10.11
2010年10月11日 こぼれ話
本日は全国的に祝日である。おかげさまで、私もその恩恵にあずかり、仕事は休みだ。しなければならないことはない。早朝の散歩をすませ、朝食後に愛車にガソリンのご馳走を食べさせ、雨続きですっかり汚れちまったボディーを洗ってやると、後は自由時間。本を読んだり、ギターの練習をしたり、のんべんだらりと1日を過ごした。
よって、日誌でご報告するようなことはない。新聞、テレビを見ても、世の中、たいしたことはなかったみたいだし。
そこで、思いついた。
昨日の日誌で書き忘れた、横浜でのエピソードをご紹介する。
横浜の我が家の1階を改装したことは、どこかでお知らせしたと思う。8月中に出来上がるはずだったのが延びに延び、やっと完成したところへ私は戻っていった。最後までなかなかできなかったのは書棚である。
改装前1階の書棚にあった本は、すべて工事前に3階へ運び上げられていた。長女の出産のために横浜に行ったはずなのに、着くやいなや命じられたのは、その本を1階に運び降ろし、書棚に並べることだった。
「だって、3階の部屋が使えないでしょ」
まあ、それはいい。いずれはやらねばならないことだ。
驚いたのは、子供の創造力である。
改装が終わった1階は、啓樹と瑛汰のお気に入りの遊び場と化していた。14畳の部屋に、新しくクローゼットができた。そこが、ちょいとした隠れ場所となり、すっかりスター・ウォーズにはまってしまった2人にとっては、格好の「戦いの場」となった。
食事が終わるやいなや、2人は、ライトセーバー、プラスチックの剣、スポンジの弾が飛び出す銃を携えて1階に下りる。ドアを閉め切って2人で遊ぶから、2階の居間にいたのでは2人が何をやっているか、さっぱり分からない。
ある日、2人がこもって遊んでいる1階のドアを開けた。唖然とした。新しい遊びが産まれていた。書棚クライミングである。2人が書棚をよじ登り、書棚の一番高いところを銃の収納場所にしていた。
まあ、書棚には当然棚がある。上の方の棚をつかみ、下の方の棚に足をかける。そうすれば一番上までよじ登ることはできる。できるが、誰がそんなことをしようと考える? 2人は考えた。
この部屋は、私と啓樹と瑛汰の寝室であった。毎晩8時頃になると3人でこの部屋に入り、天井のライトを消し、左手に啓樹、右手に瑛汰を抱きながらリクエストのあった絵本を読む。1,2冊読むと、右手から
「瑛汰、眠い」
というお言葉が出る。左手の啓樹も
「じゃあ、僕も寝る」
間もなく寝息が聞こえてくるという暮らしで、この部屋には布団が敷きっぱなしであった。
それがクライミングを手助けした。
上までよじ登った2人を、
「どうやって降りるつもりなのだろう?」
と見ていた。次に手をかけるところを目で確認できる登りより、足先で一つ下の棚を探らねばならない下りの方が遙かに難しい。5歳児と4歳児がどう降りるのか?
2人は降りなかった。飛んだ。なーに、下には布団が敷いてある。着地のショックも吸収してくれる。
「行くよ!」
ドン。ゴロリ。着地の勢いで半回転、1回転しながら、彼らは無事に地上に戻る。これがこの上なく楽しいらしい。
「ああ、お前たち。そうやって棚をつかんで登っていたら、お前たちの手形が棚について汚れちゃうだろう!」
なんてことはいえない雰囲気である。とにかく、2人の顔が輝いている。
子供は、遊びを思いつく天才である。棚が汚れる? それもこの家の歴史だ。そう思うしかないのである。
ある日(というのは、何日だったか思い出せないからである)、啓樹と啓樹のパパと3人で秋葉原に出かけた。映画や音楽を録画するDVD-Rが残り少なくなったための買い出しだ。
啓樹には初めての秋葉原だ。ラジオセンターを見せた。啓樹の目が輝いた。
「ボス、あれ欲しい」
指さしたのは、リモコンのヘリコプターである。全長10cmほどの小さなヘリコプターが、なるほど、リモコンで上昇、下降、前進、後退、左右への方向転換と、自由自在に動いている。
これは、子供でなくたって欲しくなる。いや、むしろ大人が欲しくなる。
だが、待て。ここは秋葉原だ。
「啓樹、ほかも見てみよう。もっと欲しいものがあるかも知れないぞ」
3人で歩いた。啓樹は、太陽光パネルで動く車にも関心を示した。
「啓樹、買うのは一つだけだぞ。どれがいい?」
しばし考えた啓樹は答えた。
「僕、ヘリコプターがいい」
こうして、啓樹はラジコンのヘリコプターを手に入れた。おっと、この時間、幼稚園に行っていた瑛汰のことも忘れてはならない。
「啓樹、瑛汰にも買って行かないと、瑛汰が怒るぞ。啓樹はどの色がいい?」
青、黄色、ピンクの3種の色があった。
「啓樹は青」
なるほど。じゃあ、瑛汰には何色? ピンクは女の子っぽいから黄色にする?
「うーん、瑛汰は黄色も嫌いだと思うよ。瑛汰も青」
こうして青いラジコンヘリを2機、袋に詰めてもらった。まとめて9000円弱。
「啓樹、歩きにくいだろう。その袋、持ってやろうか?」
何度かいってみたが、そのたびに啓樹は
「僕が持つからいい」
とヘリ入りの袋を絶対に手放さなかった。
財布は軽くなったが、いい買い物をした。買うまでの経緯をすべて知っている私はそう思った。思いながら横浜の家に着いた。
「また、何を買ってきたの?」
妻と次女が口を揃えて言った。
「ヘリコプター? 幾らしたの?」
4000円少々なんだけど。
「こんなものに4800円も払って。それでなくても啓樹はおもちゃの持ちすぎだっていってるでしょ!」
我が妻女はそういった。おいおい、4800円ってどこから出てきた数字? それにな、おもちゃ持ちすぎてるったって、啓樹の話を聞いたのか?
「ボスさあ、前に買ってもらったリモコンのヘリコプター、壊れてしまったん」
こわれた旧型に代わって最新型のヘリが入る。決しておもちゃは増えていない。事実確認もせず、よくもそれほどまでに俺のことを非難できるもんだな。おまえ、ひょっとしたら大阪地検特捜部か?
というのは、私の心の中での発言である。我が口をついて出た言葉ではない。口にしてしまったら、後始末が大変だもんねえ。
9日、横浜から桐生に戻る日は雨だった。しかも横浜を出たのは午後3時半。雨も手伝って、夕闇が急速に濃くなった。運転には最悪のコンディションである。しかも、雨のためか渋滞が甚だしい。
渋滞から解放されたのは東北道に出てからである。アクセルを踏み込む。いつもなら、130~140km/h出しても何の不安も感じないのに、この日は100km/hが怖かった。何しろ、降りしきる雨と夕闇で道路がはっきり見えないのである。前の車のテールランプを頼りに走るしかない。
といっても、120km/hで走ったりもしたけれど。
「戻るの、明日にすればよかったな」
そんな弱音を吐きながら、でも事故も起こさず高速を降りた。
桐生の自宅に着いたとき、いつもの5倍は疲れていた。
明日は、妻女を前橋日赤に運ぶ。月1回の専属運転手になる日である。
今月は19日に行くはずだったのが、
「その頃は四日市の長女宅に行かねばならないかも知れない」
と妻女が考え、日程を変更した。
いずれも、長女出産の余波である。 今月いっぱいは余波が続くか?