2022
05.06

ゴールデンウィークは十分に堪能されましたか?

らかす日誌

5月6日になった。4月29日に幕を切って落とした今年のゴールデンウィークもあと2日と少々を残すばかり。この10日間、

休み・休み・休み……

を皆様は十分に堪能されたであろうか?
テレビのニュースでは、帰省、行楽から戻ってくる車の洪水が高速道路を埋め尽くすさまが写し出され、何となく新型コロナウイルスがどこかに行っちゃったような雰囲気である。人の移動が急激に増え、感染拡大が懸念されたが、国の発表を見る限り、感染者数も落ち着いている。まあ、よかった、よかったとしておく。

私のゴールデンウィークは、29日の床屋から始まった。そして、床屋に行った後は原稿を1本仕上げたぐらいで、あとは

暇・暇・暇……

であった。仕事はとりあえず一段落付いている。それに何処にも出かけないから、何もすることがない。なるほど、仕事から一切身を引けばこのような日々になるのか、と改めて実感した。
こんな日々、つまらん! だから、出来るかぎり、誰かのお役に立つ仕事を続けたいが、私も間もなく73歳。これからは体力と気力の勝負である。
俺、いつまで持つかな?

暇を重ねていると、突拍子もないことを思いつく。ふと、

「何故だろう?」

と疑問が浮かんだのは、西洋と東洋の違いである。

西洋も東洋もユーラシア大陸の一部であることには変わりない。つまり、地続きの大地の一部を西洋と呼び、一部を東洋と呼んでいるだけだ。。
この西と東で、ちょうど同じ頃、広大な統一国家が生まれた。
西洋のローマ帝国はカエサルがガリアを征服したのが帝国への第1歩だったと思う。紀元前1世紀のことだ。東洋では紀元前3世紀、の始皇帝が全土を統一した。両者を比べれば、たかだか200年ほどの差である。大雑把な人間である私の目には、ほぼ同時期に映る。それぞれ事情は合ったのだろうが、何故この時期に? 歴史とは不思議なものである。

その後の歴史は皆さんご存知の通りである。西ではローマ帝国が分裂し、数多くの民族国家が生まれた。一時的な離合集散はあったが、数多くの国家が並び立っているのが欧州の現状である。

東にも戦国時代、五胡十六国時代など、多数の国が並び立った時代もある。しかし、6世紀に隋が起こってからは、王朝の変遷はあったものの、おおむね統一国家として今日まで続いている。

私の疑問はこの1点である。西洋には民族国家が定着したのに、東洋にはなぜ、民族国家が少ないのだろ? 中国には56の民族があるそうだ。だとしたら、統一中国ではなく、56の国が存在してもよかったはずだ。少数民族と言われるチワン族は1600万人の人口を持つし、2番目に多い満州族は1060万人、3番目の回族でも980万人いる。1つの国として独立するには十分な人の数だろう。
それなのに何故、中国は1つの国に収まっている?

西と東で、何が違ったのか? ローマ帝国と秦という統一国家から始まって、何が東と西の違いを生んだのだろう?」

そんなことを考えるともなく考えているのは、多分、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読みつつ、WOWOWで放映中のドラマ、「始皇帝 天下統一」を見ているからに違いない。
話を秦の始皇帝に限ると、この人はどちらかといえば悪役として描かれることが多いが、このドラマを見る限り、なかなかの苦労人で頭脳明晰、順法精神も旺盛という理想な天下人である。こんなドラマがいまの中国で創られるのは、

「上御一人が天下を治めるのが理想の中国社会である」

という習近平に都合の良いイデオロギーの普及が狙いなのか、私なんぞは疑ってみたりもする。疑うとすぐ、

「疑わざるを得ないこんな時代に生きるって、何とも鬱陶しいなあ」

と思ってしまう私である。

ねえ、なぜ西では多数の国家があるのに、ユーラシア大陸の東には広大な統一国家しかないんだろう? 隋から考えれば、

「中国共産党の権力が強大なため」

では答にならない。風土の違い、歴史の違い、民族性の違い、宗教の違い、などといってみても、私の疑問に対する何の答にもならない。

そんな分析をした本をどなたかご存知ありませんか? ご存知だったら、是非ご紹介下さい!

そうそう、ウクライナの報じられ方が何となく気になりはじめた。
私たちに届くのは、極悪人プーチンに雄々しく立ち向かうウクライナの姿である。それに味付けするかのように、ウクライナを様々な形で助けようとする人々の姿も目にする。寄金、物資援助、街頭デモ、驚いたことに、ハッカー集団もウクライナ支援を始めた、というニュースもあった。

「ウクライナ、がんばれ!」

それが、ロシアと中国を除いた(北朝鮮はよく分からない)世界の声、であるらしい。

それを目にし、耳にするうちに、何となく気持ちがざわつき始めた。何かおかしくないか?

俺これ考えている内に、

「あ、これは翼賛報道ではないか?」

と思いついた。
当事者が複数ある場合、どちらにも偏らずに事実を丹念に拾うのが報道の基本だと思う。ところが、私たちの元に届く情報は、ほとんどが「反ロシア」の立場を取っている国や人々からのものでしかない。自ずから、

「憎っくきロシアに鉄槌を! 経済制裁をもっともっと! ウクライナに軍事支援を!」

というメッセージになり、それが世論を形作る。

私も、ロシア。プーチンのやり方には違和感を持ち、武力侵攻は許せないという思いを持つ1人である。しかし、それでも報道は中立を志さねばならいのではないか? 事実を公平、冷静に伝えるよりも、時の流れに身を任せて手に入る情報を垂れ流しているようにも見えるいまの報道は、何となく

「鬼畜米英」

を煽り立てた太平洋戦争中の日本の報道を思い出させるのである。

遠い国ウクライナでの戦争でも、黒白2言論で話を単純化し、自らが属する西側陣営の主張を疑うこともせず、与えられた情報を垂れ流す。
おいおい、これで万が一日本が戦争に踏み切ったとき、客観的な報道が出来るのかね? 自国の戦争であれば、もっと身びいきな情報を発信し続けるのではないかね?

そんな恐れを抱いてしまう私であった。