08.14
私と朝日新聞 名古屋本社経済部の12 私がトヨタ自動車の担当になった
名古屋経済部で最重要とされる仕事はトヨタ自動車担当である。ほかの企業ニュースは名古屋圏ローカルで報道されることがほとんどだが、トヨタの一挙手一投足は全国的な関心事となる。そのため、トヨタ担当は
「次は東京経済部に行く」
人が指名されることが多い。あのトヨタ自動車工業—フォードの提携の動きを抜かれたSuさんも東京経済部に転勤した。1981年8月1日付だった。
その後釜になったのが私だった。いわれた時は
「えっ、俺に任せて大丈夫かよ?」
と思ったが、いま考えれば、当時の私は次に東京に送り出す名古屋経済部のエースだったのかな?
その前年、トヨタ家の本流である豊田章一郎さんが、トヨタ自動車販売の社長になった。これをとらえて、1981年元旦の紙面で
「トヨタ自動車工業、トヨタ自動車販売合併への布石」
と書いた新聞があった。記憶によると、日刊工業新聞である。プラプラと金融担当の仕事をこなしていた私は
「へーっ、そんな動きもあるのか」
としか思わなかった。それが、気が付いてみると、私がトヨタ担当である。俺、合併の取材をしなきゃいけないのか? つまらん。いやだなあ。抜かれたらことだぞ!
名古屋を去るSuさんが、ある日私す食事に誘った。仕事の引き継ぎである。
「大道君、トヨタの合併については各紙いろいろ書いているが、絶対にない。絶対にないから、安心してトヨタ担当をやってくれ」
Suさんはそう言い残して東京に去った。
長くトヨタ自動車を担当した先輩記者の遺言である。私は気分が軽くなった。
「そうなんですか。だったら、助かります!」
この時私は、Suさんはトヨタ—フォードの提携話を抜かれた記者だということを忘れていた。抜かれ記者の話を信じたのは、
「合併なんかない方が、仕事は楽!」
という、極めて個人的な思いがあったはずだ。トヨタの工販合併はありえない。だとすれば、そんな取材はする必要がない。私は肩の力をほとんど抜いてトヨタ自動車の取材を始めた。
記憶に残るのは、トヨタ自動車工業の社長だった豊田英二さんと初めてお目にかかった時のことである。豊田市のトヨタ自動車工業本社の応接室でのことだ。
私の自己紹介があり、英二さんからのいくつかのご下問があったと思う。一切記憶に残っていないが、会話が一区切りついた時、英二さんがふと立ち上がって窓辺に歩いて行ったことは記憶に残っている。
「大道君、だったね。こっちに来てごらん」
いわれたままソファから身を起こし、英二さんの横に立った。
「ほら、見えるかね。あれが、時間ができると私が歩く猿投山だよ」
横に付き従った私が
「はあ」
といったのか、
「あんな山を歩かれるのですか?」
と聞いたのが、記憶ははっきりしない。だが、必要もないのに、自分のプライベートな暮らしの一端を私に明かしてくれた。あれは何故だったのだろう?
ご記憶だろうか? 私は岐阜で、ある取材先に説得され、フォルクスワーゲン・ビートルに乗っていた。ビートルは乗れば乗るほど楽しくなる車で、私を説き伏せた取材先の
「ビートルには車はこうでなければならないという哲学がある」
という言葉を、まるで自分がひねり出したオリジナルであるかのように使っていた。この車哲学をある時、私は豊田英二氏にぶつけたことがある。
「どうかね、うちの車は」
と問われて、
「トヨタの車には乗る気になれません」
と正直に答えてしまったのである。
「ん? 君は何に乗ってるんだ?」
当然、そんな質問が返ってくる。
「はい、フォルクスワーゲンのビートルです」
と答えた時の私は、少し胸を張っていたかも知れない。
「何故かね?」
英二さんはそんな問い方をした。
「ビートルには哲学があります。車はこうでなければならないという哲学を、ハンドルを持つたびに感じます」
いやあ、トヨタ自動車工業の社長に、貴方が作っている車には哲学がない、といってしまったのである。これは若気の至りか、それとも、そもそも私はそんな人間なのか。
英二さんが口を開いた。
「ふーん、その程度の哲学なら、トヨタの車にもあるけどね」
何も言えなかった。英二さんの懐の深さに感じ入った。日本一の車メーカーであるだけでなく、世界でも数本の指に入るトヨタの車を完全に否定した私に、怒るでもなく、訥々とした口調で
「ふーん、その程度の哲学なら、トヨタの車にもあるけどね」
と言ってのけたのは、自分が育て上げたトヨタ自動車への自信の現れか、それとも私への侮蔑の言葉だったのか。
そんな経験をしながらも、それでも私は私であった。
ある休日、近くの子どもたちを集めてトヨタ自動車工業の見物に出かけた。無論、私の子どももその一行の一部である。私のビートルに子どもたちを詰め込み、豊田市まで行って、トヨタ自動車工業の駐車場に止める。
当時、トヨタ自動車工業は、トヨタ車以外は、会社の駐車場には入れない、といわれていた。私は、そんなトヨタルールは頭から無視である。我がビートルを堂々とトヨタ自動車工業の駐車場に止め、工場の生産ラインを案内してくれる広報部員に率いられて、子どもたちと一緒に工場見学をした。
工販合併はないのだ。であれば、安心して「トヨタ担当」を楽しめばいい。
私はやんちゃなトヨタ担当記者であった。