2017
08.10

2017年8月10日 忘れ物2

らかす日誌

さて、桐生祇園祭も2日目に入った。最も人出があり、最も盛り上がる日である。

上の写真(アイキャッチ写真)は、この日の呼び物のの一つ、鉾の曳き違いだ。

鉾を持っているのは前回ご紹介した三丁目と、お隣の四丁目である。
四丁目の鉾は「四丁目鉾(しちょうめほこ)」と呼ばれる。できたのは明治8年(1875年)で、上から見下ろす人形は素戔嗚尊(すさのうのみこと)。祇園祭は八坂神社の祭礼で、素戔嗚尊は八坂神社の主神である。

曳き違いはこの2台の鉾が行き交うことをいう。
といってしまったら簡単だが、なかなか見ることはできない。何しろ、前回曳き違いがあったのは平成18年(2006年)のことなのだ。そして、今年が4回目とか。ということは、平均で30数年に1回の珍しいことなのである。

だから、桐生の地元っ子にとってもなかなか拝めないわけで、2台の鉾は多くの見物客で取り囲まれた。私はその中で孤独にカメラのシャッターを押し続けていたのだが、まあ、撮りにくいこと!
見物客の賑わいを写し込もうとすると、フラッシュの光が鉾に届かない。鉾に光を当てるには見物客をファインダーから追い出さねばならない。あちらをたてればこちらが立たず……。
とまあ、苦労して撮った写真であることをお断りしておく。

もっとカメラに通暁したプロが撮ると、もっと迫力が出るんだろうなあ。

なお、右手前の鉾が四丁目鉾、左の鉾が三丁目の翁鉾である。

もちろん、2日目の出し物は曳き違いだけではない。

 まずは八坂神社の蔵から出されて、今年の祭の担当である二丁目に設けられた御旅所にやってきた御神輿(おみこし)を前に、正午から神事が行われた。宮司さんの後ろには、各町の役員さんが正装して居並ぶ。真夏の暑いさなかにご苦労様だが、皆さん、汗を拭き吹き、まじめに参列しておられた。

ただいま、式典の真っ最中なり!

 

 

 

 

式典が終わると、御神輿は勇壮に町に繰り出す。「神輿渡御(みこしとぎょ)」と呼ばれる。

 まず当番町が神輿を担いで町内を練り歩き、町の境目まで来ると次の町に神輿を引き渡す。その町も、自分の町内を練ったあと、次の町に受け継ぐ。

受け継ぐには、双方の町内の役員が挨拶を交わす習わしだ。

二丁目から三丁目への引き継ぎ挨拶の様子。
夏の日差しが遠慮なく降り注ぐ昼日中の、見るだけで汗が流れ落ちる行事ではある。

神輿に引き渡しを受けると、町内の若衆の出番である。
まず、台に乗せられた神輿の下に身体を入れ、担い棒を肩に乗せる。さあ、持ち上がるか。

 

 みごとに持ち上げると、あとは体力の続く限り、練る。わっしょい、わっしょいのかけ声がかかるのはこの時だ。
中に72歳の「若衆」がいますが、どの人か分かりますか?

 

 各町内には、このような「給水所」が設けられる。
それはそうである。72歳も含めた若衆は、炎天下で御神輿を担いで練り歩いている。写真を撮るだけの私よりはるかに大量の汗が噴き出す。放っておけば熱中症になるのは火を見るより明らか。
ここはこまめに氷でキリリと冷やした水を補給して熱中症を予防するのである。
予防したら、また御神輿を担ぐ。しばらくしてまた給水。
皆様、ご苦労様!。

 

 これ、若衆が疲れ果てて座り込んでいるわけではない。そんな体たらくでは男が廃る。
むしろ、男気を発揮している図である。重い御神輿を下に上に揺すり動かして、
「見てみんかい! これが桐生の男じゃ!!」
体力自慢男自慢をするのである。
「でも、疲れて尻餅をつく男の1人や2人はいるのではないか?」
と、私の小さな目を精一杯見開いて監視していたが、残念ながら喜ばしいことに、御神輿は毎回、高々と宙に持ち上げられた。

 

御神輿の後からは、お囃子を乗せた山車が付き従う。
「えっ、君もお囃子?!」
と思わず私が声をかけたのは、群馬大学理工学部の特任教授で、ロボット自動運転車を研究・開発しているS君だった。左の写真では太鼓を叩いいる。
祭はみんなが支えるのである。

 

 夜の鉾曳き違いに備えて、翁鉾が蔵から出された。前夜、町内を曳き回された後、蔵の中で休養していたのである。
蔵の出口の高さが足りないため、翁蔵は一番上でおねんね中。おねんねしてくれないと、蔵から出すことができないのだ。

というわけで、翁鉾は祭の間、何度も出たり入ったりするが、すべては人力が頼り。出し入れの担当者は疲れる。
祭って、見ている分にはただ楽しめばいいわけだが、祭の下準備から始まって当日の運営、祭事、行事の担い手になるのは、ほんと、体力勝負である。
祭が終わって、一人も病人や負傷者が出なかったことでホッとした私でした。

「よくぞご無事で!」

祭が終えて、私は会う人ごとにそう挨拶した。

 

 ほら、鉾の上で翁蔵が眠りから覚め、立ち上がっておる。自力で立てないのは年のせいか?

こうした作業はすべて、「頭」と呼ばれる、町内の職人さんがやる。いま頭が乗っているところは地上からの高さ5.5m。何でもない作業に見えるが、上でバランスを崩したら怪我は必至!
ご安心を。この方、鳶が本職で、高いところには慣れておられるのである。

かつては、一丁目から六丁目、横町まで全ての町に「頭」がいたそうだが、いまや常任の頭は三丁目だけ。この「頭」、天然記念物にも等しい。これも時の流れ、か。

 町に夕闇が迫ってくると、こんな具合に、着飾った町衆がワラワラと本町通に集まってくる。いつもは町中が閑散とした桐生なので、私なんぞは
「こんなに多くに人間がどこから湧いてくるんだ?」
といつも驚く。
でも、ちっちゃな女の子の浴衣姿って可愛いなあ。

2台の鉾がすれ違うところには市内の偉いさんたちが集合する。右に見える台に乗って、これから挨拶をするのである。
「挨拶は短しをもってよしとする」
さて、この常識をご存じの偉いさんが何人いらっしゃったかは、ここにお集まりになっていた市民の皆さんの判断にゆだねることとする。

 

ほら、これだけの人たちが曳き違いを今か今かと待っておる。これ、脚立を持って歩くことができなかったので、カメラを頭上に持ち上げて撮った。その割には、群衆の集まり具合が分かるように取れていて、公式カメラマンとしてはホッとした1枚である。

そして、挨拶が終わると、いよいよ鉾の曳き違いだ。
双方の鉾に乗ったお囃子が協演して祭の興奮が高まり、いよいよアイキャッチ画像の場面が登場する。

 えーい、ついでである。曳き違いの写真をもう1枚お見せしよう。
これ、フラッシュを使わずに撮った1枚だ。
NIKON D750のレンズには手ぶれ防止機能がある。どんなに手ぶれしても画像はぴたりと止まる、というわけにはいかないが、多少の手ぶれなら大丈夫。
と思って、カメラを街灯の柱に押しつけ、動かないようにしてシャッターを押した。

と思っていたら、写真をよく見ると、人物のが。いかん、これ、フラッシュを使っ撮った写真ではないか! 申し訳ない。

 というわけで、これが、ノーフラッシュの写真。苦労した割には、余りいいできではないなあ。

まあ、このあたりは、公式カメラマンの苦心のほどを偲んでいただく材料として……。

 

 

 

 

 

というわけで、2日目のスケジュールも山場を超した。あとは鉾を蔵に戻し、ご苦労さん会、という名の飲み会が待つだけ。
鉾を曳くのを手伝ってくれた群馬大学理工学部の学生、院生諸君も参加して、盛り上がった飲み会であった。