08.17
私と朝日新聞 名古屋本社経済部の14 幻のセラミックエンジン
前回、記者は記事を「書かされる」と書いた。情報源と読者を繋ぐのがメディアである以上、それは避けられないことである。
警察の広報はいかに自分の組織が手柄を上げたかをメディアを通じて国民に知ってもらいたいと思い、中央官庁も政府も野党も、メディアを使って何事かを国民に伝えようとする。メディアには
「そんなもの、記事になるかい!」
と原稿にするのを拒絶する自由もあるのだが、読者は
「あの殺人事件、どうなった?」
「来年度の国家予算はどうなる?」
「マイナンバーカードを、政府はどうするんだ?」
「民主党は真面目に政権奪取を志しているのか?」
など、あれもこれも知りたがっているということになっているので、向こうが
「書いてもらいたい」
と発表することの大多数を、記事にせざるを得ない。
記者という仕事の醍醐味は、情報源が
「隠したい」
と思っている情報を掘り出すことなのだが、それは至難の業である。どれほど努力しても、自力で掘り出した記事だけでは紙面が埋まらない。勢い、発表ジャーナリズム、ともいわれる、発表頼りの紙面になることが多い。
ま、発表ものにも、発表した組織が考えもしなかった視点から与えられた情報を読み直し、独自の分析で特ダネにすることもあるが、極めて希である。
発表をするのは企業も同じである。企業のイメージを高め、製品の売れ行きを伸ばすためにメディアを使う。
間接的に聞いた話だから真偽のほどは保証しないが、松下電器産業は、広報して記事になった新聞を集め、その記事の面積を測ったという。より多くの面積を勝ち取った広報マンは高い評価を得たのだそうだ。同じことを広告で出すより、記事で紙面に掲載された方が信憑性が高まるからなのだという。
だから、「書かされる」ことに、記者は慣れっこである。私もずいぶん書かされた。中には、特定の新聞を狙い撃ちにして書かせようということもある。企業の場合、日本経済新聞を使うことが多いが、たまには
「是非、朝日新聞で特ダネにして欲しい」
ということもある。これから紹介するのは、名古屋市の日本特殊陶業という会社が、私を狙い撃ちにして書かせた記事である。そして、結果的に見ると、私はまんまとこの会社の策略に乗ってしまって誤報まがいの記事を書かされたのである。
1981年9月30日、
「エンジン全体セラミック化 省エネ・軽量一段と 窒化けい素で高温克服」
という記事が朝刊1面を飾った。
「日本特殊陶業(本社・名古屋市、小川修次社長)は29日、全体をセラミックで作ったガソリンエンジンの開発に成功、商品化にめどがついたことを明らかにした。セラミックエンジンは、現在の鉄とアルミを素材にしたエンジンに比べて熱効率が良く、省エネルギーにつながることから、『新生代のエンジン』として、世界中の自動車、素材メーカーが競って開発を進めているが、実用化のめどがついたのは同社が初めて、という。すでに海外の自動車メーカーなどから引き合いが来ている」
という書き出しだ。
セラミックは高熱に耐え、熱でほとんど変形しない。だからエンジンは冷やさなくて済み、冷却装置(ラジエーター)がいらなくなる。熱効率が高いことに加え、鉄などに比べれば軽いため、自動車を軽量化できるから省エネ化が進む。また、エンジンオイルも不要になる。
いいことずくめである。なるほど、素晴らしいエンジンですね、と言わざるを得ない。
問題は、私がセラミックエンジンについて何も知らないまま取材したことである。上に書いたことは、すべてゼロから、日本特殊陶業の担当者に教えてもらったことだ。多分、聞いた話をメモしながら、
「へー、そうなんですか」
という言葉を何度も口にしたはずだ。
一方的な話をそのまま記事にするのは危険である。発表者が嘘を言っているかも知れないからである。だから、当然裏をとる。私は名古屋大学工学部の教授に話を聞いた。誰がセラミックエンジンを専門に研究しているかなど知るはずもないから、ひょっとしたら日本特殊陶業に教えてもらったのかも知れない。
が、取材先は国立大学の教授である。新聞記者にまさか嘘を言うはずはない。肩書きとは、そのような信頼感を招く。
この先生はおっしゃった。
「セラミックエンジンの開発は各社で進んでおり、あと5年もすれば相当なものができると考えていた。日本特殊陶業で製品化のめどがついたとすれば画期的なものだといえるが……」
あとは、詳しいデータを見なければコメントは出来ない、ということだった。
しかし、上場企業が開発に成功したといい、国立大学の教授が、開発競争が展開されている、といった。裏取りはこれで充分だと思った。それで記事にしたのである。
それからちょうど1ヶ月後の10月30日、朝日新聞に
「セラミックエンジン トヨタ『効果疑問』 省燃費は期待薄」
という記事が載った。私が書いたものである。
たまたまトヨタ自動車工業のエンジン担当常務を取材した。その場で、日本特殊陶業が開発に成功したというセラミックエンジンが話題に上った。トヨタもセラミックエンジンは研究しているという。
「しかしねえ」
とその常務はいった。
「エンジンをセラミックにしても、燃費向上なんて期待できませんよ」
私は日本特殊陶業がいうがままに記事を書いた。主眼はエンジンをセラミックにすれば画期的な省エネにつながる、というものだ。ところが、目の前の常務さんは、そんなことは無理だという。自分の書いた記事には責任を持たねばならない私にとっては驚天動地の話である。
「いまの鉄とアルミのエンジンは1000℃までは耐えます。ガソリンエンジンではガソリンの燃焼温度は800℃前後です。それ以上の温度にになるとガソリンが自然発火してうまく作動しません。また、ディーゼルエンジンの燃焼温度は900℃前後。いずれにしても、セラミックエンジンは1300℃まで耐えるといいますが、まったく意味がないのです」
いや、だけど、と私は反論を試みた。それでも、ラジエーターはいらなくなります。その分、車の軽量化が進んで省エネにつながるのではありませんか?
「確かに、エンジン単体なら冷やす必要はないでしょう。でも、大道さん、エンジンは車に積むのです。エンジンが800℃になったら、あるいは1300℃になったら、ボンネットやフェンダーなど、周りの鉄でできた部品はどうなると思います? 真っ赤に焼けてしまうでしょ? そんな車に安心して乗れますか? いずれにしても冷却しなくてはいけないのですよ」
グウの音も出なかった。この常務の話を記事にしたのは、日本特殊陶業の記事を実質的に修正するためだった。そう、私はマッチポンプを演じてしまったのである。
しかし、である。日本特殊陶業は何故こんな記事を私に書かせたのだろう?
親しい取材先ではなかったから、彼らがねらったのは大道という記者ではなく、朝日新聞だった。とすれば、株価を上げようというねらいがあったのか? いや、それなら日本経済新聞を使うのが常道である。
ひょっとしたら、彼らはまず日本経済新聞に話を持ちかけたか。私より遙かに車に詳しい記者に
「そんなこと、意味がないから記事にできない」
と断られ、それなら、と朝日新聞のターゲットを変えた。たまたま、エンジンについての知識がゼロである私が担当でいて、記事になった……。
あれから40年以上がたつが、セラミックのエンジンで走る車は世界中に存在しない。私の苦い想い出である。