ演目が何度も出て来るが、それもご愛嬌。演者が異なれば同じ話も表情を変えるし、同じ演者がやっても時とところによって微妙に中身が変わって面白い。

それほど落語に入れ込む私だが、嫌いな演目がいくつかある。その一つが「百川」である。

東京、恐らく日本橋に老舗の料亭「百川」がある。そこに百兵衛さんが働きに来る。しゃべるのはズーズー弁と聞こえるから、恐らく東北から働きに来たのだろう。話は百兵衛さんのズーズー弁を江戸っ子が聴きとれないことが笑いの元となる。

客に呼ばれて座敷に顔を出した百兵衛さんは、自分のことを

「しじんけのかけぇにんでごぜえまして」

と表現する。漢字で書けば

「主人家の家計人」

つまりこの料亭の従業員であると自己紹介するのだが、聴きとれない江戸っ子は

「四神剣の掛け合い人」

と誤解する。客は魚河岸の若い衆で、前年の祭のあと、四神剣(祭に使う幡=幟のようなもの)を質に入れた金で宴会を催し、いまだに請け出していないのだ。間もなく祭が始まる。お前たちは四神剣をどうしたんだ? と詰問に来た強面のおじさんだと早とちりしてしまうのである。そこから混乱が始まる。

同じ日本語を話しているはずなのに意思疎通が出来ない。それは各地に方言がある以上、仕方がないことである。幕府の密偵の暗躍を許さないため、わざわざ方言を作った薩摩藩の例もある。東北地方の方言は、寒さから出来るだけ身を守るため口をあまり開けないようにし、あわせて出来るだけ言葉数を少なくする生活習慣から生まれたと随分昔に読んだ記憶がある。

「どさ?」

「ゆさ」

とは

「何処に行くんだ?」

「湯に行くんだ」

の東北表現だとあった。究極の、みごとな省エネ会話ではないか。

だから、言語習慣の違いを笑いの種にするのはあり得るだろう。しかし、この「百川」に私が感じるのは、江戸っ子の思い上がりである。何だお前たち、そんな訳の分からない言葉しかしゃべれないのか? とでの言いたげな、自分たちがしゃべる江戸弁が優れた言葉で、ズーズー弁は人間がしゃべる言葉じゃない、というようなニュアンスを感じ取ってしまうのだ。私が、もとは九州の山猿で、大学に入るまでは、他地方の方々には

「あなた方はいつも喧嘩しているのか?」

といわれることが多い筑後弁の使い手であることによるのだろうか?

しかも、である。この百兵衛さん、言葉の接ぎ穂に

ヒェッ!

という間投詞をはさむ。演じる落語家によって「ヒェッ!」は様々に表情を変えるが、こんな間投詞を使うところってあるのか? 笑わせついでに、もっと笑いが取れる言葉をねつ造したか?

てやんでぇ! 手前ら、「ひ」って言えないだろう。「飛行機」、って言って見ろよ。なに「しこうき」? それ、何のことだ? 思考記? 試行記? 指向記? 最近「しまん」が気になるって? それ、「肥満」のことじゃないか?
日本語の発音もうまく出来ないくせに、人の方言を笑うんじゃないよ! たかだか400年ちょっと前までは人間より獣のの方が多かった野っ原だったところに住んでることがそんなに偉いか?

などとどやしつけたくなって落ち着かないのである。徳川家康が開いて幕府を置いた江戸が明治維新で東京都になり、首都となった。その江戸、東京に住んでいることで優越感を感じるのは、幕府や政府の権威で自分を飾り立てて悦に入る「虎の威を借る狐」じゃないか、と言いたくなるのである。

自分が生まれ育った土地に愛着を持ち、誇りを感じるのはいくらあってもよい。しかし、その愛着が、その誇りが、他を見下すような形に変わったとき、思い上がりと呼ばれる。思い上がりも己の力によって何者かを達成したのならまだしも、単に幕府のあるところ、首都に自分が住んでいるということにしか根ざしていないとすれば、実に貧しい心のあり様だという他ない。

「百川」を演じる落語家は多い。ために、私はしばしば、車の中で「百川」を聞かされる。聞かされる度に、なんだか腹立たしくなる。本日はその鬱憤払いである。

明日は衆議院選挙の投票日であるらしい。様々な疑惑の解明に背を見せる自民党には呆れる他ないが、野党に政権担当能力がないことは民主党政権で身に染みた。だから、与野党含めて今の政治に何も期待出来ないと思う私には選挙は全く関心外のことである。皆様は投票に行かれるのだろうか?

誰か、

「あんたなら何かやってくれるかも知れない!」

と思える政治家をご存知ですか? 国会議員ひとりの力では絶対出来ない空理空論をマイクを通じてがなり立てることにしか能がない政治家しか目(耳?)にしたことがない私に、そんな逸物をご紹介いただければ幸いであります。