未公開の公開用原稿があった。何だかややこしい言い回しだがお許し願いたい。それはこういういきさつである。
当時群馬大学に小木津武樹准教授がいた。彼は自動運転を専門に研究しており、記憶によれば、確か10億円ほどの研究費が国から出た。これが前提である。
世界中で開発が進んでいる自動運転はAIの力を借りるのが前提だが、小木津式はそれを避けた。車に、その車が動き回る地域の地図データを持たせようというのだ。AIはまだ頼りにならない。それよりも車が動く範囲を限定し、自分で持っている3次元の地図データと車載のカメラでとらえる景色とを照らし合わせ、これを車載のコンピューターに判断させることで自動運転を実現しようというものだった。
それだけなら私には関係ないことだ。そのころ記者だったら取材して書こうと思っただろうが、すでに私は記者ではなかった。
その私が突然関係するようになったのは、群馬大学理工学部のある教授から、
「口をきいてくれないか?」
と依頼されたことが始まりだった。
依頼とは
「あなたは沼田屋タクシーの小林社長と親しいと聞く。沼田屋に自動運転開発のお手伝いをお願いしたいのだが、あなたから話をしてくれませんか」
というものだった。
手伝いの内容は、毎日桐生市内を走り回っている沼田屋タクシーの車両に、地図データを集める機器を搭載し、集まったデータを群馬大学に渡して欲しいというものである。
そして彼は、小木津准教授は
実用に足る世界初の自動運転車を桐生で走らせる
といっているというのである。
沼田屋タクシーの小林康人社長とは確かに知り合いであった。そして、小林社長がタクシー運転手の人材不足に悩み、
「一刻も早く自動運転車が実現して欲しい」
と願い続けていることも知っていた。
「だってね、大道さん、確かに初期の自動運転車は値が張るでしょう。1台5000万円、6000万円するかもしれない。だが、運転手のなり手が払底している地方都市の足を確保するには何としても必要なのです。それに、運転手の人件費が要らなくなるのだから、少し長い目で見れば必ず採算に乗ります。うちの会社が人手不足で行き詰まる前に、自動運転車をタクシーとして入れたいのです」
というのである。
その沼田屋タクシーに、小林社長に、
「群馬大学で開発中の自動運転車の開発を手伝わないか、という話がきているのだが」
と告げれば、小林社長は欣喜雀躍するはずだ。そして実際、小林社長は二つ返事で
「是非やらせて下さい!」
といった。そして、地図データを収集する機器を搭載する車両を発注した。記憶によると、1台約300万円だった。これで沼田屋タクシーの準備は整った。あとは群馬大学が用意するという地図データ収集機器が来るのを待つだけだった。その機器、一式で何でも6000万円ほどすると聞いた。
世界初の自動運転車開発の一助になる。小林社長は舞い上がったのかもしれない。そしてそのついでに、この事実で沼田屋タクシーのイメージ向上を図ろうと考えたらしい。沼田屋は単なる地方都市のタクシー会社ではない。世界最先端で自動運転開発の一翼を担っている会社なのだ。
「そこで大道さん、わが社のホームページで、そんな原稿を書いてくれませんか?」
私だって物書きの端くれである。世界初の自動運転車が桐生を走るまでのルポを書けたら、物書き冥利につきるというものだ。私も二つ返事で引き受けた。
こうして、いま見るととりあえず30本の原稿を書いた。
ところが、である。沼田屋タクシーは準備を整えたのに、群馬大学からは何の音沙汰もない。それでも小林社長は諦めなかった。
「地図データ収集機器を搭載する車両が入りましたと連絡したんですけどね」
とじりじりする思いでその日を待った。
「大道さん、あの話、もうダメだよね」
と小林社長が言い始めた頃、群馬大学は前橋市で、自動運転バスの試験走行を始めていた。
実用に足る世界初の自動運転車を桐生で走らせる
というのは、一時の思いつきだったのか?
こうして、沼田屋タクシーが自動運転開発の一端を担うことはなくなった。地図データ収集機器を積んだタクシーが走らないのだから、私のルポも取材対象がなくなった。
こうして、30本の原稿がお蔵入りになったのである。それを最近、パソコンのファイルを整理していて見つけた。
物書きとは卑しいもので、公開用に書いた原稿は、やっぱり数多くのひとに読んでいただきたい。それは物書きの性のようなものだ。だから、お蔵入りのままの原稿をどうしたら良かろう、と思い、群馬大学理工学部のある教授に読んでもらった。
「HP,ブログでの公開は特に問題ないと考えます」
という返事をいただいて、では、と遅ればせながら、この「らかす」で公開することにした。
なお、原稿は2017年に書いたものである。この10年ほどで技術開発は大きく進み、アメリカや中国ではすでに自動運転車が走っている。小木津准教授も群馬大学を去り、研究体制も変わっている。まだ課題は山積みらしいが。だから、当時書いた原稿に、今の時点で付け加えることがあれば、付け加えようと思う。
そういう次第で次回から、お蔵入りの原稿の公開を始める。
ついでながら、沼田屋タクシーに話を繋げと私に依頼した教授に、
「あなた、沼田屋に期待を抱かせながら、その後何の連絡もせず、結果的にとんでもない迷惑をかけたのだから、謝罪に行きなさいよ」
と数回忠告した。
その時は分かったような顔をしていたが、小林社長によると
「いえ、群馬大学からはどなたもお見えにはなりません」
大学教授とは、民間の一社長に下げる頭を持たない人たち(一部だけであることを願うが)なのだろうか?

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