実は「資本論」を読んだのです、の2=fin

この翻訳は分かりやすかった。向坂訳と比較するために、冒頭の文章を書き写してみよう。

「資本主義的生産様式が行き渡った社会では、社会の富は『商品の巨大な集合』として、また個々の商品はその要素形態として姿をあらわす。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」

念のために、向坂訳を再掲すると

「資本主義的生産様式が支配する諸社会の富は、『一つの巨大な商品の集まり』として現れ、個々の商品はこの富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」

ん? あまり変わりないか?
ところが、なのだ。読み進めると翻訳の違いの有り難みが如実に現れるのである。向坂訳の「資本論」が手元にないので比較することはできないが、新訳の方がはるかに読みやすかった。
そのためだろう、この難解な書を100%理解したとは口が裂けても言えないが、少なくとも50%か60%は理解できた。いや、理解できた気になった

「資本論」は資本主義という経済システムの運動法則を解き明かした本である。利潤はどこから生まれるのか。マルクスによれば、余剰労働から生まれる。労働者は労働力という商品を資本家に売る。その交換価値が6時間の労働に値するとすれば、資本家は12時間の労働を強いる。その+6時間が余剰労働であり、その間に生み出された価値が資本家の利潤となる。

それだけではない。労働の質も利潤のもととなる。生産設備が新しくなれば、それまで4人がかりでこなしていた仕事を1人で処理することができる。だから資本家は新鋭設備を導入するのだが、新しい設備は4人の仕事を1人で引き受けるという「質」の面で労働を強化する。これも利潤のもとになる。

そんな話が様々な具体を挽きながら繰り返し語られる。なるほど、私たちが属している資本主義社会とはそうやって動いているのか、と納得せざるを得ない。

「資本論」とはそのような経済学の本であるとずっと思っていた。しかし、それだけでは紹介しきれないのが「資本論」だ。
マルクスは19世紀に至るまでの資本主義の歴史を詳しく書いているのだ。そしてそれは、イギリス社会が辿ってきた歴史の、見事なルポルタージュになっている。資本家は暴力を背景に土地を集め、農民を農場から締め出して労働者予備軍にする。その資本家を制度的に支えるのが政府である。そしてその過程で資本に労働力を得るしかなくなった人々の悲惨な暮らしぶりを、これでもか、といわんばかりに並べ立てるのである。餓死者の統計、5、6歳から工場に駆り出され、満足な教育も受けられずにまるで動物のような暮らしを強いられる人々の姿。そんな時代に生きたマルクスが、資本主義の打倒を訴えた気持ちも

「そりゃあそうだよな」

と納得せざるを得ない。

と解説してみたが、1度しか読んでいない私に、これ以上の紹介は無理である。できれば皆さんも、「ちくま学芸文庫」の「資本論」をお読みいただきたい。読めば、なるほど資本主義というのは血にまみれて生まれてきたのだなと、ご了解願えると思う。

ということで、「資本論」第1巻は、とりあえず読み終えた。ところが、私が知りたかったことが書いてない
確かマルクスは、資本主義はその内在的な矛盾が徐々に表面化し、やがて自己崩壊を起こして社会主義に進むことを書いた本ではなかったか? だから経済学を科学にした、といわれたのではなかったか?
ところが、第1巻を読む限り、そんな文章はほとんどないのである。
例えば、

「この生産様式(資本主義的生産様式)は、有る程度の高さに達すれば、みずからを破壊する物質的手段を生みだす。その瞬間から、社会の胎内では、この生産様式を桎梏と感じる力と情熱が動き出す、この生産様式は破壊されねばならず、事実破壊される」

とか、

「資本主義的生産過程自体のメカニズムを通じて訓練され、統合され、組織され、増加の一途をたどる労働者階級の憤激も激しくなる。資本の独占は、それとともに開花し、その下で花盛りとなったこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化は、ついにその資本主義的な外皮と共存できなくなる一点に達する。そしてその外皮は吹き飛ばされる。資本主義的私有の終わりを告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される」

などという、それらしい文章はある。しかし、これは単なるマニフェストに過ぎないのではないか? こんなマニフェストのどこが科学だ? どこが、資本主義の崩壊は歴史的必然なのだ? 全く納得できないぞ!

と憤りながら、いつものようにAIのジェミニに憤りをぶつけてみた。するとジェミニはいった。

「それが書いてあるのは『資本論』第3巻です」

ならば、その第3巻も読みたいではないか。読みやすい翻訳はないのか?

「第2巻以降は出版しても採算が取れないと考えるのか、新しい翻訳に挑む出版社はいまのところありません」

では手持ちの向坂訳で読むしかないのか?

「第2巻以降は、第1巻よりさらに難解な書になっています」

おいおい、向坂訳は第1巻ですら難解すぎて読めなかったのだ。私に第2巻以降を読む能力と根気はあるか?
根気は頑張れば何とかなるかも知れない。だが能力となると…。

さて、どうする? 思案の真っ最中である。

コメント