2022
06.21

軍事力の強化ね……。

らかす日誌

ウクライナ軍が苦戦しているという。

「おかしいな」

という気がする。
といっても、

「侵略軍は排除されねばならない

などという観念論からではない。

1ヶ月ほど前、ウクライナは6月の半ば以降、反攻に転じる、というニュースが飛び交った。西側諸国からの武器支援が順調に進み、当面は新たに手にした武器の使用法にウクライナ軍が習熟しなければならない。それが終われば本格的な反攻が始まり、ロシア軍は苦戦を強いられるはずだ、というものだった。

その報道が事実だったのなら、今頃ウクライナ戦線は悪くても五分五分のはずである。ところが最近のニュースではロシア軍が支支配地域を広げていると伝わる。おまけに、ロシア軍にも厭戦気分はあるが、ウクライナ軍にも戦局の悪化のためか戦気分が高まっているという。
どうなっているんだ?

加えて、ゼレンスキー大統領は

「もっと武器をくれ!」

と悲鳴を上げている。おいおい、武器は十分以上に送られていたのではなかったのか? ウクライナ軍は本格的な反攻、ロシア軍を国境線の外に追い出すこと向けて、その武器の使い方に習熟しつつあったのではなかったのか?
どうなっているんだ?

無論、混乱するウクライナの正確な情報を発信するのは難しいことだろう。しかし、西側からの武器支援がどう進められ、どの程度の武器がロシア軍と対峙するウクライナの第1線に配備されたか、ていどの情報は武器を支援したと言われる西側諸国からだって取れるだろう? 新しい武器に習熟するための訓練なんて本当にやってたのか?

6月中旬以降、ウクライナが本格的な反攻へ。

確かに、ロシア・プーチンのやり口に腹を立ている我々には、それがロシア軍に大量の死傷者を出すことをわきまえつつ、それでも後ろめたさと背中合わせになった希望を持たせるニュースであった。しかし、そのニュースがフェイクであったときの失望感は甚だ大きい。それだけでなく、間違った情報は先の見通しを大きく狂わせかねない。

太平洋戦争中の日本軍は、戦果を誇大に、やられっぷりを卑小に言いつのった。軍のメンツを保つための国民向けだけかと思っていたら、軍内部でも戦果を誇大に、やられっぷりを卑小にという報告が繰り返されていた。
日本が瞬く間に劣勢に追い込まれたのもむべなるかな、である。

情報とは、耳障りの善し悪しに関わらす、正しくなければ使えないものである。いや、耳障りのいい情報ほど、それが間違いだったと分かったときの悪影響は大きいものである。

だから、メディアは正しい情報を心がけねばならない。いま、メディアは情報の正確さにどれほどの力を注いでいるのか?

中国、北朝鮮の動きに刺激されて内圧が高まっていた日本の軍事力強化に向けた動きが、ウクライナ戦争に刺激されてとうとう表に吹き出してきた。国防費をいまの2倍にするという。

私はいまのところ、賛成、反対を決めかねている。戦争は嫌である。何としても避けねばならない。と思う反面、習近平の中国、それに北朝鮮、プーチンのロシアの最近の動きを見れば、

「今のままの国防力で大丈夫か」

とも思うからである。
相手に脅威をいだかせるような軍事力が戦争の抑止につながるのなら、軍事力強化も選択肢の1つに入れなければ、日本の安全を守れないのではないか。

あれこれ考えても、なかなか結論に至らない。いつまでたっても、私はどちらかの立場を選べないのかも知れないとも思う。

だが、軍事力強化の論を聞いていて、不思議に思うことがある。強化論者が目指すのは、

日本の軍事力強化=アメリカからの武器購入

であることだ。それで一朝事あるときに、日本を守れるのか?

戦争とは激しい消耗戦である。お互いに敵国の人的、物的資源を破壊して戦闘能力を奪おうとするのが戦争だから、必ずそうなる。前線にある兵器は、飛行機であれ艦船であれ戦車であれ、戦闘で必ず傷つく。修理不可能なものは廃棄して新しく生産して補給し、修理が出来るものは整備工場に入れる。物量戦であり消耗戦である戦争では、だから原料調達から生産、修理までのサイクルが整っていなければ戦えない。

それなのに、国産の兵器を、という主張が、強化論者からも聞かれない。死の商人とも言われる兵器産業を国内で育成する、なんて口にしたら袋だたきにあいそうな空気は、まだ日本にある。

考えたくもないことだが、日本が戦争に突入したとする。初戦で戦闘機がいっぱい撃墜されちゃった。数がt狩りなくなったのでアメリカさん、すぐに500機送って下さい。戦車がやられて修理しなければなりません。船便で送りますので直ったら送り返して下さい。イージス艦が攻撃を受け、指令システムに損傷を受けました。日本では修理できません。よろしくお願いします。
アメリカ製の武器で武装するとは、もし本当に戦争をしなければならなくなった時、そのような事態をを招くことは少し考えれば分かることだ。そして、戦時に、地球を大回りしなければならないアメリカが、楚辺てのリクエストに応えることは難しいだろう。だから、軍備を強化するのなら、兵器の国産化は避けては通れないはずである。

だが、兵器を国産化するのも資源小国日本では難しい。なにしろ、鉄にしろ石油にしろ、戦争遂行に欠かせない資源はほとんど輸入に頼っているのである。制海権が維持できなくなったとき、原材料、石油の供給が絶たれ、日本は武器をつくりたくても作れなくなり、飛行機を飛ばしたくても、艦船を出動させたくても、不可能になる。それは太平洋戦争の歴史が明瞭に語っていることである。

さて、軍備増強を主張されている方々の、日本の安全を守る計画はどのようなものなのだろう? やっぱり、

「NATO加盟国向けの価格に比べて、日本が買っているアメリカの兵器は1.5倍の価格がついている」

ともいわれるが、やっぱりアメリカの最先端の兵器を買うことで軍備増強を図るのか。それとも、アメリカに頼らず、国産の兵器の開発に向かうのか。
困惑するのは、どちらの道を選ぼうと、あまり明るい未来を思い描けないことである。

平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して(日本国憲法前文)、私たち日本人は戦争を放棄することにした。しかし、世界には平和を愛していない国があることを、いま目前に突きつけられている。
では、どうすればいいのか? 私はいま、深い迷いの中にいる。