コンピューターの性能は日進月歩です。掌に数十個、数百個も乗るような小さなチップが、信じられないほどの速さで演算を繰り返す。同時にいくつもの処理をこなすチップも多数登場して、長い間の夢だった自動運転が現実のものになろうとしています。
最後に越えなければならない高峰は認識能力だ、という点では多くの論者の意見が一致しています。進化を続けるコンピューターは人間と同じレベルの、あるいは人間を越える認識能力を持てるのか。
決め手になるはずだと研究が進められているのが、「自動運転入門」でご紹介した「ディープラーニング」です。コンピューターの中に人間の脳と似た認識階層を造り、コンピューターが自分で様々なものを学習することで認識能力を高める、というものです。すでに、かなりのレベルに達していることもお伝えしました。
しかし、群馬大学の3人にとっては、このディープラーニングも疑いの対称です。小木津助教は「『自動運転』革命」という著書の中で、
「ディープラーニングが出てきたからといって、自動運転のあらゆる認識の問題が解決するわけではなく、あくまでそれはいろいろある中の一部にすぎない」
と書いています。何故か。
小木津助教はこんな例を挙げています。
自動運転車はレーザーやカメラなどのセンサーを通じて車の外を「見る」のですが、死角にあるものは見えません。そこまでは人間と同じです。
しかし、人間は「カーブミラー」で、死角になって見えないところを見ることができます。見通しの悪い交差点の多くに「カーブミラー」が設置されていることは皆さんご存じでしょう。
では、自動運転車も「カーブミラー」を見て判断すればいいではないか。ところが、これまでに開発された自動運転車用のシステムでは、「カーブミラー」を見ることはできても、「カーブミラーに映った映像」を認識することができません。コンピューターにとって、鏡はあくまで鏡でしかなく、鏡に何が写っているかは気にしないのです。
だから、自動運転車は、見通しの悪い交差点ではそろそろと進入し、車に設置されたセンサーが右や左の安全を確認できるまで徐行するしかありません。徐行するだけなら、まだ我慢もできるでしょう。しかし、交差点にさしかかった車が両方ともそろそろと進入した結果、接触事故が起きてしまう恐れが消えないのです。
【注1】
カーブミラーの認識や「歪んだ鏡像からの位置割り出し」は、その後のマルチモーダルAIや車載カメラの高度化により技術的進展が見られたが、光の反射や天候・汚れに弱く、車側のカメラ単体での完全な解決には至らなかった。そのため、現在の自動運転開発では車単体の「目」に頼るのではなく、街頭のセンサーと車が通信する「V2X(路車間通信)」や高精度3Dマップによる補完が主流となっている。
それに、車は、走ることができる場所ならどこでも走ることができる、というのが車に関する常識です。「都会地限定」「山間部限定」「日本国内限定」などという車はありません。
何故でしょう? 車をどちらに向けて、どの程度の速度で走らせるかが人間であるドライバーの判断にゆだねられているからです。私たちは初めて訪れた場所でも、道路に沿って車を走らせることができます。カーナビにデータが入っていない砂漠や未開地など初めて遭遇する環境の中でも、私たちは「常識」に基づいて危険を判断し、車を運転することができます。
しかし、コンピューターにはこれが苦手です。期待を集めているディープラーニングも、学習した範囲内でしか認識はできません。忘れることがないコンピューターの学習能力は人間を遙かに上回ります。しかし、学習したことがないことは認識できないのです。
ディープラーニングとはいえ、コンピューターにはまだその程度のことしかできません。
群馬大学のチームは、こうしたコンピューターへの不信をもとに、完全自動運転の研究・開発に取り組んでいます。一般には期待が高まっているディープラーニングを、群馬大学はまだ使っていません。
【注2】
「学習していない未知の環境でAIが破綻する」という小木津氏の指摘は、AIの本質的な弱点を突いていた。世界中の大手企業も莫大なデータ量と生成AIシミュレーションでこの壁に挑み続けている。
だがその一方で、「ディープラーニングを一切使わない(ルールベース制御等に頼る)」という群馬大のアプローチにも限界があったようだ。AIによる柔軟なパターン認識を排除したシステムは、リアルタイムで変化する複雑な交通環境に対応しきれず、結果として「あらかじめ緻密に作成した地図データの上を低速でなぞる」以上の運用へ広げられなくなったのではなかったか。

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