12.18
文明の利器にご注意
妻女殿は徐々に体力を回復中だが、まだ家事の90%以上は私の仕事である、中でも料理のほとんど、食器のあt始末全ては私にしかできない。
そのような日々の中で、普段食の細い妻女殿が勢いよく召し上がる我が手料理があった。レンコンの炒め物である。レンコンを薄くスライスし、フライパンに油を取って鷹の爪を炒める。その油で薄切りしたレンコンを炒め、最後に醤油を加えて出来上がり、という簡単な料理だ。食べ残してもラップして冷蔵庫に入れておけば数日は持つ。このところ、この料理を何度作ったことか。
この料理で一番手間がかかるのが、レンコンのスライスである。まずレンコンを2つに切り離し、それぞれをできるだけ薄く切っていく。できるだけというのは、なかなか薄くならないからである。料理人を志して日々練習に励めばいつかはできるようになるかも知れないが、私にはそのような心がけはないから、毎回
「同じような厚さに切るのは難しいな」
と思いながら包丁を動かしていた。
だからだろう、ふとひらめいたのである。私と同じ悩みを持つ主婦は多いはずだ。だとしたら、野菜のスライサーというものが商品化されているのではないか? かんなの原理を使えばどうにでも設計できるはずだ。そんな文明の利器がないはずはない。
Amazonで検索した、あった。いくつもあった。その1つをポッチンした。一昨日、その文明の利器が我が家に届いた。
レンコンは昨日買ってあった。よし、今日はこれを料理しよう。文明の利器を使ってみよう。そう思い立ったのは午後4時すぎである。
レンコンを半分に切った。それをスライサーにかける。私が買ったのは事故防止のための「野菜押さえ」とでもいいたくなるパーツがついているヤツである。これなら事故も起きるまい。安心して料理を始めた。
ところが、である。スライスしはじめのレンコンは背が高い。「野菜押さえ」で押さえようとしてもなかなか安定してくれない。そうか、レンコンの背が低くなるまではこの「野菜押さえ」を使わず、レンコンを手で持つしかないか。
しばらくはその手順で作業をした。
私は何事もスピードを重視するタイプである。この文明の利器を使ってレンコンをスライする作業も、できれば早く終えたい。だから、
1……2……3……
などというリズムは採用しない。作業は
1235678……
というリズムで進めるものである。
それが悪かった、と反省するのは事故が起きたあとである。このスライサー、刃の切れ味が鋭い。確か3つ目のレンコンをスライスしている時、何故かレンコンのせが低くなっていることに気が付かず、
1235678……
のリズムでレンコンを前後に動かしていて、右手の親指に小さな痛みを感じた。
「あ、切っちゃった!」
そう、私はレンコンと一緒に、我が右手親指をスライスしかかったのである。
親指を見た。一部が、まるで皮が剥げたかのようになっている。血は見えない。
「あれまあ、やっちまったか」
起きたことは仕方がない。だが、血は見えないのだから、このままスライスを続けてもいいだろう、と作業に戻ろうとした時である。まな板に血が滴った。患部を見ると、血が噴き出している。これでは仕事を続けることはできない。
水道水で患部を洗い、まずティッシュペーパーで傷を押さえた。押さえたペーパーがすぐに真っ赤になった。何度かティッシュペーパーを取り換えているうちに、出血が少なくなったように見えた。それではと、バンドエイドで患部を覆った。そうでもしなければ、取り掛かったレンコンの炒め物はできないではないか。
それで済むと思った。ところが、なのだ。バンドエイドは見る見るうちに真っ赤になり、端から血がにじみ出してくる。正直、あわてた。
傷口をティッシュペーパーで押さえながら、チャットGTPに聞いてみた。なるほどな、と思ったのは、血がなかなか止まらない時は接着剤で傷口を防げ、というアドバイスだった。
接着剤を探した。ところが、我が家にある接着剤はボンドだけであることが間もなく判明する。そういえば最近、瞬間接着剤なんて使ってないもんな。やむなく、ボンドでの傷口鬱ぎを試みた。
ご存知のように、ボンドは固まるまでにかなりの時間がかかる。それは承知の上での試技だったが、これはいけない。ボンドを傷口に盛り上げても、そのボンドを押し上げて血が流れ出してくるではないか!
やむなく、親指の根本をゴムで縛った。輪ゴムを3重に巻いたが、それでも血は流れ出す。それではと4重にした。さすがに血は止まった。だが、ゴムで締め付けられる親指の根本が痛い。20分ほどして3重に巻き直した。すると、またもや血が出始める。
再び輪ゴムを4重にした。血が止まったところで患部にガーゼらしきものをあて、布テープでグルグル巻きにした。30分ほど待って輪ゴムを3重に巻き直した。この頃になって、傷口が痛み始めた。身体が傷口の修復を始めたか。
そこまでの処置を施して、私は作業の完成に向かった。レンコンの炒め物を仕上げたのである。
食卓に出した。妻女殿は
「何か、レンコンが薄すぎる」
とおっしゃった。
だとすると、文明の利器に投じた2000円強の金と、我が右手親指から流れ出した大量(?)の血は無駄だったのか?
この調理をしながら、私は入浴の準備をしていた。風呂桶に給湯するスイッチを押していたのである。
妻女殿がおっしゃった。
「お風呂に入ったら血流が良くなるから、もっち血が出るんじゃないの?」
なるほどと思って入浴を断念し、給湯のスイッチをオフにした。私は昨夜酒を飲みに町に出たかから風呂に入っていない。冬場だから、今朝はシャワーも浴びていない。
「2日続けて風呂に入らないのでは、匂うんじゃないか?」
とも思ったが、妻女殿は断言された。
「垢で死ぬ人はいない」
いま私の右手親指には布製のテープが分厚く巻かれている。血は、その表面まで押し出して1円玉より少し小さな面積を占領しているが、それ以上の領土拡大はできず、固まっている。
私は明朝、シャワーを浴びる予定である。