2024
09.22

「蝦蟇の油」をAmazonに注文した。

らかす日誌

私の人生も晩期に入ったらしい。

私はいま、何故か自分で書いた「私と朝日新聞」を読み直している。読み直しながら、必要なところは修正している。私は現在、仕事で2つの連載をWeb上で書いているが、いまはたまたま取材も執筆も暇な時期である。何となく、朝から自分の書いた原稿を読み、直しを入れる。そうしながら、自分の半生を追体験している。

「ほう、俺はこんなことを考えて、こんなことをしてきたんだ」

つい先頃書いた原稿なのに、時折そんな思いが沸き上がる。

「よくこんなことを思い出したな」

という原稿も多々ある。
そして困ったことに、自分の書いた原稿を読むことで自分の半生を追体験することが、何となく楽しいのである。思い出に浸っている。これって、やっぱり人生の晩期ではないか?

そんなことで時間をつぶしながら、夜の時間はもっぱら録りだめた動画の鑑賞に費やしている。いまは敬愛する黒澤明監督の映画を再度見直し、黒澤明監督について作られたドキュメンタリーを見続けている、ドキュメンタリーは出来のいいもの、悪い物、様々だが、それでも5本、10本見るうちに、何となく黒澤明という人が見えてくる。ほとんどのネタ本は、黒澤監督が書いた「蝦蟇の油」という自伝である。ドキュメンタリーの中で、その「蝦蟇の油」が朗読される場面がしばしばでてくる。それを聞きながら、

「あれまあ、やっぱり、私と黒澤明は別種の人間なのだなあ」

と思い知らされる。私が書いた「私と朝日新聞」とは濃度が全く違うのである。いってみれば、天才と凡才の人生の使い方の違いか。

黒澤監督はいう。

「私マイナス映画はゼロだからね」

彼はそれほど映画に打ち込んだ。
私は

「私マイナス記者はゼロだからね」

といえるか? とんでもない。私はそれほど、記者という仕事に全身全霊で打ち込んだという自信はない。どこかで、何かに甘えていたのではないか?

黒澤明と出会っていなければいまの私はない、という人もドキュメンタリーには多数登場した。その代表は加山雄三である。
加山は大ヒットして次々に続編が作られた「若大将シリーズ」に飽き飽きしていたらしい。そりゃあそうだ。ヒットはしたかも知れないが、あんなつまらない映画に出ている自分に疑問を持ち始めるのは正常な人間である。
だから加山はそのころ、映画俳優をやめようと覆っていたと語った。

その加山が

「俳優を続けよう

と思い直したのは、黒澤監督の「赤ひげ」に出演したことだと彼は語った。黒澤監督の世界観、その人生観によって作られたヒューマニズム溢れる「赤ひげ」に出演して、

「映画とは、こんなことが出来るのか!」

と感じ入ったらしい。

さて、ともに仕事をした者の人生を変えてしまったこともある黒澤明に比べ、私は何を残したのだろう?

こんなことを考えるのも、人生が晩期に入ったためではないか?

寝酒のウイスキーを口に運びながらそんな物思いにとらわれる私である。

そんな思いにとらわれて、先ほど、「蝦蟇の油」をAmazonに発注してしまった。読みたい本が山積みになっている中、またまた読まねばならない本が1冊増えた。