07.20
私と朝日新聞 岐阜支局の14 子ども見つけた、の3 ヒマワリ
ヒマワリ
感動が生んだ自信
野外学習がきっかけに
哲也君は高山市南小学校の2年生。学校にも慣れたはずなのに、つい最近まで何となく元気がなかった。遊ぶのでもなく、何かに熱中している様子もない。授業中にあてられても、モジモジするだけ。担任の畑中道子先生(30)の心配のタネだった。
その哲也君がこのところずいぶん変わった。指せば答える。手をあげて「答えさせて」と要求する。成績も伸びた。友だちとも楽しそうに遊んでいる。畑中先生は喜んだり、驚いたりだ。
▇乗りに乗った子ら
話は昨秋——
10月3日、暖かい日差しに包まれた校庭。理科の野外学習。2年2組の子どもたちが、でっかいヒマワリの周りで騒いでいる。「そんなんじゃだしかんわ。両手でやれ」「哲っちゃん、お前も来い。花の方を持っとれ」「揺すれ、揺すれ」。5月から育ててきたヒマワリを引っこ抜くのだ。
ネコの額ほどの学級花壇にヒマワリが6本。3人、5人で抜くと教室に運び込む。ところが、1本だけどうしても抜けない。高さ5m余り。茎は牛乳びんより太く、子どもたちの頭より大きい花をつけたお化けヒマワリだ。
5人で揺する。ビクともしない。「手伝うぜ」。2、3人が駆け寄った。でも動かない。数人が根の周りを掘り始めた。哲也君も「来いよ」と呼ばれ、懸命に茎を支えている。また応援勢が加わる。「抜くぞ。力出せよ」「それっ」「ウーン」。抜けた。やっと抜けた。「やったー」「ウワーイ」。ひと抱えもある根っこ。土まみれ。10人がかりで洗い場まで運んだとき、1時間目が終わるチャイムが鳴った。
教室に戻っても、みなヒマワリに夢中。休み時間も忘れてタネをとり、数えた。そのまま、ふと気付いたら昼休み。乗りに乗った子どもたち。畑中先生はさっそく感想文を書かせた。すると、作文が苦手だった哲也君が、大きくて、抜けなくて、重かったヒマワリの話を書いた。わずか数行だが、哲也君が初めて感動を文章にできた。
▇初めて100点とった
「先生、ヒマワリの絵を描きたい」。数日後、今度は子どもたちの方から声が出た。みんな夢中で描き出した。これまで自分の手より大きな絵を描いたころがなく、この日も気乗り薄だった哲也君も、いつの間にか熱中していた。描いたヒマワリは画用紙をはみ出しそうだ。「これがぼく」。ヒマワリを支えている1番大きな子。すっかり嬉しくなった畑中先生は、その絵を廊下に張った。
次の日、哲也君が初めて手を上げて発表した。不得意だった算数のテストではとうとう100点。初めてだ。熱心に勉強するようになっていた。
ところが……。
▇不信の目が感嘆に
「哲っちゃんが100点なんて変や」「絶対に見とる」。子どもたちの言葉に畑中先生はあわてた。「そんなことはないよ。哲ちゃんはこのごろ、よー勉強しとるやろ」。が納得しない。哲也君は下を向いたまま。
次のテスト。畑中先生は哲也君ばかり見ていた。わき目もふらずに計算している、80点、
「哲ちゃん、80点。先生な、みんながいったもんで哲ちゃんばかり見とったんやけど、見んかったよ」。不信の目が感嘆に変わった。「うわーっ、すげえ」「哲ちゃん、賢いなあ」。自然に拍手がわいた。哲也君はやっぱり下を向いて、でもニコニコ笑った。恥ずかしがりのくせだけは、まだそのままだった。
✖️ ✖️ ✖️
「学校が燃える/このよで一ばんにくい/学校がもえている、せいとたちは/わらい、てをたたいている/そのときだ/火のこの百倍もでかくしたものが/せいとをおそった/学校がかいじゅうに「へんしん」したのだ/口から「しくだいこうせん」をだし/目からは「先生こうせん」をだしてあばれた/そのこうせんにあたった人は/べんきょう、しくだいにくるしめられ/やがてしんでゆく/学校の「かいじゅうは、ちきゅうを三日でほろぼしてしまった/学校というのはほんとうにおそろしいものだ」(5年生男子=雑誌「国民教育十七号」から)
1年1割、2年2割……6年6割といわれる「落ちこぼれ組」に、学校が面白いわけがない。学校では断片的な知識を詰め込まれ、家ではテレビにどっぷりつかり、いつの間にか受け身の子どもになる。そんな中で、子どものやる気をどう引き出すか。南小の長瀬栄校長(52)はいう。「子どもは変わる。哲也君はヒマワリを抜く仕事に参加した満足感と喜びがバネになり、教師に認められたのが自信になった。教師は、こんなきっかけを。授業中だけでなくどこででも見つける努力がいります。(1979年1月5日)
この原稿には余談がある。
高山市まで車で取材に出かけ、畑中先生に話を聞き終わったらもう夕刻だった。
「今日はどうされるんですか?」
「はい、どこかに宿を取って高山で1泊していきます」
「だったら、うちに泊まって下さい」
30歳の女盛りの美しい畑中先生のお誘いである。これは、ひょっとしたら…。
「いや、ご迷惑でしょうから、これから宿を探します」
「いえ、主人もあなたとお話ししたいでしょうから、そんなことをいわずにどうぞ」
何だ、亭主がいるのか。喜んでお誘いに乗っかった。
ご主人だけでなく、ご両親とも同居されていた。その家で、夕食をご馳走になった。そこで出て来たのが「漬物ステーキ」である。
卓上コンロに鉄板を置き、アルミホイルを敷いて白菜の漬け物を加熱する。時折、醤油をチョッチョッとさす。これで酒を飲む。
美味かった。日本酒との取り合わせが何とも言えないハーモニーを醸し出す。いくらでも酒が入る。
「高山の冬は寒いんです。冬場は野菜が不足するからどの家でも秋のうちから漬物を漬けるんだが、食べる時期になると漬物樽に氷が張っている。その氷を割って漬物を出す。そのまま食べたんでは体が冷え切ってしまうわけです。そこで熱を加えるようになったんですね」
当時は、ホテルや旅館では出さず、もっぱら高山の人たちが自宅で食べていると聞いた。だが、その味の評判が広がったのだろう。いまでは「漬物ステーキ」の名前で出すホテル、旅館もあると聞いた。
なお、高山の話、漬物ステーキの話は「グルメに行くばい! 第9回 :漬け物ステーキ」でも書いた。関心を持たれた方は、そちらもお読み頂きたい。